【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その10:「私のすぐそばにある破滅」藤野可織
東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催しています。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2024年12月現在、小冊子の配布は終了しております)。
その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。
「私のすぐそばにある破滅」
藤野可織(ふじの・かおり/作家)
『おれの眼を撃った男は死んだ』シャネル・ベンツ/高山真由美訳(創元推理文庫)
この小さな文庫本の中の十篇は、ひとつひとつが嵐のようだ。それは舞台となっている時代がいろいろだからだし、語りの形式もいろいろだからだ。西部開拓時代のアメリカで、十五歳の少女は地獄のような家庭から救い出してくれた兄の手によってまた別の地獄へと追いやられる。一八二九年に書かれた作者不詳の小説のかたちで提示されるのは、社会からふつう、もしくは正解と見なされない立場にある女性を、周囲の者たちがよってたかって都合のいい「物語」として消費しようとするありさまだ。現代のアメリカでは、とある取り返しのつかない過ちをおかした女性が、私のすぐ隣で息を吸っては吐き、「幸せで、怯えていて、救われない」一瞬一瞬を生きている。私と同じ時代を生きてきたもうひとりの彼女は、積み上げてきた人生の脈絡を奪われたために、ばらばらに切り刻まれたいくつもの「いま」のさなかにいる。そこでまた時間は私の知らないころまでさかのぼり、一八四〇年に出版された黒人奴隷の手記が差し挟まれる。すぐれた詩人である語り手は、長年対等な関係にあると信じていた白人のパートナーから同じ人間としてではなく、彼に都合のいい「物語」として愛されていたことを思い知ることになる。彼女の手記はこのように終わる。「そしていま、わたしたちは生き延びるために走る」。するとページをめくった先に現代のアメリカが立ちあらわれ、十一月の寒さの中を十二歳の黒人の男の子が裸足で走っている。彼もまた、家庭内暴力から逃れて生き延びるためにそうせざるをえないのだ。それから、また手記。これも現代。今度は、六十五年前に祖父が書いた奇妙な手記が、祖父が生きていることさえ知らなかった孫によって公開されるという体裁を取っている。その次には、あのなつかしい西部開拓時代とともに、あのなつかしい、男の道具として生かされ、主体性があるなどと見なされたことのない女性が戻ってくる。彼女のあとにはそこそこ高名であるらしい研究者の男がやってくる。舞台は近未来かもしれない。その男は「赤い髪の女」と出会ったことによって研究対象が自身の出自の謎とかかわりがあることを悟る。「研究者の男」と「赤い髪の女」、こうやって並べてみて、「男」と「女」に与えられている属性を見るとうんざりする。いつもそう、「女」は能力ではなく肉体的な要素によって特徴付けられるのだ。けれどここでは、たしかな「認識」を持っているのは女のほうだ。最後は十六世紀のイギリス、かつて父に当たる存在を失い、今、息子に当たる存在を失おうとしている男の祈りですべてが終わる。
このように十篇はそれぞれがこんなにちがうけれど、徹底して描かれているのは社会的弱者の破滅だ。それは多くの場合、女性で非白人で、どちらの属性も併せ持つ私は皮肉と怒りをかかえて書かれたにちがいないいくつもの文章の上に付箋を貼る。一方で、自国に閉じこもっているかぎり人種差別を受けることないマジョリティである私は、付箋を貼ったその同じ文章で何度も自分のみぞおちを刺される。これらの小説があぶり出す、社会的弱者を破滅させる振る舞いや言葉、私はその破壊力を女性としていやというほど知っていて、同時に、私の持つあらゆるマジョリティ性によって私にあらかじめ与えられたその破壊力を、私は不当に低く見積もり、ときには自分がそんな力をもってして他人を破滅に追いやっているなどとは想像すらできないでいるのだろう。
弱者の破滅がこうまでいろいろな時代を舞台にし、いろいろな形式で書かれているのはなぜなのか、どうしてこんなにいろいろじゃないといけないのかは、読み終えるころにはもうわかっている。破滅させられるということは個々に、連綿と起こっており、過去にも起こってきたし未来にも起こるし、私の隣でも起こっており、なにより私にも起こるからだ。そしてすべては渾然一体となって飲み込まれて消えていき、そのあとには文書のみがわずかに残るだろう。その実感のために、それを私に忘れさせないために、この本はある。
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■藤野可織(ふじの・かおり)
作家。2006年、「いやしい鳥」で第103回文學界新人賞を受賞してデビュー。13年に「爪と目」で第149回芥川龍之介賞を、14年に『おはなしして子ちゃん』で第2回フラウ文芸大賞を受賞する。主な著書に『ファイナルガール』『ピエタとトランジ〈完全版〉』『来世の記憶』『青木きららのちょっとした冒険』などがある。
本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。