ハーフなら適切な教育なしでバイリンガルになる⁉︎
バイリンガルに子供をするために必要なのは結局のところ、
この2つが必要だと思うのです。
言語を話す環境
言語を話すことで得られる報酬
なぜそんな話をするかと言えば、今日それを実感させられるあるハーフの子どもに出会ったからなんですよね。そんな話をしてみましょう。
友人のハーフの子供がスペイン語を話さない?
私の友人の南米人にはお子さんがいます。
彼女は日本人とのハーフで今年、小学校に入学しました。
それ以前、彼女はスペイン語も使って私と会話していたので、
私は彼女が日本の小学校に通えば日本語もスペイン語もうまくなると思っていました。
ところが、小学校に入学してみて数ヶ月、
久しぶりに会ってみたら彼女に大きな変化していました。
スペイン語を話さなくなっていたのです。
半年前はあんなに楽しそうだったのに
私がスペイン語を使うとほんの半年前までは元気にスペイン語で返事をしていた彼女。ところが、その日は反応が違いました。
「久しぶりだね~!元気にしてた?」
と、聞いてみても昔のようにすぐにスペイン語で返事をしてきません。
それどころか返事が日本語だけになっているではありませんか。
と日本語で返事が返ってきます。
たしかに、日本語は確実に上手くなってます。
例えば、年上の人に「さん」を付けるのを覚えたようです。
でも、何をスペイン語で話しかけても反応が悪い。
基本的には日本語で返事をしてきます。
彼女に何があったんだろう?
ということで、お母さんにそれとはなく聞いてみたら…
「学校でハーフなのに英語話せないのかって言われたのよね」
と話を聞いて、ピンと来ました。
あぁ、それは自分の経験と同じだ。
多言語マウンティングゴリラだらけだった私の小学校
それは私の小学校時代の話。
インターで学んでいるわけでもないのに、
私の小学校には多国籍なルーツを持つ子どもたちが集まっていました。
で、ある日始まったのが「お前の家族は何の言語を話せるか」
マウンティング大会です。
ルールは簡単。
お互いの家族が何の言語を話せるか、そして話せる言語の数が多ければ多いほどカーストが高いと判断されます。
この校内チャンピオンシップの首位はカナダ人とのハーフのA君でした。
彼のお父さんはカナダ人ですが、ルーマニアからの移民でもあったので、
英語に加えて、ルーマニア語そして日本語を話せるという3言語家族だったためです。
これは強い。カースト頂点に君臨し、女の子達も尊敬の眼差しでした。
ところでこのマウンティングで問題になるのは圧倒的言語数を誇るボスザルの地位ではありません。
その次のランクの争い、すなわち日本語+何語かを話せる2言語話者の世界の戦いだったのです。
英語+日本語 VS スペイン語+日本語
例えばアメリカ人とのハーフだったB君は英語と日本語が話せます。
すなわちカーストで言えば2番目になるはずです。
しかし、周りには日本語と中国語を話せるC君の家族や、私の様に日本語とスペイン語を話す家族もいました。
ルールを杓子定規に解釈すればB君とC君、そして私の家族は中位カーストにランキングされます。
しかし、それではあまりにも中位カーストが増えすぎてしまいます。
特権感が薄い…
そこで、B君の周りの友達が突然新たなルールを付け加えたのです。
(B君自身はまじでおっとりしたいい子でした)
えっ?スペイン語は英語の下位互換なの・・・?
そう、判断されるの・・・?
