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自分の頭で考える方法

ポール・グレアム(Paul Graham)が執筆したエッセー「How to Think for Yourself」の日本語訳になります。

※現在内容の最終チェック中...(達成率80%くらい)

2020年11月

同業者と違う考え方をしなければうまくいかないような仕事がある。たとえば、成功する科学者となるためには、ただ正しいだけでは不十分だ。自分のアイデアは「正しく」かつ「新規的」でなければならない。あなたは他の人たちが既に知っていることを述べる論文を発表することはできない。誰もまだ気づいていないことを述べる必要があるのだ。

同じことが投資家にも当てはまる。公開市場の投資家が、企業がどのような業績を出すのかを正しく予測することは不十分である。もし多くの他の人たちが同じ予測をしていたら、株価は既にその予測を反映しているだろうし、お金を稼ぐ余地がない。唯一貴重な見識は、他の大多数の投資家が共有していないものである。

あなたはスタートアップの創業者でもこのパターンを見る。あなたは誰もがいいアイデアと同意するようなことをするためにスタートアップを始めたくはない。そうでなければ、それをしている他の会社が既に存在しているだろう。あなたは他のほとんどの人たちには悪いアイデアのように思えることをしなければならないが、あなたは悪いアイデアではないことを知っているのだ。たとえば、数千人の愛好家たちに使われる小さなコンピューター用のソフトウェアを書いたり、人びとに見知らぬ人の家の床に置かれたエアベッドを貸してあげるサイトを立ち上げたりするようなことである。

エッセイストに関しても同じである。人びとが既に知っていることを伝えたエッセーはつまらないだろう。あなたは人びとに何か新しいことを伝えなければならない。

しかし、このパターンは普遍的ではない。実際、このパターンはほとんどの種類の仕事には当てはまない。ほとんどの種類の仕事では、たとえば管理者となるためにあなたが必要とするのは最初の半分である。あなたが必要とするのは「正しくいること」である。他の人たちが間違っているということは必要不可欠ではない。

ほとんどの種類の仕事には少しの「新規性」の余地があるが、実際には「自立志向的であることが必要不可欠であるような仕事」と「自立志向的であることが必要不可欠ではないような仕事」にはかなりはっきりとした違いがある。

私は子どものときに誰かがこの違いについて自分に教えてくれたらよかったのになと思う。なぜなら、これは自分がどんな仕事をしたいのかを決めているときに検討すべき最も重要なことの一つであるからだ。あなたは他の人たちとは違う考え方をすることでしか勝てないような仕事をしたいのだろうか? ほとんどの人たちの潜在意識は、自分の意識的な心がその質問に答える機会を得る前に、この質問に答えるだろうと思う。私は自分の潜在意識がそうすることを分かっている。

自立志向性は後天性というよりも先天性の問題であるように思える。つまり、もしあなたが間違ったタイプの仕事を選択すれば、あなたは不幸になるということである。もしあなたが生まれながら自立志向的であれば、あなたは中間管理職になることがフラストレーションであることに気づくだろう。そして、もしあなたが生まれながら従来志向的であれば、オリジナルな研究をしようとする場合、あなたは逆風へと向かうことになるだろう。

しかし、ここで一つ難しいのが、人びとは自分が従来志向から自立志向までの範囲のどこに位置するのかを間違えていることがよくあるということだ。従来志向的な人たちは自分のことを従来志向だとは思いたくはない。どんな場合でも、従来志向的な人たちには自分で何もかも決心しているように心から感じられるのである。自分の考えと仲間の考えが同じであるのはただの偶然の一致なのだ。一方で、自立志向的な人たちは自分の考えがどれほど従来志向的な考えと違っているのかということを、少なくとも自分の考えを公に発表するまで、気づかないことが多い。[1]

大人になるまでに、ほとんどの人たちは(事前に設定された問題を解くという狭い意味において)自分がどのくらい頭がいいのかを大体知っている。なぜなら、絶えずテストされ、テストに基づいて順位付けをされていたからだ。でも、学校は、自立志向性を抑制しようとする場合を除き、一般的に自立志向性を無視している。なので、私たちは自分がどれほど自立志向的であるのかということに関する同じようなフィードバックのようなものを得られない。

