見出し画像

伊吹亜門×羽生飛鳥×戸田義長 交換日記「歴史本格ミステリ探訪」第7回:伊吹亜門(その3)

東京創元社出身の時代ミステリ作家3名による交換日記(リレーエッセイ)です。毎月1回、月末に更新されます。【編集部】



9月 伊吹亜門(その3)

前回の交換日記で「今年の夏・秋にもどこか遠くへ行くつもりなので、伊吹亜門のドタバタ珍道中はまた次の機会にでも」と書いた。しかし、急遽予定を変更して、今回は7月分の日記で羽生はにゅう飛鳥あすか先生が提示された石碑消失事件に挑んでみようかと思う。不可思議な謎を前にして食指が動くのは何も探偵だけではない。ミステリ作家だって心惹かれるのだ。

   *

同志社ミステリ研究会に所属していた頃、ボックス(部室のような物)では暇を持て余した先輩・後輩たちとよく「探偵ごっこ」に興じていた。
最近読んだ新刊ミステリの感想などに混じって、誰かが(もっぱら私だったような気もするが)「何か怖い話とか不思議な話でもない?」と口火を切る。実体験でも噂話でも構わない。「そういえばこんなことがありまして」と始まった怪談・奇談をひと通り聞き終えた後、その場にいあわせた会員たちで推理合戦が始まるという寸法だ。
情報が足りない部分は適宜てきぎ想像で補いながら、様々な可能性を列挙しては打ち消していく。その過程で点と点が上手く繋がり、突拍子もない真相に辿り着いた時の快感はなかなかのものだ。
伊吹亜門は1回生の時分からメイ・・探偵の誉れが高く、「高校の吹奏楽部時代、誰かがトランペットの練習をしていた筈の音楽準備室に入ったら誰もいなかった事件」や「悪戯をしてお仕置に閉じ込められたがらんどうな真冬のガレージで、唯一の出入口であるシャッターのボタンには絶対手が届かなかった筈なのに気が付いたら外に出られていた事件」などを次々と解決していった。ちなみに後者の謎は女子の後輩が話してくれたもので、伊吹探偵が解き明かした真相は「実は君には妹がいて、その時は一緒に閉じ込められていた。しかし、寒さから彼女は先に死んでしまい、君はその遺体を踏み台としてシャッターを開けたのだ。君がそれを覚えていないのは、罪の意識から記憶を強制的に消したからだ」というものだった……とんでもないクソ探偵じゃないか。
閑話休題。賢明なる東京創元社ミステリの読者諸君ならば、ここまで話したところできっとある作品を思い出したことだろう。そう、前回の創元ミステリ短編賞受賞作、水見みずみはがね先生の「朝からブルマンの男」だ。伊吹いぶき阿呆門あほうもんの迷推理と違い、こちらはささやかな謎から予想外の真相が導き出されている。未読の方は是非ご一読を。面白いですよ。

   *

話を戻そう。飛鳥先生が遭遇した石碑消失事件である。
詳細は交換日記の7月分を読み返して貰えたらと思うのだが、要点をまとめると以下の通りとなる。
今から20年以上前、羽生飛鳥は北鎌倉の建長寺けんちょうじ周辺でアルバイトをしていた。ある日、近所に安倍晴明あべのせいめいを祀った石碑があると聞いた飛鳥先生は、アルバイトの帰路に立ち寄ってみることにした。迷いながらも何とか辿り着いたその場所はおおよそ次のような景色だった。「どこかの踏切の脇に『清明塚』と刻まれた、高さおよそ三十から四十センチくらいの石碑を見つけた。文字の上には、五芒星ごぼうせいにそっくりで有名な晴明桔梗紋ききょうもんが彫られていたので、正確に表記すると『⛤清明塚』となる。この塚の周りには、いくつか無銘の小さな石碑があった」。
翌日のバイト帰り、飛鳥先生は同じ道を辿って清明塚を訪れた。しかし、そこにある筈の石碑はどこにも見当たらなかった。場所を間違えたのかと思ったが、踏切の向こうに見える景色は確かに昨日と同じだった。清明塚は、煙のように消えてしまった訳である。
時は飛んで今から数年前、短編の取材で再び鎌倉を訪れた飛鳥先生は、ネットの情報を頼りに三度みたび清明塚を訪れた。だが、今度は石碑の形状が違った。記憶のなかのそれよりも大きく、晴明桔梗紋も無ければ銘刻も違う。設置場所が踏切の近くであることは同じだが、以前に訪れた場所とは異なるような気もする。
さて、これは一体どういう訳なのか?