とショックを受けた瞬間でした。
てっきり言語が多く話せれば話せるほど評価されると思っていたのに、
話せる言語の中にもランクがあると判断されている事実を知った私はみるみるスペイン語を学ぶ気力を失い、家に帰りました。
そして父に正直に話したのです。
「パパ、学校のみんながスペイン語よりも英語ができる方がいいって言うんだ。本当なの?スペイン語できるのは意味がないの?」
すると父はこう答えました。
スペイン語の方が英語よりいいぞ?なぜなら・・・
今思えばその「スペイン語が英語よりも優れている」理論はめちゃくちゃなのですが、子供の私にはとてつもない納得感を与えてくれました。
それはこんな感じ
小学生の私にとって、アメリカ(英語の国)よりも遥かに広い地域で
スペイン語が話されているからスペイン語の方が上位カースト論はめちゃくちゃ響きました。
さらに…
この瞬間、私は確信しました。
同級生は間違っていて、大人である父が正しいと。
そして英語が素晴らしいと考えている誤った者たちを私は訂正しなければならないと義憤に燃えたのです。
正義は私。間違っているのはアイツら。間違いを正さなければ行けない。
こうして、翌日小学校に行き、B君の周りで話す「英語原理主義者達」にいかにスペイン語が優れているか、そしてスペイン語を学ぶだけで複数言語がわかるようになるか説明しました。
形勢逆転です。スペイン語がわかるだけで残りの3言語もわかってしまうとすれば話せる言語数が多ければ多いほどカーストが上の小学校社会では一気に私がスターダムに駆け上がります。
そうして、みんなこうなりました。
今思えばこんな無茶苦茶論理が通じたのは子供だったからですが…
ともかく、私はこの瞬間スペイン語を学ぶモチベーションを取り戻しました。
なぜなら私はスペイン語ができればカースト上位だからです。
子供だって、環境と報酬で行動してる
この様に、子供だって何か行動を起こす時、その環境と報酬の有無によって大きく影響を受けています。
いや、むしろ子供の方が分別がない分、大人よりも影響を受けやすいかもしれません。もっと詳しく説明すればこの「環境」と「報酬」とはこういうことです。
環境: やらなきゃいけない環境だから人は行動する
まずはムチ、ある行動をしなければいけない「環境」、それができなければデメリットがあるような場所にいることが必要です。
例えば私の場合は小学校の時外国語ができない人間はカーストが低いと判断される環境にいました。
だから否が応でも外国語について自然と向き合う様になったのです。
だって、ドッジボールの時集中的に狙われるような立場になりたくないですからね。
報酬: 褒められないと人は行動しない
しかし、環境だけでは駄目です。ムチといっしょにアメも必要です。
そして子供には褒められることが最大のアメです。
なぜなら大人から褒められていれば自動的にカーストが上がっていくからです。
私の小学校の場合は大人からも「いろんな言語ができてすごいねぇ」と褒められる上に同級生からも「こいつ、カーストが上や!」と判断されるメリットまで付いていました。
そうです、スペイン語で1から20まで数えられれば、もう英雄だったんです。女の子も「すご~い!」といいます。
結局何歳になっても人間、承認欲求で生きてるんだなぁと実感します。
こんな環境で育てれば、サイクルがうまく周りだしてどんどんモチベが上がるんですよね。そして「これはペンです」をスペイン語で言えるようになればもはやその小学校の大統領になったようなものです。
サイコーじゃないですか。ねぇ?
ところで、振り返って見ると友人の子供の環境はおそらく私の育った小学校とは別物だったのでしょう。
スペイン語を使うと褒められる環境が必要
彼女が通う小学校の学区の事を考えれば明らかに「普通の日本人」が99%であることが考えられます。だとすれば彼女の環境はどうでしょうか?
きっとスペイン語が話せる事が好意的に受け入れられた私の小学校時代の環境とは大きく異なっている事が予想されます。
ハーフであれば英語が話せると6歳の子供が最初から知っている事も考え辛いので、おそらく子供の両親がハーフの子供がいると知って「じゃあ、その子は英語が話せるんでしょうね。」
なんて伝えたんではないでしょうか。
別にそれは何も悪くないのですが、そういう小さな事から彼女が自分のルーツであったりアイデンティティであるスペイン語への興味を失わせるきっかけが生まれる可能性があります。
とはいえ、日本社会に住んでいる以上小さい苦痛からいつまでも逃げ続けるわけにも行きません。ですので、学区を変えるとか以外で提案したいのは
土日スペイン語圏の世界にどっぷり浸かることです。
例えばスペイン語であればスペイン文化会館が運営している図書館などがあります。司書さんも生粋のスペイン人でスペイン語の児童書も豊富。
毎週そこに通って本を読んだり、言語交換でネイティブと交流するのもいいかもしれません。
他にも日系ペルー人が集まるNPOとかもあるのでそこに参加するのも勧めたいです。
少なくともこういう場所を体験すれば、小学校以外の社会もあるんだと学ばせることができるでしょう。
仮に小学校で嫌なことがあっても、もう一つの社会があれば逃げ場所ができますし、そこでスペイン語が評価されるならスペイン語も伸ばす機会が得られますから一挙両得ですよね。
しかし、難点があるとすればこういう手段が取れるのは国内では首都圏くらいだと言うことです。関西に行っただけでも外国人コミュニティは東京と比べてかなり小さくなるので、その辺は地方に住む国際カップルは覚悟しないといけないことですね。
果たして彼女は今後どんな風に成長していくのか、私も楽しみです。