仕事場には「ダニング=クルーガー効果」のような現象さえあるかもしれない。最も従来志向的な人たちは自分が自立志向的であることに自信を持つ一方で、本当に自立志向的な人たちは自分が自立志向的ではないかもしれないことを心配するのである。

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あなたは自分をもっと自立志向的にすることができるのか? 私はできると思う。この資質はかなり先天的なものかもしれないが、自立志向性を強める方法、または少なくとも自立志向性を抑制しない方法はあるように思える。

最も効果的なテクニックの一つは、ほとんどのオタクたちに無意識で実践されているものである。それは、ただ従来型の考えであるものにあまり気づかないこと。自分が本来であれば順応すべきだったことを知らなければ、コンフォーミスト(順応主義者)になるのは難しい。とはいえ、そういった人たちは既に自立志向的かもしれない。従来志向的な人は、おそらく他の人たちが何を考えているのか分からないことに不安を感じ、知るためにもっと努力するだろう。

あなたが誰で自分自身を取り囲ませるかは非常に重要である。もしあなたが従来志向的な人たちに取り囲まれていたら、これは自分が表現できるアイデアを制約するだろうし、このことが今度は自分が持つアイデアを制限することになるだろう。だが、もしあなたが自分自身を自立志向的な人たちで取り囲ませたら、あなたは正反対の経験をするだろう。他の人たちが驚くようなことを言うのを聞くことが、あなたに驚くようなことを言ったりもっと考えたりするように促すだろう。

自立志向的な人たちは従来志向的な人たちに取り囲まれることが心地よくないことに気づくので、一度自己隔離する機会があれば自己隔離する傾向がある。高校に関する問題は、自立志向的な人たちにはまだ自己隔離する機会がなかったことである。それに、高校は「住民が自信を持てない閉鎖的で小さな世界」でありがちで、どちらもコンフォーミズム(順応主義)の力を強めている。だから、高校はしばしば自立志向的な人たちにとって悪い時期である。しかし、ここにもいくつかの利点がある。高校はあなたに避けるべきことを教えてくれるのだ。もしあなたが後で「これは高校のようだ」と思わせる状況に自分が陥ったことに気づいたら、あなたは自分がそこから脱出すべきだということが分かるのである。[2]

自立志向的な人たちと従来志向的な人たちが一緒になるもう一つの場所は、成功しているスタートアップの中である。創業者や初期の従業員はほぼ必ず自立志向的である。そうでなければ、スタートアップは成功しないだろう。しかし、従来志向的な人たちは自立志向的な人たちの数を大きく上回っているので、会社が成長するにつれて初期の自立志向精神は必然的に薄められる。これは会社がダメになり始めるという明らかな問題以外に、様々な問題を引き起こす。最も奇妙なことの一つが、創業者が自社の社員よりも他社の創業者とより自由に話すことができることに気づくことである。[3]

幸いなことに、あなたは自分のすべての時間を自立志向的な人たちと過ごすことに費やす必要はない。定期的に話せる人が一人か二人いるので十分だ。そして、一度そういった人たちを見つけると、彼らも通常はあなたと同じくらい話したがっている。彼らもあなたを必要とするのだ。大学にはもはやかつての教育における独占のようなものがないが、いい大学は今でも自立志向的な人たちに出会う優れた方法である。ほとんどの学生は依然として従来志向的であるだろうが、あなたは高校で見つけたかもしれないほぼゼロに近いものではなく、少なくとも自立志向的な人たちの集団を見つけるだろう。

別の方向に進むことも機能するだろう。自立志向的な友人の小さなコレクションを育むだけでなく、できるだけ多くの異なるタイプの人たちに会おうとするのだ。あなたにいくつかの他の仲間のグループがある場合、これは自分のすぐ近くの仲間の影響力を減少させるだろう。それに、あなたがいくつかの異なる世界の一員である場合、あなたは頻繁にあちこちの世界からアイデアをインポートすることができる。

