キキとアンと「小さな子供」
金曜ロードショーで放送されたらしく、少し前から映画『魔女の宅急便』の感想をちらほら見かける。それを見てもやっとした私は、「私は魔女宅のような作品をどうしても好きになれない自分を好きになれない部分が自分の中にあるということを自分の強みとも弱みとも思っている(悪文の一例)」とtwitterでつぶやいた。
こんな変な文章で書いたのも、最後に(悪文の一例)ってつけたのも、恥ずかしかったからだ。『魔女宅』を好きになれない気持ちは、私の中の情けなくて恥ずかしくて、でもどうしようもなく真ん中の大事な部分につながっている。
私の頭の中で『魔女宅』と『赤毛のアン』は、「十代前半の女の子がいろいろ葛藤しながらも周囲の大人に見守られて成長する物語」として同じカテゴリーに入っている。『赤毛のアン』のアニメ版は高畑勲が監督。どちらも日本アニメ史に残る名作だし人気作。しかし私はこの二作がどうしても好きになれない。どちらかというと嫌い。
数年前まで『魔女宅』は、好きでも嫌いでもなかった。ただピンとこないし、さして興味も持てなかった。ジジかわいい、とか、「ルージュの伝言」が良い曲、とか、なんとなく周縁の要素を楽しむだけ。『赤毛のアン』に至っては、本はずっと昔に読んで「ふーん」と思ったけど、アニメの存在すら知らなかった。
3年ほど前に初めて『赤毛のアン』のアニメ版を観た。『魔女宅』と違い幼少期のぼんやりした楽しかった記憶とさえ結び付いてない『赤毛のアン』は、興味が持てないどころか、私にとってひどく不快だった。観ていてイライラした。彼氏に勧められたからという単純な理由で見始めて、5話くらいで限界を感じた。何にイラついていたのか。アンにだった。気づけばアンの言動にいちいち神経を逆撫でされている自分がいた。私は、アンという少女が嫌いだった。
アンの、「いい子にする」と言いながら空想に浸って何かと失敗してしまうところ、叱られてもすぐにけろっとしているところ、自分の空想を恥ずかしげもなく人に語ってしまうところ、そういうところが全部嫌いだった。なんでちゃんといい子にしないんだ。人に迷惑をかける空想も幼稚で感じが悪い。子供っぽい空想なんてやめて家事か勉強でもすべきだ。アンは身勝手な悪い子だ。こんなにマシュウとマリラに大事にされてるんだから、もっとちゃんとしろよ。
このあたりでさすがに気づいた。これ、嫉妬だ、って。
アンという少女がちょっと変わってても、失敗しても、子供っぽくても、マシュウとマリラはアンを見放さない。マシュウは見守ってくれるし、マリラは叱ってくれる。それも、アンという少女の人格や存在は否定せず、良い大人になるよう導こうとしてくれる。『赤毛のアン』が大好きだという元彼は、マシュウやマリラの視点にたってアンを見られるからこれは良い作品だ、と力説していた。言ってることはわかるけど、全然納得できなかった。私の心の中は、無条件に(と私には見える)周囲の大人から愛され、叱られ、大事にされるアンへの嫉妬心であふれかえっていた。
『魔女宅』に関しても、「この歳になるとキキを見守る周りの大人の気持ちで観られる」なんて声を聞く。全然共感できない。なんで突然旅にでるとか言ってるのに両親揃って涙ぐんで見送りとかしちゃうの?おそのさんもニシンのパイのおばあちゃんもなんでそんなにキキに親切なの?そんなにキキって「良い子」なの?なんかズルくない?そういう、とても馬鹿らしくて歪んだ嫉妬をしてしまう。『魔女宅』に対する数年前までの無関心は、気づけば怒りと憎しみに変化していた。
とてもとても小さい頃から、子供っぽいことは悪いことだと思ってきた。子供っぽい子、わがままな子、いたずらやいじわるしちゃう子、親の言うことを聞かない子、親の期待に沿えない子、そういう子は「悪い子」だからいなくなった方がいいし親や周囲の人に愛される資格もないと思っていた。言葉にするとずいぶん極端な思考に聞こえるけど、おそらく母の態度7割、私の資質3割くらいが原因で、本当にこんな風に思っていた。その適応範囲が自分のみだったのは不幸中の幸い。「なぜみんな親に反抗できるの?」と幼稚園のころから疑問だったが、深くは考えなかった。
だから私は、我慢強くて、おとなしくて、従順な「良い子」になった。幼いうちは母の言いつけをとにかくきちんと守った。「悪い子」だと母に思われたら捨てられると怯えていた。母が、私の存在価値を握っていた。
もう少し大きくなったころには、善悪の基準が母だけではないことを知り、今度は漠然とした世間にたいして「良い子」になった。勉強して、人に親切にして、責任感の強い子。その「良い子」度合いが私の存在価値をはかると思っていたから、ひとつひとつの感情の中で「正解」と思えるものだけを自分の感情と認めた。それを本当に望んでいるのか、本心なのかと問われてもわからなくなるくらい、私の感情は想像上の良識にべったりはりついていた。自分の好き嫌いや性質なんて考える隙もなく、私はしっかりしてて「大人っぽい」、両親の面倒を見られる「良い子」になった。それが私に求められてる役割で、私はそれを完璧にこなさなければならないと10代の私は信じ込んでいた。
