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【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その8:「『布のおしぼり』というものに、 巡り会えなくなって久しい。 」原宿

東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催します。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2024年11月現在、小冊子の配布は終了しております)。

その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。


「『布のおしぼり』というものに、 巡り会えなくなって久しい。」

原宿(はらじゅく/オモコロ編集長)

装画:デイヴィッド・ロバーツ/装幀:藤田知子

『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』ミック・ジャクソン/田内志文訳(創元推理文庫)

 と、思う。もちろん世の中からすっかり消えたというわけではなく、風格のある居酒屋などに行くと、まだまだ布のおしぼりは健在で、ごわっとした分厚い布にミントのアロマが香り、夏場はヒンヤリ、冬場はホカっ。「今日の風呂、これで済ませるからね?」という勢いで顔をぬぐったりもするのだけれど、これは非合理的なサービスをあえてしてくれる場所にだけ許されることで、ファミレスなどの「合理ヘイお待ち!」なチェーン店ではそうはいかない。渡されるのは、頼りないビニール袋に入ったウェットティッシュ一枚。しかもたまに、「誰かハサミで半分にしました!?」と言いたくなる驚きの小ささだったりして、あれで指先だけコソコソ拭いている時の哀しさといったら、そのうちバズる短歌になってもいいくらいだろう。

 ただ、だからと言って布のおしぼりをもっと出せと言いたいのではなく、そこで感じるのは当たり前のように布のおしぼりを使い倒してきたサービスの搾取さくしゅ者としての自分だ。仕組みを維持するためのお店側のコストを考えれば、「布のおしぼり」という非合理は淘汰とうたされて当然で、こうした時代の変化を自分も受け入れなくてはいけない……はい! この現実的な割り切り! はいこれ! これが一見お利口のように見えて、実は全然そうでもないんじゃない?ということを『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』を読むと思い出す(やっと書名!)。

 ある物事が世の中から消えるのは、時代がそれを要請したからだ。そうやって人は、大人びた納得をしたように見えて、心の柔らかい部分には、まだ愛着や哀惜あいせきがしっかりと残っている。あの時見送ったはずの気持ちは、実は驚くほどそのままの形で自分の中に留まっているし、それに気がつくことは人生の喜びにもなり得る。そう熊たちが教えてくれる一冊です。挿絵さしえも最高すぎ。

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■原宿(はらじゅく)
ライター。神奈川県出身。2012年、Webサイト〈オモコロ〉の二代目編集長に就任し、現在も活躍中。


本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。