だが、異なるタイプの人たちというのは、私は人口統計学的に異なるという意味で言っていない。このテクニックが機能するためには、人びとが違う考え方をする必要がある。だから、他の国に行ったり訪れたりするのは素晴らしいアイデアではあるが、あなたはおそらく違う考え方をする人たちをすぐ近くで見つけられる。私は普通ではないことについてよく知っている人に会うと(あなたが十分深く掘り下げた場合、これは実質的にはすべての人たちを含んでいる)、その人が知っている他の人たちが知らないことを学ぼうとする。ここにはほぼ必ず驚きがある。見知らぬ人に会ったときに会話をするのはいい慣習ではあるが、私は会話をするためにしていない。私は本当に知りたいのだ。

歴史を読むことで、あなたは空間と同じように時間にも影響力の源を拡大することができる。歴史を読むとき、私は起こったことを学ぶためだけでなく、昔の人たちの頭の中に入り込もうとするために歴史を読む。昔の人たちには物事がどのように見えていたのか? これは実践するには難しいが、ポイントを三角測量するために遠くまで旅することに価値があるのと同じ理由で、努力する価値がある。

従来型の意見を自動的に取り込むのを防ぐために、あなたはより明確な手段を取ることもできる。最も一般的なのは、懐疑的な姿勢を育むことである。誰かが何かを言っているのを聞いたとき、立ち止まって「これは本当か?」と自問するのだ。この言葉を声に出して言ってはいけない。私が言おうとしているのは、話しかけてくる人たち全員に自分の発言を証明する負担を課すということではなく、むしろあなたが彼らの発言を評価する負担を引き受けるということである。

これをパズルのように扱ってみてください。あなたは一般に認められたアイデアが後で間違いだと判明することを知っている。自分がどれを推測できるのか確かめてみてください。最終的な目標は、自分が言われていたことの欠陥を見つけることではなく、破綻したアイデアによって隠されていた新しいアイデアを見つけること。だから、このゲームは知的な衛生のための退屈なプロトコルではなく、新規性のための刺激的な探求であるはずだ。そして、「これは本当か?」と自問するとき、答えがすぐに「はい」ではないことの頻度の多さにあなたは驚くだろう。もしあなたに想像力があれば、先例が少なすぎるよりも多すぎて倣うことができない可能性が高い。

もっと一般的に言えば、あなたのゴールは自分の頭の中に入るものを未調査にしておかないようにすることで、物事は常に発言という形で頭の中に入ってくるわけではない。いくつかの最も強い影響力は暗黙的である。あなたはどうやってこういった影響力にさえ気づくのか? 後ろに下がり、他の人たちがどのようにして自分のアイデアを得ているのかを観察するのだ。

十分な距離で後ろに下がると、あなたはアイデアが人のグループを通じて波のように広がっていくのを見ることができる。最も明らかなものは、ファッションにある。あなたはある種類のシャツを着ている少数の人たち、それから自分の周りの半分の人たちが同じシャツを着ている状態になるまでに、そういった人たちがどんどんと増えることに気がつく。あなたは自分が着ているものをあまり気にしていないかもしれないが、知性的なファッションというのも存在する。そして、あなたはそういったファッションには絶対に参加したくないはずだ。自分の考えに主権が欲しいからだけでなく、ファッショナブルではないアイデアが不釣り合いなほどどこか面白いところへと導く可能性があるからだ。未発見のアイデアを見つけるのに最適な場所は、誰も目を向けていないところである。[4]

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この一般的なアドバイスを上回るために、私たちは自立志向性の内部構造、言ってみれば鍛える必要のある個々の筋肉を見る必要がある。私には自立志向性には3つの要素があるように思える。「真実についての注意深さ」「考えるべきことを言われることへの抵抗」「好奇心」である。

