【創立70周年記念企画】エッセイ「わたしと東京創元社」その4:日暮雅通、宮部みゆき、ピーター・スワンソン
東京創元社では創立70周年を記念し、文芸誌『紙魚の手帖』にて豪華執筆陣による特別エッセイ「わたしと東京創元社」を掲載しています。
今回は、『紙魚の手帖』vol.16(2024年4月号)に掲載されたエッセイ(後半)をご紹介いたします。
日暮雅通 Masamichi Higurashi
今の職業につくまでのエポック、あるいは「出会い」はいくつかあるが、そのうちの大きな二つが、東京創元社がらみであった。
ひとつは高校生時代、創元推理文庫に読みふけったこと。まだ「本格」や「怪奇と冒険」といったマークが付いていた頃、学校帰りに書店に寄っては一冊買っていた。海外短編SFの面白さに目覚めたのも、この頃だ。そういえば、少し上の世代の吾妻ひでお氏が某誌で「オレ創元育ちだからなー」と書いていたっけ。
それから十年ほど経って海外著作権のエージェントに勤め始めた頃、東京創元社の担当になった。大学のミステリ研究会時代から名前だけは知っていた戸川安宣さん(当時編集長)に会いに行ったときは、緊張したものだ。その前の厚木淳さんと並ぶ、伝説の編集長。翻訳者として独立してからもお世話になり、あまつさえS・S・ヴァン・ダインを新訳するきっかけまで作ってくださった(死ぬまでに終わるか……)。感謝の言葉も無い。しかも東京創元社が私と同い年ということにあらためて気づき、感無量である。
宮部みゆき Miyuki Miyabe
その昔、わたしが小学校五年生だったころ。二つ上の姉が友達から借りてきた『グリーン家殺人事件』を先に読了、犯人を教えちゃって怒られたこと。
その昔、わたしが中学一年生だったころ。『怪奇小説傑作集』全五冊という宝の山に出会い、夏休みのあいだじゅう繰り返し読みふけり熱い読書感想文を書いて、先生に「もう少し一般的な本も読みましょう」と注意されたこと。
その昔、わたしが二十代半ばで体重も四十キロ台前半だったころ。今や知らぬ人のいないミステリー界の名伯楽、戸川安宣さんにお目にかかり、風月堂のココアを飲みながら、「一冊長編ミステリーを書いてみませんか」とお声をかけていただいて、『鮎川哲也と十三の謎』シリーズの一員になれたこと。この当時のことは、いつ思い出しても自然と口元がほころんでしまう。楽しかった。ただ、同期生の今邑彩さんがここに一緒にいないことだけは、寂しくて悲しい。
創立七十周年おめでとうございます。
ピーター・スワンソン Peter Swanson
二〇一四年に処女作『時計仕掛けの恋人』を上梓して以来、私は自身の作品が三十の言語に翻訳されるという幸運と栄誉に恵まれてきました。私のミステリが世界中で読まれているとは、なんと嬉しいことでしょう。でも、それ以上に嬉しかったのは、私の日本の出版社、東京創元社が日本の読者に海外ミステリを届けることで有名な由緒ある会社であるとわかったことです。
装丁の美しい東京創元社の文庫本が、私は大好きです。また、この会社に古典ミステリを出版してきた立派な歴史があることを、大変喜ばしく思っています。私の小説にもっとも大きな影響を与えた作家は、アガサ・クリスティとイアン・フレミングです。私は子供のころ彼らの作品を知り、そのジャンルにとりつかれました。そして今、この二人の作品がともに日本では東京創元社から出ていると知ったのです。私にはとてもいい仲間がいるわけですね。
創立七十周年に際し、東京創元社のみなさんに心よりお祝いを申し上げます。どうか今後も日本の読者にたくさんの謎とスリルを届けてくださいますように。(務台夏子 訳)
本記事は『紙魚の手帖』vol.16(2024年4月号)に掲載された記事「わたしと東京創元社」の一部を転載したものです。