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ミュシャ『ジスモンダ』〜クリスマス休暇に起こったのは奇跡だったのか?

20世紀初めのアール・ヌーヴォー様式を牽引することになるアルフォンス・ミュシャ。1860年に現在のチェコ共和国に生まれ、プラハとミュンヘンで教育を受けた後、1887年にパリに移住しました。書籍や雑誌の挿画など、さまざまな小規模な仕事を引き受けてキャリアを築いていきます。

ミュシャのキャリアにおける重要なターニングポイントは、大女優、サラ・ベルナールの劇場ポスターのデザインでした。好評だったベルナール主演の劇『ジスモンダ』の延長公演が1895年1月4日から急遽決定され、1月1日には街中に張り出されるポスターが必要でした。

『ジスモンダ』は、ビザンチン帝国の女性支配者であるジスモンダが主役の劇。彼女は愛する若い将軍アルメリオとの間に愛情を抱きますが、自分の地位との間で葛藤します。最終的に、ジスモンダは悲しい選択を迫られ、愛と権力の間の複雑な関係を描くストーリー。

ベルナールからルメルシエ印刷工房に依頼があり、ミュシャの出版社に話があったのは前年の12月26日で、ポスター掲示までわずか6日。クリスマス休暇中でほとんどのスタッフが不在の中、休暇中の友人に代わって校正作業をしていたミュシャがこの案件を引き受けることになりました。ミュシャはすでにベルナールを描いた経験があり、1890年には『クレオパトラ』で演じるベルナールの挿絵シリーズを、1894年に『ジスモンダ』が開幕すると、雑誌『ル・ゴロワ』のクリスマス特別付録のためにベルナールの挿絵を描いていました。

翌日の12月27日、ミュシャが制作した彩色下絵を持ってルメルシエ印刷工房に戻ったところ、担当者はその出来栄えに不満を示しましたが、時間の制約のため、最終的な決定を依頼主であるベルナールに委ねます。12月28日に劇場からの連絡があり、ベルナールが下絵を気に入ったため、ポスター制作が承認されたという返事がありました。

ポスターは、限られた時間の中で上半分と下半分に分けて制作されました。上半分では、彼は洗練された文字デザインと幾何学模様に重点を置きました。一方、時間が特に限られていた下半分では、全体の調和を考慮しながら効果的にデザインしました。

アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』1894年

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