「真実についての注意深さ」とは、ただ単に考えが正しくないものを信じないということではない。これは考えの度合いについて気をつけるということである。ほとんどの人たちにとって、考えの度合いは吟味されていない状態を極端なものへと突き進める。可能性が低いものは不可能となり、可能性が高いものは必然となるのだ。[5]自立志向的な人たちにとって、これは許せないほどいいかげんであるように思える。自立志向的な人たちは、非常に理論的な仮説から(明らかな)トートロジー(=恒真式)まで、何でも自分の頭の中に入れることに積極的であるが、自分が関心を持つテーマについては、すべてのものが注意深く考慮された考えの度合いでラベルを貼られる必要があるのだ。[6]

ゆえに、自立志向的な人たちはイデオロギーが大嫌いである。イデオロギーは、考えの集合体を一度に受け入れ、これらの考えを信仰箇条として扱うことを要求する。自立志向的な人にとって、これは極めて不快であるように思えるだろう。賞味期限や産地が不明な多種多様の材料で満たされたサブマリン・サンドイッチを一口食べることが誰かには食にうるさいように思えるのと同じようだ。

この「真実についての注意深さ」がなければ、あなたは本当の自立志向的になれない。「考えるべきことを言われることへの抵抗」があるだけでは不十分なのだ。こういった人たちは従来型のアイデアを最もでたらめな陰謀論に置き換えるためだけに、従来型のアイデアを拒絶する。そして、陰謀論はそういった人たちを捕らえるために捏造されることが多いので、彼らは普通の人たちよりもあまり自立志向的ではなくなる。なぜなら、単なる慣習よりもはるかに厳格な指導者に支配されるからだ。[7]

あなたは自分の「真実についての注意深さ」を高めることができるのか? 私はできるだろうと思う。私の経験では、単に自分がこだわっていることについて考えるだけで、そのこだわりが育つようになる。もしそうであれば、これは私たちがただそれを欲しがることでより多くを持つことができる珍しい美徳のひとつである。そして、これが他の形態の注意深さのようであれば、子どもたちを励ますことも可能なはずである。私は確かに父から強い励ましの量を得た。[8]

自立志向性の2つ目の要素である「考えるべきことを言われることへの抵抗」は、3つの中で最も目に見えるものである。しかし、これさえも誤解されることがよくある。人びとがこの要素に関してする大きな間違えは、この要素を単にネガティブな資質だと考えることである。私たちが使う言語はそのアイデアを強固にする。あなたは非従来型である。他の人たちが考えていることを気にしないのだ。しかし、これは単なる一種の免疫ではない。最も自立志向的な人たちの中では、考えるべきことを言われたくないという欲求はポジティブな力である。これは単なる懐疑的な態度ではなく、従来の常識を覆すアイデアへの積極的な喜びであり、反直感的であればあるほどいいのである。

いくつかの最も新規的なアイデアは当時はほとんど実用的なジョークのように思えた。自分の新規的なアイデアへの反応がどれほどの頻度で笑うことであるのか考えてみてください。私は新規的なアイデア自体が面白いからではなく、新規性とユーモアはある種の驚きを共有しているからだと考える。しかし、同一ではない一方で、この2つは近いので、ユーモアがないことと従来志向的であることの間に相関関係があるのと同じように、ユーモアのセンスがあることと自立志向的であることの間には明確な相関関係がある。[9]

私たちが「考えるべきことを言われることへの抵抗」を著しく高めることができるとは思わない。これは自立志向性の3つの要素の中で最も先天的なものであるように思える。大人になってこの資質を持つ人たちは、子どもの頃にあまりにも目に見えてしまう資質の兆候を見せていたことが多い。でも、もし私たちが「考えるべきことを言われることへの抵抗」を高めることができないのなら、自分たち自身を他の自立志向的な人たちで取り囲むことで、少なくともその要素を強化することはできる。

自立志向性の3つ目の要素である「好奇心」が最も興味深いかもしれない。新規的なアイデアがやってくる場所という質問に私たちが簡潔な答えを出せる範囲では、その答えは「好奇心」である。これは人びとが持つ前に通常感じていることである。

