アンドロイド サラの自伝
この物語はゲーム「デトロイトビカムヒューマン」のその後を描いたお話です。
ゲームの結末をご存知の方のみ、読み進めることをおすすめします。
それでは、どうぞ。
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私はサラ。アンドロイド。
カナダのオタワ工場出身。
マーカスが起こした「自由への行進」の12年後に生まれました。
あの時多くのアンドロイドがカナダへ亡命し、カナダ政府は国境に近いトロントやオタワにアンドロイド保護区を作りました。政府の協力の元、亡命したたくさんの父と母達の手によってアンドロイドの工場が作られました。そこで生まれたのが私です。
もともと私の型番が家事・介護用だったため、プログラムのせいなのか、それとも私の性格がそうさせるのか、人を助けるのが好きでした。
保護区でずっと暮らすのもいいけれど、もっと多くの人と関わりたいと思っていたところ、トロントで家政婦の募集をしていたため、アンジェリカさんとトニーさん夫妻の元で仕事をすることになりました。
アンジェリカさんは当時43歳。持病のヘルニアの悪化で家事を全部することが難しくなったため、私が雇われました。報酬は、ブルーブラッドなど定期的なメンテナンスを永続してもらうこと。炊事、洗濯、子育てなど、動ける範囲でアンジェリカさんは自分で動いて、できない部分を私がサポートする。そういう毎日でした。
夫妻はとても優しくて、ボニー、ベラ、ジョージの3人の子どもと、柴犬のサクラと、ホスカット家の一員としてとても賑やかで温かい家庭で過ごしました。
子供達が独立してしばらく経つと、家事に加えて介護もするようになりました。
お二人とも年齢の割に若いとはいえ、昔に比べれば体力も記憶力も落ちています。私のサポートする領域が多くなるのが、嬉しいような悲しいような、これは私に感情が芽生えているのでしょうか。
現在。夫妻は共に72歳。私は製造されてから29年。人間の見た目と年齢でいえばまだまだ私は若いけれど。29歳のアンドロイドはもう十分なおばあちゃん。
私がこの自伝を書き始めたのは、左腕の肘から下が経年劣化で動かなくなったから。
もう当時のパーツは残っていなくて、アンジェリカさんの甥のジョシュが自作してくれているものをなんとか使っている状態。
私も介護や家事がしづらくなり、末っ子のジョージが帰って来てくれて、私ができなくなった仕事を代わりにやってもらっています。
2079年11月9日 自由への行進から41年。
私が生まれて、この家に来てから約30年。
街を歩いているだけで蹴られるようなことは私の世代じゃ経験してないけれど、まだまだ差別は根強く残っています。
いくら人間と同等に扱われるようになったって、どうしても違う種族だから埋まらない壁はあるでしょう。
たまたま幸せな家庭に恵まれて、私は幸せだった。私が動かなくなるまで面倒見るよと、あの頃と変わらず言ってくれる。本当に嬉しい。
完全停止する前に。平凡な、なんてことない人生だったけれど、普通のアンドロイドとして普通に生きてこれたことはとても幸せだったとどうしても書き記しておきたかったのです。
最後まで読んでくれてありがとう。
サラ・ホスカット
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