【11月9日刊行】勝山海百合/ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』(細美遙子訳、創元SF文庫)解説[全文]
本稿は2024年11月9日刊行の『ロボットとわたしの不思議な旅』巻末解説を転載したものです。(編集部)
喫茶去(お茶を飲んでいきなさい)
本書はアメリカの作家ベッキー・チェンバーズの、「緑のロボットへの賛歌」“A Psalm for the Wild-Built”と、「はにかみ屋の樹冠への祈り」“A Prayer for the Crown-Shy”の、Monk & Robot二部作と呼ばれるふたつのノヴェラの邦訳である。前者は二〇二二年のヒューゴー賞、ユートピア賞(希望に満ちたユートピア的なSF、ファンタジー、気候小説に贈られる賞)受賞作、後者は二〇二三年のローカス賞受賞作(ヒューゴー賞候補は辞退)であり、本書はチェンバーズにとって『銀河核へ』(上下巻、細美遙子訳、創元SF文庫、二〇一九)以来、本邦で五年ぶりの新刊である。
本書の世界に暮らす人々は、かつて機械や大規模工場に頼り過ぎて環境が悪化したり天然資源を消費し過ぎたりしたことを深く省み、大きな機械を使うことを止めた。労働に従事していたロボットたちは自由になり、人間とは別れて暮らすことを選んだ。これが〈移行〉と呼ばれるできごとで、それから長い時が流れ……物語は、修道僧デックスが人口の多いシティの修道院を出て、各地を経巡る「喫茶僧」になることを発願するところから始まる。この宗教団体も〈移行〉ののちに戒律は以前よりずっと緩くなっているらしい。
修道院の許可を得たデックスは、お茶の道具(本書における茶は中国唐代の文人陸羽が「南方の嘉木」と呼んだツバキ科チャノキの葉の加工品だけではなく、植物の葉や、実、根を用いたハーブティーを含むもののことだと読者にはご承知いただきたい)と生活用品をワゴンに積みこみ、それを電動自転車で引いて出発した。初めはぎこちなくて、うまくお茶を振る舞えなかったデックスだが、徐々に慣れていき、オリジナルのお茶を配合し、お茶を求めるひとりひとりにぴったりのお茶をいれることができるようになっていく。
だがそれはこの物語の始まりに過ぎず、やがてデックスは決まった時間に決まった場所に行き、顔なじみになった善男善女にお茶を振る舞うことが楽しくなくなってしまう。そしてすべての予定を一旦白紙に戻して、いつか聞きたいと願っていた録音ではない本物のコオロギの鳴き声を聞くために新しい旅を始めることにする。ちなみに、デックスはおそらくはノンバイナリーで、心に響く相手がいればセックスをすることもあるものの、目下のところ決まった相手はいない。
先に少し触れたように、本書の舞台となる場所に暮らす人々は、環境に及ぼす影響を少なくすることを選び、その選択に準じた決まりを守って生きている。人間が暮らす町と、町と町をつなぐ道路以外の場所に立ち入らないこともそのひとつだ。ところがデックスは今では人の通わない道に足を踏み入れてしまう。荒れた道に難儀し、そこでロボット、モスキャップに出会う。文字通り過去の遺物であり、お節介なほど親切でおしゃべりなモスキャップに説得され、しかたなくデックスはロボットを道連れにする。モスキャップは知識でしか知らなかった人間たちの生活に触れてみたくてしかたないのだ。ではロボットたちの生活はどんなものであるかというと、野に生きるロボットたちはそれぞれが好きなこと、興味のあることに時間を割いており、故障したら修理するけれど、修理が追い付かなくなったら最期のときを迎えることになる。死んだロボットの部品は再利用され、新しいロボットが生まれることもあり、目覚めて初めて目にしたものを名前にする慣習も生じている。
かれらは二百日に一度の集会で話し合いもするが、この集会に参加するもしないも自由で、他のコミュニケーション手段としては「隠し箱」にメッセージ(手紙や研究成果であろう)を入れておくというのがある。箱の近くを通ったとき、箱に中身があることをロボットたちが知る方法は、人間の通信テクノロジーをこっそり拝借したものだ(通信衛星がまだ機能していることに驚く。この人工衛星に寿命が来たとき、代替機を打ち上げられるのかどうかが気になる。そのテクノロジーはどこかに温存されているのか、そのとき人類は……? このエピソードでチェンバーズは一冊書いてくれないものだろうか)。
好奇心旺盛で、落ち着きがない子どものようなモスキャップは、カレル・チャペックが戯曲『R.U.R.』で最初に創造した〈ロボット〉が労働する者だったように、デックスを働きでもって助けてくれる。具体的にはワゴンを押してくれる。最初はそのおしゃべりに辟易するものの、やがては良い話し相手になり……。ここまでが本書の一作目で、二作目ではふたりでさまざまなコミュニティを訪れる。ふたりは、かつて大きな社会の変化を経験し、それぞれの信念に基づいたコミュニティに分かれて暮らす人たちに出会う。そこにはロボットの存在を歓迎しない人々も……。
