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「るろうに剣心」の時代か…と思いながら戦前福祉を学ぶ。
東京のカフェで朝活!
本日は朝活-自習勉強会を実施していました!
本日は社会福祉士のお勉強。
試験は2025年2月ですが、コツコツとやっております。
本日は、日本の戦前福祉について。
1874年 恤救規則(じゅっきゅうきそく)
日本初の統一的な救貧法が、恤救規則。
私は「るろうに剣心」という漫画が好きで読んでいたんですが、1874年はまだ廃刀令(1876年)もない時代。
1878年に神谷薫と剣心が出会ったそうですので、その頃の時代なんですね。
さて、この恤救規則は、かなり限定的な制度で、基本的には家族や血縁者の相互扶助を求めています。
家族や血縁者に頼ることができない窮民のみが救済対象でした。
対象者は70歳以上の老衰者と13歳以下の子供、障害者で、居宅にいる者に限定。
救済内容は米代としてのわずかな現金給付のみでした。
なぜ、恤救規則がうまれたか?
いくつかのサイトをみると、貧困士族が発生したからと書かれています。
この時代は幕藩体制から明治時代への移行期。
これまで士族階級は「禄」と呼ばれる給与が支給されていましたが、身分制度の撤廃にあわせて秩禄処分として「禄」の支給を廃止してしまったそうです。(そういえば、るろうに剣心の弥彦は士族だったなぁ)
他にも農民に対する年貢制度を変更したのも理由としてあげられるようですが、要するに時代の移り変わりで生活基盤が奪われてしまった人達が多くいたようです。
しかし、この頃は「貧困は個人の責任である」という自己責任論が主流。
最低限の救済しかなく、また恤救規則の対象となることは恥という意識が強かったようです。
その後、この恤救規則は50年にわたって続きますが、その間に民間の福祉活動が活発になったそうです。
今日はここまで。
有意義な時間になりました。
ありがとうございます。
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