「もつれるものたち」と“もつれた”7月( #ディレクター日記 2020/7/24)
4連休が明けると、8月が視野に入ってくる。第2四半期の7月が終わる。なんだか時間が経つのが早くなった。6月19日の移動自粛の解除を受け、対面での打ち合わせ予定が増えた。帰宅時間も遅くなってきた。7月前半と後半では、かなり空気が違う気がする。都知事選投票日の7月5日が、今日と同じ月内だということに驚く。
▲ 40分のビデオ作品、藤井光≪解剖学教室≫(東京都現代美術館「もつれるものたち」展にて筆者撮影)。パリ国立高等美術学校の解剖学教室で行われた、災害がもたらす文化と記憶に関する議論を記録した映像。手前の剥製や化石は、福島第一原子力発電所事故後、放射性物質やカビなどによる汚染を避けるために、今も避難したままとなっている双葉町歴史民俗資料館収蔵品群。
■展覧会「もつれるものたち」と“もつれた”7月
7月5日の日曜日は、再開している東京都現代美術館(MOT)を久しぶりに訪ね、午後まるまる美術館で過ごした日として記憶している。
担当学芸員による入魂のコレクション展。鳴り物入りで話題のオラファー・エリアソンの個展「ときに川は橋となる」。そして目的の展覧会、カディスト・アート・ファウンデーションとの共同企画展「もつれるものたち」。5日に訪れたのは、その関連イベントでアーティスト・藤井光が登壇する上映会&トークに参加するのが目的だった。イベントで上演された「核と物」と展示会場の「法医学研究室」という、2つのビデオ作品を観るのとトークの聴講だけで3時間ほどを要した。
自分は「もつれる」という言葉を日頃使わない。そのためか、強い印象の言葉にもかかわらず、展覧会を観て考えたことを話題にするたびに、「もつれる」という言葉が口から出てくれない。結果、“もつれた”話になるわけで、個人的には、そんな欠落がもたらした細やかな“もつれた”状況を楽しみながら7月を過ごしていた。
すでに下旬まで過ぎた7月のスケジュール帳を捲ると、“もつれない”ように打ち合わせ、調整し、それでも生じてしまう齟齬からの修復に時間を割いている自分の日常に気づかされる。
「もつれるものたち」から遠くあることを善とする行動規範に身を置いているのだと実感する。アーティスト・藤井は、わざわざ“もつれさせる”ことで問題の存在とその深さを示したわけだが、「もつれ」を誰しもが“もつれることなく”明示できるものではない。しかし、今も「もつれるもの」をきっかけにもやもやと、そこで扱われていた「問題の上書きがもたらす、一刀断ちできないほどややこしくなった状況」について考えている。展覧会を観るということは、そういうことじゃないかと改めて思う。
それと同時に個人的には、コロナ禍の7月は、社会的な「もつれる感」が次々生み出され、そこから来る不安の増幅が「自粛警察」のような存在を生み出し、新しい線引き(区分、分断、差別につながる類のもの)が加速している印象を抱く。解決されない事象への新たな上書きが、問題の本質から現象への対応へと変容し、さまざまな事柄が日程都合で、先送りされている感が否めない。
私はその感覚を、自分自身が置かれている「視界の悪さ」として承知した上でこの先の計画を練るしかない。
■時間切れがもたらす矛盾した展開
先の計画を立てるにあたり逡巡しなければならない理由は、明らかにコロナの感染拡大と直結している。想定した計画通りに物事を進め難い状況だからだ。先の「Go To キャンペーン」をめぐる混乱は、誰も明瞭に判断ができない混沌とした状況を端的に示しているように思えてならない。
これまでの前提が通用せず、誰の何の基準で判断していいか定まらない状態が続いているものの、決定しないといけないという時間切れ状態が、場を無理やり収斂させていく。つまり、物事を設計するそもそものところが、ギリギリまで定まらない。