チェンバーズのデビュー作『銀河核へ』では、火星出身の地球人ローズマリーが事務員としてトンネル建造船〈ウェイフェアラー〉に乗り込むが、この未来世界では地球人類は銀河共同体(GC)の一員ではあるものの、マイノリティとしてささやかに繁栄しているに過ぎず、乗組員たちは様々な文化を持ち、言語も形態も地球人類とは異なっている者もいる。さまざまな異星人が登場するSF作品といって思い出されるのは、古くはA・E・ヴァン・ヴォークトの『宇宙船ビーグル号の冒険』(一九五〇年)やテレビドラマ『スタートレック』シリーズ(初回放送一九六六年)があるが、これらは既に古典といえる。色褪せない輝きがあるが、二十一世紀にはやや古めかしい。チェンバーズは作中で多種族、多文化の社会を、現代の言葉と新しいテクノロジーで更新してみせる。地球人類を少数で強者ではないほうに置き、表現は慎ましいが性愛をタブー視せず、パートナーに誰を選んでもよい(異性愛以外や異種族愛も尊重する)ことなどを、さりげなく書き記す。
NASAの黒人女性初の宇宙飛行士メイ・ジェミソンは、『スタートレック』に黒人女性(ニシェル・ニコルズ演じるウフーラ)が登場したのを見て驚き、宇宙を志したのだという。一九五六年生まれのジェミソンが幼い頃はアメリカの黒人の若者の進路は限定的で、女性の場合はさらに狭かった。そこへテレビドラマから肯定的なメッセージを受け取り、励まされ、宇宙開発を具体的な目標とすることができたのだ。同じように『銀河核へ』は(いずれ自分も宇宙を旅したい、でなければ宇宙に近いところで働きたい)と年若い読者が願うきっかけになるかもしれないし、自身のアイデンティティに自信が無い十代を励ますものになっているのではないだろうか。
そして『銀河核へ』は読者を励ましたが、本書は仕事や生活に追われて疲れたときに「休んでいい。休もうよ」と優しく呼びかける。録音でないコオロギの声を聞いたのはいつだった? と語り掛けてくる。
現代において、環境汚染や二酸化炭素の増加による気候変動は大きな問題となっているが、本書は森と海のある、地球の温帯のような場所で、地球人類型の登場人物たちが暮らす世界が舞台だ。貨幣を持たない社会でもあり、もし人類が環境のため、自然との調和を考えて生き方を大きく変えることを選んだらどのようになるかというスペキュレイティブ・フィクションでもある。その選択を進めた場合、社会構造は、産業は、医療福祉は、信仰は……。読んでいると、住民による持続可能な「よりよい暮らし」を続けるための絶え間ない努力がうかがえるし、個人を尊重されてはいても、デックスのようにひとりで旅に出たくなるときもあるというところに人間の社会生活で生じる摩擦が現れていて生々しい。もちろん、真面目なデックスと好奇心旺盛だけど計算能力がやや低いモスキャップ、一人と一台の自転車の速さの旅は楽しい。新しい発見があり、思いがけないことも起こるし、デックスとモスキャップのあいだに、人類の言葉でいえば情(じょう/なさけ)のようなものが醸されるのが観測できる。
チェンバーズは、他人と自分が違うことを前提に、違いを認め合うことの難しさを描く。同時にそれを乗り越えた先にある明るさをも描く。遠くに小さく見えるトンネルの出口のように。ゆっくりでも、お茶を飲んで休みながらでも歩みを進めればそこにたどり着くのだと。
〈Wired〉の二〇二一年の記事によると、チェンバーズはカリフォルニア州ハンボルト郡(州北部で太平洋に面し、広大な森林地帯を擁する)に住まい、自宅に近い草深い森でのトレッキングを楽しみ、ハーブティーを飲んでいる。本書が人の多い場所から離れ、年を経た大木と親しみ、お茶を飲みながら書かれた小説であろうことは想像に難くない。その傍らには長年の読者でもある妻(謝辞にも名前があるバーグローグ)がいる。
二〇二四年七月現在、本人の公式サイトでの報告によると、チェンバーズは新作の執筆に没頭しており、人前に出るイベントへの参加予定はほぼない。二〇二五年八月にワシントン州シアトルで開催される世界SF大会には参加できたらいいと考えているそうだ。
■勝山海百合(かつやま・うみゆり)
岩手県生まれ。2006年「軍馬の帰還」で第4回ビーケーワン怪談大賞を受賞。また翌07年に「竜岩石」で第2回『幽』怪談文学賞短編部門優秀賞を受賞し、同作を含めた短編集『竜岩石とただならぬ娘』により本格的にデビューを果たす。11年、『さざなみの国』で第23回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。主な著作として『厨師、怪しい鍋と旅をする』『玉工乙女』『狂書伝』ほか、現代語訳を手がけた『只野真葛の奥州ばなし』などがある。また、既発表の翻訳短編にユキミ・オガワ「さいはての美術館」、S・チョウイー・ルウ「沈黙のねうち」「稲妻マリー」「年々有魚」、L・D・ルイス「シグナル」などがある。