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【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その9:「疾走する論理、未踏の倫理」伴名練

東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催しています。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2024年11月現在、小冊子の配布は終了しております)。

その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。


「疾走する論理、未踏の倫理」

伴名練(はんな・れん/作家、アンソロジスト)

装画・装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

『宇宙消失』グレッグ・イーガン/山岸真訳(創元SF文庫)

 二〇三四年、太陽を中心とした半径百二十億キロに及ぶ巨大な球状の〈バブル〉が出現し、幕が降りたように夜空から星々が消失する(外宇宙が観測不可能になる)、という現象が発生。全世界が混乱に陥り、地球外知的生命の介在がささやかれつつも、〈バブル〉誕生の理由は不明のまま歳月が過ぎた。そして二〇六八年、元警官のニックは、先天性脳損傷患者が病院から蒸発した事件を調査するうちに、世界を揺るがす陰謀劇に巻き込まれる――

 原著は一九九二年刊で、メインの量子論ネタこそ今では一般化し過ぎたきらいがあるものの、主人公が睡眠中の脳内で依頼を受信/処理する冒頭部から、全編に横溢おういつする驚異の数々は、「世界最高のSF作家」の面目躍如である。初読時、モッド(脳神経の再結線技術)によって脳が特定の目的に最適化された状態での行動原理や、モッドを介しての死んだ妻との対話、技巧的に語られる超常的な能力の陥穽かんせいなどなど、センス・オブ・ワンダーを立て続けに味わわされた。そのいずれもが論理的思索を積み上げた末の、堅牢な土台の上にあり、絵空事と思えない説得力を伴っていた。

 脳科学ものを始めとする初期イーガン短篇は、アイデンティティを揺さぶる議論や、論理を貫き、王道SF的ロマンティシズムに回収させない過激さで、現代SFに手を付け始めた頃の私に激烈な印象を与えた。本書はそういった、『祈りの海』『しあわせの理由』などの短篇集収録作の延長上にあり、長篇の中でも読みやすく、肌に馴染なじむものだった。今回再読して、ある拙作に含まれる議論の元ネタはこの本だったのだなと思い出し、記憶以上に影響を受けていたことを再認識した。

 しばしば並べて語られる二人だが、テッド・チャンの「不安は自由のめまい」と、イーガンの『宇宙消失』「ひとりっ子」を読み比べれば、多世界解釈下における選択の価値という同一の題材に向き合いながら、常識的な倫理の正しさを導出するチャンと、未知の倫理で世界に対峙たいじしようとするイーガンで、全く異なるタイプの作家だと感じる。書き手としてならいざ知らず、いちSF読者としては、イーガンの方に憧れを抱くのである。

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■伴名練(はんな・れん)
小説家、アンソロジスト。2010年、「遠呪」で第17回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。同年、受賞作を含む短編集『少女禁区』でデビューする。主な著書に『なめらかな世界と、その敵』『百年文通』、主な編著に〈日本SFの臨界点〉シリーズ、『新しい世界を生きるための14のSF』がある。


本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。