佐藤さくら『波の鼓動と風の歌』、フランシス・ハーディング『呪いを解く者』…紙魚の手帖vol.15(2024年2月号)書評 三村美衣[ファンタジイ]その1
【編集部から:この記事は東京創元社の文芸誌〈紙魚の手帖〉vol.15(2024年2月号)掲載の記事を転載したものです】
『波の鼓動と風の歌』(集英社文庫 八九〇円+税)は、《真理の織り手》シリーズでお馴染みの佐藤さくらによる異世界ファンタジイの新作。高校生の凪は遠足に出かけた先で湖に転落、目覚めるとそこは見知らぬ異世界だった、というたいへんオーソドックスな滑り出しだ。しかし左手は毛むくじゃらの剛腕に尖った爪が生え、両足はまるで恐竜のように変化しており、「まじりもの」との烙印を押された彼女は、自由意思を抑制する首輪を嵌められ、強制労働施設へと送られてしまう。からくも施設から逃れた彼女は、助けてくれた少年と共に、自分を元の世界に戻してくれる見師のいる都を目指す。
元の世界でも凪はクラスにも家族にもうまく溶け込めず、ずっと疎外感を感じていた。周囲の人々も異質なところのある凪の扱いに苦慮していたが、だからといって誰かに殴られたりはしない。ところが今や彼女は誰の目にも明らかな「まじりもの」であり、歴然と差別される立場なのだ。この世界では個の力が大きく、ダイレクトに社会や世界の存続に関与しうる。流民ながら聖王の生まれ変わりとしての自覚を持つサージェ、王となるべく育てられたティルハとの交流を通し、凪は人の命の大切さや個としての重みや、世界に対する責任を意識しはじめる。個の力が大きな異世界ファンタジイならではのテーマに正面から挑んだ意欲作だ。
フランシス・ハーディング『呪いを解く者』(児玉敦子訳 東京創元社 三七〇〇円+税)は、二〇二二年に発表され、英国SF協会賞YA部門を受賞した長編。物語の舞台は、〈原野〉と呼ばれる沼の森を抱える架空の国だ。〈原野〉には不思議な力を持つ生き物たちが棲息し、人間社会を脅かし続けている。中でも〈小さな仲間〉は人を〈呪い人〉に変えてしまい、〈呪い人〉は、恨みの感情の赴くまま、対象を別の何かに変化させる。十五歳の少年ケレンは、呪いを解く力を持つ「ほどき屋」だ。彼は、呪いをかけた者と、恨むに至った事由と、呪われた者が変化した何かをみつけだし、その関係を解く。しかし呪われた者は、解かれても元に戻れるわけではない。ケレンは、自分が解いた元呪われ人である相棒のネトルの存在によって、常にその事実を突きつけられている。ネトルとはイラクサの意であり、その名はアンデルセンの「野の白鳥」(「白鳥の王子」)を示唆している。ネトルと三人の兄弟は、継母の呪いでタカ、カモメ、ハト、サギに姿を変えられた。一人は命を失い、一人は精神を病み、もうひとりは人間に戻ることを拒否して今もカモメのままであり、ネトルはひとりぼっちになってしまった。そのネトル本人も、鳥であった記憶に苦しめられている。呪いによって形を得てしまった負の感情とその連鎖に対して、ケレンの「解き」は何を成しえるのか……。
ハーディングは『噓の木』や『ガラスの顔』でも幻想とミステリ的な仕掛けを融合させているが、本作においてもその手腕はいかんなく発揮されている。五百頁を超える大部ながら、唯一無二の力を持つ捻くれ者と秘密を抱える優等生のツンデレコンビが、呪い人と呪われ人の関係を「解し」ながら、大きな陰謀へと迫る展開は、ミステリの連作短編集のような読み心地でリーダビリティも非常に高い。日本人には馴染みの薄い西洋の歴史や宗教が介在しない分とっつきもいいので、ハーディングの入門としてもお勧めしたい一冊。
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。