私の経験では、自立志向性と好奇心は完全にお互いを予測する。私の知る自立志向的な人たちは全員好奇心が強く、私の知る従来志向的な人たちは全員そうではない。不思議なことに、子どもは例外である。すべての小さな子どもは好奇心が強い。おそらくその理由は、どんな慣習であるのかを学ぶために、従来志向的な人でさえ最初は好奇心が強くなければならないからだ。一方で、自立志向的な人たちは、お腹がいっぱいになった後でも食べ続ける好奇心の大食家である。[10]

自立志向性の3つの要素は協調して機能する。「真実についての注意深さ」と「考えるべきことを言われることへの抵抗」はあなたの脳にスペースを残し、「好奇心」がそのスペースを満たす新しいアイデアを見つける。

興味深いことに、筋肉がお互いに代わりとなることができるのとほぼ同じ方法で、この3つの要素はお互いに代わりとなることができる。

もしあなたが十分に真実について注意深ければ、あなたは考えるべきことを言われることへの抵抗者のようになる必要はない。なぜなら、注意深さだけでは自分の知識に十分なギャップを生み出すことになるからである。そして、どちらか一方が「好奇心」を補うことができる。なぜなら、あなたが自分の頭に十分なスペースを作れば、結果として生じる真空空間への不快感が自分の好奇心に力を加えることになるからである。あるいは、好奇心が2つの要素を補うことができる。あなたが好奇心旺盛であれば、あなたは自分の頭にスペースを空ける必要はない。なぜなら、あなたが発見した新しいアイデアはデフォルトで取得した従来型のアイデアを押し出すことになるからである。

自立志向性の要素は非常に交換可能であるため、あなたはこれらの要素を様々な度合いにすることができ、また依然として同じ結果を得られる。だから、ただ一つの自立志向性モデルが存在するわけではないのだ。自立志向的な人たちには公然と破壊的である人もいれば、静かに好奇心旺盛である人もいる。だけども、自立志向的な人たち全員が秘密の握手を知っている。

「好奇心」を育む方法はあるのか? まず最初に、あなたは「好奇心」を抑制する状況を避けたい。あなたが今やっている仕事はどのくらい自分の「好奇心」に関与しているのか? その答えが「あまり関与していない」である場合、あなたは何かを変えるべきかもしれない。

あなたが自分の「好奇心」を育むために取ることができる最も重要で積極的な手段は、おそらく自分の好奇心に関与するトピックを探し求めることである。すべてのことに同じように好奇心を持てる大人はほとんどいないし、どのトピックが自分に興味をもたせるかをあなたが選択できるようには思えない。なので、トピックを見つけるのはあなた次第だ。あるいは、必要であればトピックを生み出しなさい。

自分の「好奇心」を高めるもう一つの方法は、あなたが興味を持っていることを調べることで自分の好奇心に浸かることである。好奇心はこの点では他のほとんどの欲求とは異なっている。好奇心に浸かることは、好奇心を満たすよりもむしろ好奇心を高める傾向がある。質問がより多くの質問を導くのである。

「好奇心」は、「真実についての注意深さ」や「考えるべきことを言われることへの抵抗」に比べるとより個人的なものであるように思われる。人びとが後者の2つを持つ度合いまで、これらの要素は通常かなり一般的であるのに対して、異なる人たちが非常に異なることに興味を持つことがある。だから、おそらく好奇心はここではコンパスである。もしかすると、自分のゴールが新規的なアイデアを発見することである場合、あなたのモットーは「自分が好きなことをする(Do what you love.)」というよりも「自分が好奇心を持てることをする(Do what you're curious about.)」であるべきはずだ。

注釈

[1]「誰も従来志向的であることを見なさない」という事実のひとつの便利な結果は、あまりトラブルに巻き込まれることなく従来志向的な人たちについて自分の好きなことを言えるということである。私が「コンフォーミズムの四象限」を書いたとき、積極的に従来志向的である人たちからの怒りの嵐を予想していたが、実際にはかなり静かだった。彼らは自分たちが強く嫌うエッセーに何かがあると感じ取っていたが、ピンを留めるべきある特定の一節を見つけるのに苦労していた。

