心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その17

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
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 その後の足腰の治療
 手術しないで退院できたのでほっとしたけど、それではどうやって治せばいいのだろうかという不安もあった。
 母は「カイロプラクティックというのが腰痛などの治療でわりあい知られている」という情報を得ていて、電話帳でカイロプラクティックをやっているところを探して連れて行ってくれた。
 そこの名前をよく覚えていないのだけど、「なんとか苑」という名前だったことは確かであり、最初が「し」で始まっていたような気がするので「S苑」としておく。S苑は学校に行く途中の駅で降りて、デパートの裏の方に歩いて行くとあった。古ぼけた幽霊屋敷みたいな木造の民家で30代半ばくらいのがたいのいい男性が一人で営業していた。
 母と最初に行ったときにはもう一組赤ん坊をおぶったおばさんが来ていて、帰り道で母は、「あれは流行っていいないと思われると嫌だから奥さんと子どもをサクラとして来てもらったのだと思う」と言っていて、確かにそういうこともありそうな雰囲気だった。
 どうも本当に直してくれるのか不安もあったが、治療を受けた感じではなんとなく合いそうな感じがしたので通うことにした。
 S苑ではカイロプラクティックは行っていなくて、針灸と体操が中心だった。電話帳の区分が少しおかしかったのか、カイロプラクティックも勉強したことはあって資格を一応持っているけどあまり治療法として評価していなくて他の療法を主としているか、そこはわからなかった。 
 針は腰や背中に打った。普通に打つ場合と、針を打ちっぱなしにして針の頭に小さなもぐさのかたまりをつけてそれに火をつけて温める場合があった。この原稿を書くためにネットで調べて知ったのだけど、火をつけて温める方は「灸頭鍼」という名前があるようだ。針から熱が伝わって来て体が温まっていき気持ちがよかった記憶がある。温めて筋肉の柔軟性を高め、血行をよくして栄養や酸素が筋肉にいきわたるようにする効果があったようだ。灸頭鍼は、体を外側から温めるよりも速く内側の筋肉を温めることができる点がすぐれているようだった。
 灸は、主に頭にしていた。腰痛なのに頭にしてもしょうがないような気もしたが、体全体はひとつながりだという考え方に基づいていたのかもしれない。灸をした後はその場所にかさぶたができて、しばらくするときれいにはがれる。どういうわけか、それを爪でひっかいてきれいにはがすのが楽しみだった。
 行った体操は、二つあった。
 一つは体育の時間の体力テストの時などに行われる長座体前屈と言われるものだった。
 診療用の堅めのベッドに足を伸ばして座り、手を伸ばしてどこまで体を曲げることができるかやってみる。そして「これが限界」というところからもう少し曲げようと頑張ってみる。これは、1回の治療で針灸の治療を始める前後に2回やったのだけど、針灸が終わった後の方が少し曲げられるようになっていた。診断・効果測定という面もあったが、体の柔軟性を高めることで血行をよくして筋肉に酸素や栄養がいきわたるようにする効果があったのだと思う。
 最初は辛くてほんの少ししか曲げられなかったが、毎回頑張って曲げるように訓練していくうちにだんだんと曲げられるようになっていった。
 もう一つは一風変わったものだった。
 治療者に「目をつぶって、動きたいように動いてみよう。動物はそうやって自分の病気を治す」と言われ、目をつぶってできるだけ自分の動きたい動きを感じ取るようにしてその感じに合った動きをする。それは、腰や背中や方を振ったり膝を曲げたり伸ばしたりする動きで、かなり激しい動きもしていたような気がする。
 すると治療者は「いいぞいいぞ、もう一息だ。よしその調子だ、その調子」などと声をかけてくれるので、さらに動きを続ける。
もちろんこれは体を動かすので体操の一種なのだけど、体を動かしながら行う一種の瞑想のような面もあり、体だけでなく心に対してもいい影響があったと思う。
 実感としてはかなり長い時間やったような気がしたけど、客観的に見るとそんなに長時間ではなかったかもしれない。5分くらいだろうか。いつも針灸による治療が終わって最後帰る前に行った。
 特に名前はなかったようだが、自分はこれを動物体操と名づけている。これにも、体を動かすことで血行を良くする効果もあったと思う。
 こうした一風変わった治療方法だったのだけど、1週間に1回程度通って、通い始めて2~3か月ですっかりよくなった。
 何がよかったのだろうか。もちろん実証的に調べることはできないのだけど、今考えると全体的に体の柔軟性を高め血行をよくして筋肉に酸素や栄養がいきわたるようにすることを狙った施術や体操をうまくとりいれていて、意外と合理的な治療だったような気がする。灸頭鍼によって筋肉を温めてから柔軟体操や動物体操を行うという段取りがよかったのだと思う。
 特に動物体操がユニークなやり方で、S苑の人がどこでああいうことを習ったのか、それともたまたま自分で編み出したのかよくわからないが、人間の自分の体を感じる直感的な心の力を利用したうまいやりかただと思う。
 でも、動物体操は現在全然広まっていない。あんまり合理的な方法に思えないからだろうか。

 このような経過だったので、S苑の先生が素晴らしい治療者でS苑がなかったら治らなかったように考えがちだが、そうだと断定することはできない。
 奨励会に行かなかったりその後辞めたりしたことで、両親と下村先生の間の自分を巡る緊張軋轢がなくなり、それによって心が楽になったのが一番大きく、S苑での治療は治りを早くしただけなのではないだろうか。
 自分は、「足腰の不調の根本原因は、自分を巡る両親と下村先生との間の緊張軋轢であった」という立場なので、「不本意な形ではあるが、自分の奨励会の退会によってこの根本原因がなくなれば、早かれ遅かれ治る」というのが一番基本的な因果関係だと考えている。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その18

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