「翻訳のはなし」第10回「銀河帝国の方々(ほうぼう)――新訳裏話」鍛治靖子【紙魚の手帖vol.12(2023年8月号)掲載】
「翻訳のはなし」第10回
「銀河帝国の方々――新訳裏話」鍛治靖子
語呂あわせで「ほうぼう」とルビをふったけれど「あっちこっち」と読んでほしい。あっちこっちに話題がとぶ予定なので。
二〇二一年から二二年にかけて、僭越ながらこの私、SF界の巨星アシモフ大先生の超有名古典SF『銀河帝国の興亡』シリーズ全三巻の新訳を刊行した。話をもらったときにまず思ったのは、「私でいいのか?」と「私にできるのか?」だった。でもまあ、つきあいの長い編集K氏なら、私にできるSFとできないSFくらいわかっているはず。その上でもってきてくれた話なんだからと、ありがたくお受けした。
原書と旧訳二冊(茶色くなったぼろぼろの創元版といそいで購入した早川版)の三冊をパソコンの前にならべて、作業にかかってまもなく気づく。ハリ・セルダンってSeldanじゃなくてSeldonなのか。
「ねえねえ、K氏、セルドンに変えてもいい?」「有名すぎる固有名詞はいじっちゃ駄目!」一喝されて、そこはおとなしくひきさがった。でも、旧訳二冊で表記が割れているTerminusはどうしよう。終点という意味だけれど、そもそもはローマ神話の境界神の名前だという。そうか、なら新訳はラテ
ン語読みでいこうと決めた。
さらに仕事を進めながら――あれ? なんか変? 英文と旧訳二冊がどう考えてもずれている。というのを何回かくり返し、念のために購入していたキンドル版をチェックした。おや、こちらは旧訳二冊と一致しているではないか。つまり、英語のほうが変わっているのだ。原書の©は一九五一年と七九年とふたつ載っている。キンドル版は五一年のみ。この原書は改訂版ということだ。きっと、八二年からはじまる続編のために細かい改訂をおこなったのだろう。
「え~ん、K氏~、どうしたらいい?」「あ~、著作権とかあるから、旧版でやって」というわけでそれ以後は、原書と旧訳二冊の不一致を見つけたら、そのたびにキンドル版を確認するという作業が加わったのだった。いちばん大きな変更点。旧版では「爆発」していた核エネルギー発電所が、改訂
版では「メルトダウン」を起こしていた。う~む、時代だ。
「あっちこっち」ついでに時代の話をもうひとつ。このシリーズは一九五一年から五三年にかけて発表されている。当時のテクノロジーってどれくらいだっけ? 未来において、いわゆる電話が映像通信になることは、当然誰もが予測していただろう。それでも大アシモフですら、二十一世紀には各人が手のひらサイズの通信機器を所有して、好きな場所で連絡したり情報取得したりできるようになるなんて、想像もしていなかったにちがいない。銀河帝国でもファウンデーションでも、登場人物たちは紙の新聞で情報を収集し、公衆ヴィジホンのボックスをさがして人と連絡をとっている。
また、三巻二五九ページではアーカディが、宇宙船に乗るため宙港の券売機でチケットを買っている。電車でもバスでもICカードでぴぴっと乗ってしまう現代からすると失笑ものだが、ちょっと待て。よく考えてみよう。一九五三年、お金をいれて目的地のボタンを押せばチケットとお釣りが出てくる券売機はまだ登場していなかった。チケットを買うシーン、妙に描写が細かいと思ったのはそのせいだったのだ。この点に関しては、アシモフ先生の未来予測はまさしく実現したわけだ。ただし、現実はさらにそのさきまで進んでしまっている。残念!
話はさらに「あっちこっち」にとんでいく。私は仕事のときには年表をつくることにしているのだが、そういえば、こんなに超有名な作品なのに、年表って出てないよな……。そう、その理由がわかったような気がするのだ。一巻一一ページ、銀河百科事典のハリ・セルダンの項目に、「銀河紀元一
一九八八年生、一二〇六九年没」とある。だが三巻の二七六ページを見てほしい。ステッティン戦争勃発が、銀河紀元一一六九二年となっているではないか。時間が逆もどりしている――。話が進んでいるうちに、最初の設定や数字を忘れてしまったのだろうか。これまで年表をつくろうとした人たち
は、きっとこのミスに気づいて作業を中断したのだ。そしてそのまま口をつぐんだ? ああ、大アシモフ先生のミスを、私ごときがこんなところで公表してしまっていいのだろうか。でももう書いちゃったもんね。いいよね!
「あっちこっち」最後のネタ。この仕事の話をもらってすぐのころの、編集K氏との会話。「第二ファウンデーションって、×××だったよね」「あれ? ○○○じゃなかったっけ?」「……」「……」「忘れちゃった」「うん、ずいぶん前に読んだっきりだもんね」結論――K氏が正解。私が間違っていた。しかたないじゃないか。このシリーズを読んだの、四〇年以上昔なんだもの。四〇年前の記憶なんて、ほんと、あてにならない。そうだ、私の記憶、きっと第二ファウンデーションの操作を受けていたのだ。
この記事は〈紙魚の手帖〉vol.12(2023年8月号)に掲載された記事を転載したものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?