【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その13:「不安なたましいの慄(ふる)え」堀江敏幸
東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催しています。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2024年12月現在、小冊子の配布は終了しております)。
その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。
「不安なたましいの慄え」
堀江敏幸(ほりえ・としゆき/作家)
『死人の書 小説とエッセー』宇佐美英治(四六判上製)※現在は品切れ重版未定です。
一九九八年の暮れ、野見山暁治の美しい絵をカバーにあしらった『死人の書』を書店の棚に見出したときの驚きと喜びは、いまも忘れられない。副題には「小説とエッセー」の文字が並び、小説二篇、小説風エッセー四篇、さらに「手紙の話」と題された散文が収められているとはいえ、巻末の「跋」に明記されているとおり、これは一篇ごとに背筋を伸ばして立っている作品の自撰集と呼ばれるのがふさわしい。
表題作の初出は、一九四八年に刊行された「同時代」創刊号。「死人の書」は小説であり、事実、一九五七年に『ピエールはどこにいる』(東京創元社)と題された一書に収録されている。しかしこれは稀覯本でなかなか入手できず、私がはじめて「死人の書」に触れて感銘を受けたのは、一九八〇年に湯川書房から出た美しい函入りの『夢の口』を手にしたときのことだった。
この版の構成もエッセー、エッセー風小説、そして小説の混合体となる作品集で、小跋には「いま読みなおすと、さすが弱年の作とあって未熟なところが目立つが、多少の清新さもあり、私はいまなおこの作品に愛惜を感じている。多分それは敗戦直後の不安なたましいの慄えが感じられるからであろう」と記されている。宇佐見英治にとって、いかに大切な作品であったかが理解できる一節だ。
ところが初出一覧で、『夢の口』所収の「死人の書」が『ピエールはどこにいる』収録作の改訂版であると教えられた。宇佐見英治は小説が小説集の枠からはずれていくことよりも、作品に対する愛着と一字一句の斧鉞を経た完成度を重く見る。その時点で彼は小説家ではなく、稀有な散文家になっていたと言えるだろう。
死を体験した「僕」は生の空間を「あの世」と呼び、「この書をあの世にいるなつかしい友人達のために書き送ろうと思う」。一九九八年版に「手紙の話」が含まれている理由は、この冒頭の一文に刻まれていたのだ。当時はまだ、一九九五年に新興宗教団体が起こした未曾有の事件の記憶が生々しく残っていたからだろう、最後に講演をする「老年で熱烈なクリスチャン」である「神父尾々武氏」の名も、その言葉も、初読のときとべつの響きをもたらした。
「神様は始めからこの世に居られないのです。そしてあなたはいまこの世に居られるのです」。この世とは、地上から見たあの世のこと。一九九八年版の跋にはこうある。「また「死人の書」については、稚拙さはともかく、意味の読みとれぬところが、あったので、五、六箇所、用語を訂正した」。推敲の神は「この世」にもまだいるらしい。
宇佐見英治は二〇〇二年に亡くなった。無神の天上から送られてくる硬質な書信は、二十一世紀の現在になっても、まったく古びていない。
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■堀江敏幸(ほりえ・としゆき)
作家。1964年、岐阜県生まれ。99年に『おぱらぱん』で第12回三島由紀夫賞、2001年に「熊の敷石」で第124回芥川龍之介賞を受賞する。『郊外へ』『雪沼とその周辺』『その姿の消し方』をはじめ多数の著書・訳書がある。
本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。