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その気持ちを聞かせてほしい

この一週間くらいで、うっかりドラマ版『凪のお暇』の第一話だけを2回も観てしまった。
2回観て、2回とも同じところで一瞬息ができなくなった。「うっかり」と言ったのも、2回目に観たときに「あ、あのシーンが来る」と身構えたときには時すでに遅し、そのシーンが始まり1回目と同じように苦しくなった。
そのシーンというのは、慎二が凪に“呪い”をかける場面。正確な台詞は覚えていないけど、「お前は俺から逃げられない」というような言葉を凪のもじゃもじゃ頭をわしづかみにしながら慎二が吐く。モラハラとかDVとかストーカーとか、いろんな予感が頭をよぎる場面だ。
高橋一生のかっこよさを演技の上手さが上回り、多くの視聴者が本気でぞっとするシーンなのではないかと思う。

その後すぐに家を飛び出す凪のように、私の呼吸も直後には回復したのだけれど、それでもなにかべたっとした嫌な感覚が残った。

 

苦手なものが多い。

苦手なもの、といっても、にんじんが食べられないとか、キッチンに出るあの黒だか茶色だかの虫が嫌いとか、そういうことではない。にんじんを無理に食べれば「うげー」となるし、あの虫に出会えばぎょっとするが、それらは私という存在を脅かしたりはしない。

 

この厄介な「苦手なもの」は大きく二つに私の中で分けられるように思う。

ひとつはパニックを引き起こすトリガーになるもの。例えば、映画館の真ん中の席。出口へのアクセスが悪い場所に長時間留まることがすごく苦手なので、本当は映画を真ん中の席でじっくり味わいたいけれど、仕方なくいつも通路側の席を選んでいる。
これは以前心療内科の先生に「教科書に書いてあるくらい典型的な症状」と言われたように、持病に伴って現れたパニックの症状だ。
映画館、美容院、電車など、出口(というか私の場合トイレ)にすぐ向かうことのできない場所が、大人になり、精神的に一度参ってしまってから極端に苦手になった。
しかしこれはある種の「症状」なので、精神状態とか、細かな条件付けによってかなりマシになる。なんだかんだ美容院だって定期的に通っているし、電車もこまめに止まる電車か車内にトイレがある電車なら問題なく乗れる。

もう一つは、自分でも何が怖いのかわからないけど、どうしても克服できずに怯え続けているもの。
このいい例は鍵のあく音。これも精神状態に影響されるとはいえ、影響のされ方が上の場合とは正反対。リラックスして、「素」に近い状態の時ほど、鍵のあく音にびっくりして「逃げなきゃ、隠れなきゃ」という気持ちに襲われ冷や汗が出る。
鍵の音に関して言えば原因は明白で、実家にいたころ、ふだんは終電過ぎに帰る父が気まぐれに9時とか10時に帰ってくると母と2人で大急ぎで二階へ逃げていた。その時の恐怖心が刷り込まれたものだろう。
しかし、もちろん今わたしが暮らす家に父が帰ってくることはないし、鍵が開けられたって怖いことなんて何もない。もうそんな環境で10年近く暮らしているので、よほどリラックスしている時でなければ鍵の音で冷や汗をかくこともかなり減った。

 

少し前、「怒鳴ってしまう人」について友人2人と話をした。
怒鳴る人も、私がどうにも苦手なもののひとつ。もちろん怒鳴られるのが好きな人はいないと思うけれど、私にとってそれは不快感でも嫌悪でもなく、ほとんど純粋な恐怖だ。
相手が怒るかもしれない、怒鳴るかもしれないと察知しただけで動悸がしてくる、怒鳴られたときには頭が真っ白になり、冷や汗が出て、体が震えてくる。その場を立ち去るのだって脚ががくがくしているので一苦労だし、ましてや言い返すなんて夢のまた夢。
数か月前に4年付き合った彼氏と別れたのも、突き詰めればこれが原因だったといっても過言ではない。怒ったり怒鳴ったりする彼に嫌気がさしたのではない、彼を怒らせることが怖くて、その「予期不安」みたいなものに日常生活さえ蝕まれて、私がそれに疲れ果ててしまった。

そして私は友人たちに、「怒鳴る人の気持ちが知りたい」という話をしていた。これはもちろん「気が知れない!」みたいな糾弾ではなく、本当に、ただ知りたいし理解したい。
私自身はかっとなることも怒鳴ることもほぼ無いタイプなうえに、怒鳴られると顕著に身体症状が出るくらい怖いので、「怒鳴る≒殴る」くらいに思っている。というかもはや怒鳴るくらいなら殴ってくれ、と思っている面さえある。殴られたらさすがに「それはいかん、お前が悪い」と相手に怒ったり、責めたり、縁を切ったりできる気がする。しかし「怒鳴る」に関しては、どうも理解の基準が周りとずれているらしい、という認識があるだけでいまいちその位置づけがわからない。
だから「思わず」「かっとなって」怒鳴ってしまう人が、どんな認識を持っていて、どんな気持ちで怒鳴るのかを知りたい。鍵のあく音が少しずつ怖くなくなったように、怒鳴る人が「それほど危険なものではない」と理解できれば、少なくとも頭では「大丈夫、相手は怒っているだけで危険ではない」と思えれば、状況はマシになるのでは、と期待しているのだ。

しかし友人によれば「怒鳴るのがいいこととは思っていないけど、それは感情がどうしようもなく出てきてしまう状態だから仕方がない」ということで、そこに理由も理屈もないそうだ。
もう一人からも「怒鳴らない人と付き合えばいい」と言われてしまった。うーん、そういうものか?怒鳴る人どころか怒る人すら現状厳しいんだけど(特に男性の場合)、怒らない人なんてこの世にいるの・・・?

というか、真剣に話を聞いてくれていた友人たちには申し訳ないのだけど、正直あの時すでに「怒鳴る人」について考え、それを他者と話し合う(=相手が怒る可能性がわずかでもある)という状況にすでに脳があわあわしていて、実は何を話したのかよく覚えていないのだ。
電話越しなのだから怒鳴られたらボタンひとつで逃げ出せるし、殴られる心配だってないのにね。私は何にそんなにも怯えているんだろう。

「わかる必要はない」と時間をかけて説明してくれた二人の善意を無視するようだけど、むしろ私はその時の会話で「わかりたい」という気持ちが強くなった。恋人相手ならともかく、友人相手にまで「怒らせたらどうしよう」「怒ってるんじゃないか」と自己防衛のために邪推しながら会話をするのはしんどい。
怒らせたって、意見が食い違ったって、きちんと話し合って、仲直りすればいい。でも今の私の状態は、とにかく怒らせたくない、怒る姿を見てしまったら自分の心身の健康のために友人を切り捨ててしまうかもしれない、そういうところまできている。
もちろんこれは、怒りっぽい元彼に散々怒鳴られて気持ちが警戒状態のまま緩んでいないという部分もあると思う。時間が経ったら、もう少しましになるかなぁ。

 

答えは全く見えていないのだけど、とりあえずこれからも、かっとなる/怒鳴る人の心理と自分の恐怖心の原因を並行して探っていくと思う。今の私にできることがそれくらいしか思い浮かばないし、何もしないで放っておくには少し日常を侵食しすぎている。

怒鳴る人への恐怖心が、いつかゴキブリへの恐怖心と同じくらいになったらいいな。いや、まあ、この比較対象はどうかと思うけど。

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