公共事業としての7月は、「自粛要請期」を終え、「再開期」の位置づけにあり、「反転攻勢期」に向けて歩を進める計画だった(ように思う)。演劇公演の案内も届き、展覧会も再開され、物事が動きだしていた。しかし現実は、「緊急対応」と「再開期対応」を同居させた矛盾した展開が強いられている。私自身も、2020年度後半の事業計画の見直しと2021年度事業計画案の策定作業は悩ましく難しい。状況が改善されるのか、さらに悪くなるのか。長引く混沌は、数年先まで社会状況の改善が望めない未来を意識させる。
だからこそ、それでも進めないとならない文化行政・文化政策・文化事業はある。反転攻勢期が本格的に始まるまでにしておくべきことが山ほどある。
▲JR神田駅。車椅子での乗降がより安全にできるように、ホームと車体の隙間が狭くなるよう、ホーム端が少し延長されていた。さらに車内には車椅子用スペースの明示。オリンピックの開幕に向けて準備されてきた改善の一つに思えた。
■スポーツの日、「リラックス・パフォーマンス」へ
そのような思いから7月24日(スポーツの日)の午後は、東京文化会館で開催された音楽会に出かけた。「もつれるものたち」とは全く違った観点からの取り組み。「もつれるものたち」がアートが向き合うべき課題を正面から見据えた企画だとしたら、文化会館のそれは、文化施設が担う課題を正面から見据えた試みだ。いわゆる、文化芸術を介して豊かな生活(ウエルビーイング)を送ることを目的に提供する音楽会だ。
▲ 東京文化会館「リラックス・パフォーマンス」の会場風景。通路に立っているのは、手話通訳士・瀬戸口祐子さん。開演前のアナウンスを通訳しているところ。瀬戸口さんは、Tokyo Art Research Labのレクチャー「手話と出会う~アートプロジェクトの担い手のための手話講座(基礎編)」でも手話通訳を担当。
音楽会の名は「リラックス・パフォーマンス」。パンフレットには、Orchestra for Everyoneとあり「世代、障害を越えて楽しめるオーケストラ・コンサート」と銘打たれている。自分が担当している「TURN」に通じるコンセプトだ。
文化会館のWEBサイトには「年齢、障害のあるなしや社会的背景に関わらず、あらゆる方が気軽にクラシック音楽を楽しめるコンサートです。自閉症やコミュニケーション障害、発達障害などにより劇場や音楽ホールでの従来の音楽鑑賞に不安がある方もご家族・介助者と安心してご鑑賞いただけます。また、”クラシック音楽公演は鑑賞マナーが厳しくて行きにくい”と思われる方や、4歳以上のお子様にもお楽しみいただけます。ナビゲート付きの初心者プログラムです。」と書かれている。プログラムを進行する「東京文化会館ワークショップ・リーダー」の二人のナビゲーターがプログラムの魅力を解説するメッセージビデオも掲載されている。
オリンピックが開幕する予定だった7月24日にちなんだ、オリンピックをテーマにした楽曲で構成され、丁寧に作り込まれた来場者を飽きさせない演出と進行による(ナビゲーターの衣装もこのために準備された舞台衣装だったし)60分のコンサートは、申し分のない充実のプログラムだった。
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▲「テレ手」の仕掛け人、アーティスト・五十嵐靖晃さんが「咲いた」と投稿していた。我が家の苗はまだかなと確認してみると、しっかり和綿の花を咲かせ、たくさんのつぼみをつけていた。雨の続く7月。晴れ間が恋しくなっているのは人間だけじゃないのかもしれない。長雨による野菜の高騰もつらい。一級河川の各地での氾濫もつらい。気候変動も気になる問題だ。
(2020年7月24日 東京アートポイント計画ディレクター・森司)
*本記事は、アーツカウンシル東京ブログ「東京アートポイント計画通信」(2020/8/11公開)より転載しています。