COLUMN:「縄文からの歴史が層になって見える都市、東京の魅力」 吉見俊哉(社会学者)


東京ビエンナーレでは「見なれぬ景色へ」というテーマを掲げ、東京という都市に眠る記憶をもう一度浮かび上がらせようとしています。私は昨年、東京ビエンナーレと同じような考え方で、『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(集英社文庫)という書籍を上梓しました。この本では、東京の街を歩きながら地史、歴史に潜り込み都市全体を考察しているのですが、今回の東京ビエンナーレが対象とするエリアと同じ部分が多いので、少し紹介させてもらいます。

東京は非常にいびつな発展の仕方をしてきた世界でも珍しい都市です。東京が現在のような近代都市になるまで、大きく3度占領され、都市化が行われてきました。この3度の占領で街がどう変わってきたのかを遡っていき、東京の成り立ちについて考えてみたいと思います。最初の占領が行われたのは1590年。徳川家康がかの地に来て近世都市としての江戸を土木事業を通じて大改造していく、江戸城築城のプロセスです。この最初の占領が行われる前には、もちろん先住民がいました。歴史は縄文時代にまで遡ります。

約1万年前、氷河期の終わり頃、海水面が上昇して、今まで朝鮮半島とつながっていた日本列島が水で覆われ始め、日本列島の基本形ができ上がりました。当時の東京湾というのは、現在よりもずーっと深くて北は埼玉の浦和あたりまで、東は霞ヶ浦のあたりまですべて海でした。それがだんだん冷え上がって江戸周辺の土地ができ始めます。当時の江戸は川だらけで、大雨が降ると川が氾濫して洪水が起き街はすべてが水浸し。水害が多い土地でした。

江戸時代以前の土地に住んでいたのは縄文人であり、海の岸部を中心にたくさんの集落を作っていました。それが7000年前くらいになると、中国大陸が拡大し、朝鮮半島の人たちがどんどん南下し日本列島に入り込み、最初の文明を築いていきます。最初は九州から瀬戸内海を伝って奈良までやってきて大和王朝を築き、どんどん東へ来て、先住民であった縄文人たちと接触していきます。関東の土地の名称を見ると、韓国由来の地名が多いことがわかります。その後、縄文人と渡来人の間で婚姻関係が結ばれ、混交が起こってくる。それが諸豪族となって関東各地に村を築いていきました。

そんな農村地域にまずは太田道灌が入り、江戸城を築城。その後徳川がやってきて、縄文人と渡来人により形成されていた江戸の秩序を制圧して、徳川の江戸へと大きく変えていくのです。まずは水害が多い江戸の川の流れを制御し、徹底的に治水を行ないました。もともと御茶ノ水の辺り駿河台は、本郷・湯島と地続きで「神田山」と呼ばれていました。徳川家康は、その神田山を切り崩して、新たに堀をつくり浅草まで延長。そして、堀の土砂を利用して、江戸城の南側に広がる日比谷入り江(現在の新橋や日比谷公園あたり)を埋め立てた。当時としてはかなり大規模な大改造を行ないました。

二番目の占領は1865年、明治維新です。都市の中心は水辺と寺社地から、鉄道と軍隊へと変わってゆきます。明治時代の変革で一番大きいのは、それまで一般的だった水路から陸路への変換したこと。そして、江戸とは打って変わって軍事施設が立ち並び、大日本帝国の軍都へと発達していきます。そして三度目の占領は、1945年。アメリカGHQによる占領です。第二次大戦の敗戦から米軍によって占領されて、軍事施設はアメリカ軍のものになりました。その後、旧ワシントンハイツが国立競技場となり、1964年に東京オリンピックが行なわれました。

都市が別の勢力によって占領され、別の形で発展するというのは珍しいことでありません。その中で東京が特異なのは、占領以前の記憶が街の端々に残っていること。これだけ占領以前の傷跡が街に残っている都市は、世界の中でも珍しいのではないか、と思います。例えばアメリカなどと比較すると、もともとはアメリカには先住民が住んでおり文明がありました。しかし、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパから白人が入植し占領していく。例えばもともと入り組んだ地形だった場所の台地をきれいに切り取って整地し、湾を埋め立てて、平地にグリッド状の都市を作ってしまう。それがヨーロッパ流のやり方です。ニューヨークのブロードウェイに先住民の道というのが残っていたりもしますが、ほんのわずか。圧倒的に記憶が抹消されています。

東京は先ほど説明した三度の占領を経て大改造が行われてはきましたが、いい意味で当時の技術力の拙さや近代化のいい加減さが現れまだら模様の発展の仕方をしてきた。そのおかげで、都市の隙間に歴史のレイヤーを見ることができる。例えば川を辿って移動すると江戸時代の石積みが残っていて、その上に近代のビルが建てられ、さらに上には首都高速道路が走っている。江戸時代の遺構は今でも東京のあちこちに残っていますし、さらに古代の古墳なども残されています。そのように東京という街は、一皮めくればその先に古い層がいくつもあり、それをめくっていくことが、今最もクリエイティブな行為だと言えるでしょう。

「東京ビエンナーレ」がやろうとしていることは、都市が積み重ねてきた歴史をもう一度掘り起こすことで、私たちが持っている想像のパラダイムの向こう側にある風景──「見なれぬ景色」を見ることなのだと思います。その時の歴史観というのは、時間軸に添って直線に進むものではなく、未来と過去を言ったり来たりしながらスパイラル状に、あるいは循環していく。未来は過去にあり、過去は未来にあるのです。都市に眠っている膨大な過去の資源を見つけ、新たな価値を創造する。多種多様なプロジェクトから東京の「見なれぬ景色」が見られることを、楽しみにしています。

吉見俊哉(社会学者)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
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