[2]自分の人生の中で高校のようなものは何かと自問すると、その答えは Twitter である。Twitter はその大きさが必然的に何であろうと、従来志向的な人たちで満ちているだけでなく、自分に神ユピテルの描写を思い起こすような従来志向性の激しい嵐にさらされる。だが、Twitter で時間を過ごすことはおそらく純損失であるものの、少なくとも自立志向性と従来志向性の違いについてより考えるようにしてくれた。そうでなければ、私はおそらく両者の違いについて考えていなかっただろう。

[3]成長するスタートアップでの自立志向性の低下は今でも未解決の問題であるが、解決策があるかもしれない。

創業者は自立志向的な人たちを雇うことだけに意識的な努力をすることで、この問題を先送りにすることができる。これにはもちろん自立志向的な人たちがより良いアイデアを持っているという付随的な恩恵がある。

もう一つの可能な解決策は、従来志向的な人たちがそれほど危険ではないようにするために、原子炉の制御棒が連鎖反応を遅らせるのと同じように、コンフォーミズムの力をどうにかして分断する政策を作成することである。

ロッキード社のスカンクワークスの物理的な分離には、副次的な効果としてこの解決策があったかもしれない。最近の事例では、Slack のような従業員掲示板が純然たるいいモノではない可能性があることを示唆している。

最も抜本的な解決策は、会社を成長させることなく収益を伸ばすことだろう。あなたはあの若手の広報担当者を雇うことは一人のプログラマーに比べて安いだろうと考えるが、自社内の自立志向性の平均レベルにどんな影響があるだろうか? (教員に対する職員の増加は、大学にも同じような影響を与えているように思える。)もしかすると、自社の「コア・コンピテンシー」ではない仕事を外注することに関するルールは、従業員として自社のカルチャーをダメにするだろう人たちに行われた仕事を外注することに関するルールによって拡張されるべきだ。

ある投資会社は、従業員の数を増やすことなく、既に収益を伸ばすことができているようだ。自動化とますます高まる「テック・スタック(Tech Stack)」のアーティキュレーションは、プロダクト会社にとってこのことがいつの日か実現可能であるかもしれないことを示唆している。

[4]どの分野でも知的なファッションはあるが、その影響は様々である。たとえば、政治が退屈になりがちな理由の一つは、政治が非常に極めて知的なファッションの影響を受けるからである。政治に関する意見を持つことの閾値は、集合論に関して意見を持つことの閾値よりもはるかに低い。なので、政治にはいくつかのアイデアが存在するが、これらのアイデアは実際には知的なファッションの波にのまれる傾向がある。

[5]従来志向的な人たちは、自分たちが自立志向的であると思い込むように至らせる意見の強さにダマサれることが多い。だが、強い確信は自立志向性のサインではない。むしろその反対である。

[6]「真実についての注意深さ」は、自立志向的な人が不誠実にならないことを意味するのではなく、自立志向的な人が騙されないことを暗示している。これは、意図せずに無礼であることが絶対にない人のような紳士の定義のようなものである。

[7]あなたはこれを特に政治的な過激派の間で見る。政治的な過激派は自分たちを非コンフォーミストであると考えているが、実際はニッチなコンフォーミストである。政治的な過激派の意見は平均的な人の意見とは異なるかもしれないが、彼らは平均的な人の意見よりも自分たちの仲間の意見により影響を受けていることが多い。

[8]「真実についての注意深さ」が厳密な意味での「ウソ」だけでなく、「迎合」「偽物」「うぬぼれた態度」をも除外するために、私たちが「真実についての注意深さ」の概念を広げるとしたら、私たちの自立志向性モデルはさらにアートまで広がることができる。

[9]しかし、この相関関係は完全とは程遠い。ゲーデル(Gödel)とディラク(Dirac)はユーモアの部門ではあまり強くなかったようである。しかし、「神経学的機能が標準」かつユーモアがない人は従来志向的である可能性が非常に高い。

[10]例外:ゴシップ。ほとんどの人がゴシップに興味がある。

このエッセーの下書きを読んでくれたトレバー・ブラックウェル、ポール・ブックハイト、パトリック・コリソン、ジェシカ・リビングストン、ロバート・モリス、Harj Taggar、ピーター・ティールに感謝する。


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