心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その36
元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その35
進路
将棋中心の生活をして、それなりに学生名人戦全国3位・アマチュア名人戦全国3位という成果は出たが学生名人にもアマ名人にもなれなかったので、アマプロ戦で活躍してプロ入り、という路線はさすがに無理だろうと考えて諦めることにした。それまでの過程や結果を見て、こころの中に住み着いている「元奨くん」や「将棋くん」もそれである程度納得しているようだった。
「将棋盤のある場所に戻るための旅」が終わって、「将棋盤のある場所以外にも居場所を見つけるための旅」が始まった。
それでは何になろうかと考えた。本当は、大学4年になってからこんなことを考えるのでは手遅れなのだが仕方がない。
どうも自分は要領が悪く気が利かない人なので、大企業の会社員になってもうまくいかないような気がした。その考えはわりあい正しかったように思う。自分だけでなく、ある一定の棋力以上に将棋が強い人には会社員に向かない人が多いようだ。当時の学生強豪で、大学卒業後会社員になったが、その後定年よりもかなり前に退職している人は多い。私見だが、将棋は基本的に個人競技で結果がはっきり出るものなので、いわゆる日本的な会社の会社員になるのには、やりすぎるとよくない種目だと思う。
将棋研究会の部員が企業の就職面接に行って「部活で将棋をやっている」という話をすると、視野の狭い人間だと思われあまりいい印象を持たれていないようだった。という話が当時自分のいた慶応大学将棋研究会の部誌に書いてあり、確かにありそうなことだと思った。
余談だが、アメリカにおける学生の評価の仕方は日本とは違っているところがあり、チェスの全米チャンピオンが銀行の為替ディーラーとして採用されたりするそうである。
ところで、自分のいた慶應大学商学部というところは、基本的には一流企業の会社員になることを目指すところなので、それ以外のことを考える場合は、自分なりに進むべき方向を見つけてうまく行動する必要があった。
考えてみたのだが、学生時代には、将棋以外では家庭教師のアルバイトに力を入れていて、それなりに生徒の成績が上がって継続的にお金をもらうことができていたので、予備校講師か学校の教員を目指すことにした。将棋ばっかりやっていたため、それしか思いつかなかったのである。
留年して教職の単位をとることにして、それと、予備校講師というのは大学院出が多かったので、大学院進学を目指すことにした。今考えると予備校講師になるために大学院に行くというのも変な話だが、その時は大真面目だった。
それを親に話したら賛成してくれた。なんでもいいから、とにかく何かの仕事につけるようになって欲しいという感覚だったようだ。
大学に入るのに浪人して、大学でも留年して、その上大学院にいくのにも賛成してくれるのだから、その点では甘い親だったと思う。
父親は、この頃に中央官庁を退職して外郭団体に移り、仕事はそれほど大変ではなくなったが収入はよくなったようだった。わりあい家にいる時に機嫌がいい時間が多くなり、夫婦の言い合いなどもかなり減って、家庭の雰囲気が明るくなった。隣の家に屋根に乗ってシャベルで屋根を叩ながら変なことを叫ぶような父独特の変態的な奇行がなくなったのである。
大学院は、そのまま商学部で上に行くのではなく、教育関係の仕事を志望していたので、社会学研究科教育学専攻という専攻を選び、運よく大学院の入試に受かった。
※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その37