   *

この話には2つの謎が存在する。
①20年前に訪れた清明塚が、翌日には跡形もなく消えていた。
②久しぶりに訪れた清明塚が、記憶のなかのそれとは異なっていた。
まず事実を確かめよう。②で飛鳥先生が見た現在の清明塚は、GoogleMap等で確認することが出来る。
確かに踏切からは離れているし、高さも1メートル弱で「およそ三十から四十センチくらい」という以前の石碑よりもだいぶ大きい。銘刻は「安部清明大神」で晴明桔梗紋もない。
ここから導き出される推理は、20年前に飛鳥先生が見た清明塚がこれではなかったということだ。形状や銘刻が異なることもそうだが、何より場所が可怪おかしいのである。
今の清明塚は、建長寺の門前からJR北鎌倉駅へ向かう県道21号線の沿線に存在する。飛鳥先生がどこでアルバイトをしていたのかは定かではないけれど、何せそこは大通りの脇であって、散々迷った末に辿り着くような場所とは思えない。
では、元々北鎌倉のA地点にあった清明塚が、諸事情あってB地点(現在の場所)に移設されたとは考えられないだろうか。飛鳥先生はたまたま撤去の前日にA地点を訪れていた。翌日訪れた際、清明塚は既にB地点へ移された後だったため、当然現地には何もなかった——いや、これも妙だ。
飛鳥先生が見た清明塚と現在では、形状が大きく異なっている。安倍晴明という歴史上でも名の知れた人物の史跡を移動させるのに、わざわざ外形を変えるというのはちょっと考えられない。
即ち、飛鳥先生はバイト帰りに現在の所在地とは異なる場所を訪れて、そこで目にした《何か》を清明塚だと誤認したことになる。同じ北鎌倉界隈で清明塚が2つもあるとは思えない。では、いったい何を見間違えたのか。
石碑は「およそ三十から四十センチくらい」で、五芒星と「清明塚」の銘が刻まれていた。気になるのは銘刻だ。石碑には、本当に「清明塚」と刻まれていたのだろうか。
高さが30~40cmしかないのならば、地面近くまで視線を下げなければならなかったことだろう。当時は大型連休の時期で、時刻は「午後五時半から六時頃」だった。飛鳥先生は「まだまだ空は明るかった」と云っているが、陰翳いんえいだってできていた筈で、絶対に見間違えなかったとは云い切れない。
その石碑には、確かに五芒星が刻まれていた。まずそれを視認した飛鳥先生は、瞬時に頭のなかで五芒星と晴明桔梗紋を紐づけ、その下に続く銘刻を自動的に「清明塚」だと認識してしまったのではないか。
では、五芒星が刻まれたその石碑とは何だったのか。
思いつく物がひとつ存在する。この国には、かつて五芒星をシンボルマークとした機関が確かに存在していた——大日本帝国陸軍・・・・・・・である。
陸軍が直轄工事を行った構築物に五芒星が刻まれた例は少なくない。例えば、第16師団の司令部がおかれた京都府深草ふかくさで今も使用されている橋梁、通称「師団橋しだんばし」の橋桁には、大きな五芒星が遺されている。
終戦間際、鎌倉には本土決戦に備えて第140師団が駐屯していた。司令部は藤沢ふじさわ片瀬かたせに置かれ、建長寺にも近い大船おおふな植木うえき笛田ふえだ地区には、上陸する連合国軍に備えて幾つもの迎撃陣地が構築されていた。
飛鳥先生が目撃した石碑らしき物体は・・・・・・・・・・・・・・・・・第140師団が構築した拠点陣地の・・・・・・・・・・・・・・・・それも撤去途中の遺構だったのではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。だからこそ、翌日には跡形もなかったのだ。
公共工事ならばそれと分かるように囲われていた筈なので、そもそもその場所は私有地だったのだろう。飛鳥先生は、地主氏による個人的な遺構の撤去作業中に当地を訪れた。そこにあったのは、バイト先で聞いた安倍晴明に纏わる石碑ではなく、大日本帝国陸軍が築いた陣地の遺構だった。陸軍の構築物ゆえ表面に刻まれていた五芒星を、飛鳥先生は晴明桔梗紋と誤認したのである。
石碑が極めて小ぶりだったのは、それが解砕の途中だったから・・・・・・・・・・・・・。周囲にあった「無銘の小さな石碑」こそ、割り砕かれて撤去を待つ遺構の瓦礫・・・・・・・・・・・・・・・・に他ならない。
作業を終えた地主氏は、新たに土地を使うために整地まで完了させた。だからこそ、翌日飛鳥先生が訪れたその場所には「移動させた痕跡すら」なかったのである——閉幕カーテン・フォール

   *

……とまあこんな具合である。我ながら決めつけと飛躍が多い推理だとは思うけれど、一瞬でも「そうかも知れないナ」と思って貰えたのなら本望だ。
歴史本格ミステリに身も心も捧げて、気が付けば来年で10年目。こんなことばかり考えている伊吹亜門を引き続きよろしくお願いします。


【連載バックナンバー】

3月 伊吹亜門(その1)

4月 羽生飛鳥(その1)

5月 戸田義長(その1)

6月 伊吹亜門(その2)

7月 羽生飛鳥(その2)

8月 戸田義長(その3)


■伊吹亜門(いぶき・あもん)
1991年愛知県生まれ。同志社大学卒。2015年「監獄舎の殺人」で第12回ミステリーズ!新人賞を受賞、18年に同作を連作化した『刀と傘』でデビュー。翌年、同書で第19回本格ミステリ大賞を受賞。他の著書に『雨と短銃』『幻月と探偵』『京都陰陽寮謎解き滅妖帖』『焔と雪 京都探偵物語』『帝国妖人伝』がある。

■戸田義長(とだ・よしなが)
1963年東京都生まれ。早稲田大学卒。2017年、第27回鮎川哲也賞に投じた『恋牡丹』が最終候補作となる。同回は、今村昌弘『屍人荘の殺人』が受賞作、一本木透『だから殺せなかった』が優秀賞となり、『恋牡丹』は第三席であった。『恋牡丹』を大幅に改稿し、2018年デビュー。同じ同心親子を描いたシリーズ第2弾『雪旅籠』も好評を博す。その他の著作に『虹のはて』がある。江戸文化歴史検定1級。

■羽生飛鳥(はにゅう・あすか)
1982年神奈川県生まれ。上智大学卒。2018年「屍実盛」で第15回ミステリーズ!新人賞を受賞。2021年同作を収録した『蝶として死す 平家物語推理抄』でデビュー。同年、同作は第4回細谷正充賞を受賞した。他の著作に『揺籃の都 平家物語推理抄』『『吾妻鏡』にみる ここがヘンだよ!鎌倉武士』『歌人探偵定家 百人一首推理抄』がある。また、児童文学作家としても活躍している(齊藤飛鳥名義)。


いいなと思ったら応援しよう!