こうやって本当は子供が言いたかったわがままを全部抑え込むとどうなるか。私の場合、私の中に小さな子供が発生した。
この子は基本的に、私の夢の中にしか出てこない。私の夢に出てきて、好き勝手に泣いたり怒ったり、ときには踊ったり笑ったり、何かが欲しいとか何かが嫌だとか散々駄々をこねたりする。ずっとこの子は夢の中のお友達だった。
でも、20代後半で病気になったあたりから、この子の声がたまに起きているときでも聞こえるようになった。胸のあたりから、「いやだ」と叫ぶ声が聞こえた。ちなみにこれは、比喩的な意味ではない。感じるというより、音として聞こえる。私のなかのインナーチャイルドは、ただの「イメージ」と呼ぶにはもう少ししっかりした何かになってしまった。
その頃に私が受けていたカウンセリングは、基本的にこの小さな子供を癒す作業、何よりまずはその子の話を聞いてあげる作業だった。これまで「子供っぽい」と馬鹿にして私がこの子に我慢させてきたことを、叶えられるかはともかく、片っ端から聞いて、その思いの存在を認めてやる必要があった。
転んだら痛かったし泣きたかった、「大丈夫?」って言ってほしかった。友達にいじわるされたら悲しかった、話を聞いてほしかった。「私に似てないから嫌い」って言わないでほしかった。お酒を飲まないでほしかった。一緒に夕飯を食べてほしかった。あの時、あの言葉にはとても傷ついた。
こういうことを、口に出すどころか願ったり思ったりすることさえ、私はずっと無意識に自分に禁じてきた。そんなのは子供の考えることだ、私はもう大人だから大丈夫。意地悪するような子は幼稚で愚かだから、私が大目に見てあげなければいかない。母がお酒を飲んだり夜にいなくなってしまうのは、私がもう十分に自立しているから。そういう身勝手で無理のある理屈を作り上げて、その手前にある悲しさや苦しさは無い物としてきた。カウンセリングを受け始めたころは、本当にそれらの感情の存在に気づいていなかったのだから恐ろしい。そうやってとても長い間、すべての都合の悪いものを押し込め、夢の中の小さな子供にはしゃいだり泣いたりしてもらうことでどうにかそのギャップを解消しようとしてきた。その子が表に出てきて抗議をする必要が出てくるくらい、すさまじい我慢をさせてきてしまったことを、今はなんだか申し訳なく思っている。私だけでも、もっと甘やかしてあげればよかったね。
約3年のカウンセリングを受け、意識的にもおそらく無意識的にも自分を変えてきた。この小さな子供との付き合い方もかなり変えた。すると、この子の声が聞こえることはなくなり、夢の中にもほとんど出てこなくなった。ちょっと寂しい。そのかわり、私は徐々に、この子の気持ちを自分の気持ちとして感じることができるようになってきている。自分のものかどうか曖昧な、今まで感じたことのない感情が、時々ぽっとわいてくる。嫌なことは嫌だと感じていい。そのうえで、どう行動に移せばいいか、その気持ちの原因は何かを考えればいい。私がこんな簡単なことをずっと学んでこなかったせいで、小さな子供にはずいぶん無理をさせてしまった。
『赤毛のアン』に出会ったのは時期も良くなかったね。その小さな子供の声を聞いてあげようと努力していた時期だったからこそ、その子が発する「アンはずるい!うらやましい!私もあんな風にそのままで大事にされたい!」という叫びが大きくなり、大人ぶった私は焦ってそれを押しつぶそうとアンに対する批判をでっちあげた。アンは、あれでいいのだ。私の中の小さな子供が心底うらやんでしまうくらい、『赤毛のアン』は素敵な世界を提示している。私の嫉妬も、『赤毛のアン』も、『魔女宅』も、そのままでいい。
今でも、その小さな子供の、というか今ではほとんど私の、キキやアンに対する嫉妬は収まらない。あんなにのびのびと好き勝手にしている(ように見える)彼女たちがなぜ周囲からあれほど愛されるのか、作品がフィクションだということを忘れそうになるくらい嫉妬と疑念がぐるぐるしてくるし、その奥を覗きこめばやっぱり悲しさや寂しさがある。子供時代に身近な大人とぎくしゃくした関係しか築けなかった私には、その感情を完全に克服することは無理なのかもしれない。でも、もうできるだけその小さな子供に我慢させたくないから、嫉妬は嫉妬として、悲しみは悲しみとして、ちゃんと感じとっておく。
私の好きな宮崎駿作品は『崖の上のポニョ』、高畑勲作品は『かぐや姫の物語』です。
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