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戦国を生き抜いた絵師・狩野山楽──武士から絵師へ、運命を変えた筆の力

戦国時代、戦場を駆けることが男の生きる道だった時代に、一人の青年が己の運命を大きく変える決断を迫られた。彼の名は 木村光頼(きむら みつより)。もとは浅井家に仕える武士の家に生まれたが、主君・浅井長政が織田信長によって滅ぼされると、彼の人生は大きく揺さぶられた。行き場を失った光頼は、新たな主君を求めて豊臣秀吉に仕え、そこで運命的な出会いを果たす。それが、日本を代表する絵師集団 狩野派 との出会いだった。

「戦ではなく、筆で己を立てる」──そう決意したとき、彼はもう武士ではなくなっていた。狩野永徳という当時随一の絵師に弟子入りし、狩野家の名を継ぐことを許され、狩野山楽(かのう さんらく)と名乗るようになったのである。


武士を捨てた絵師、豊臣のもとで栄光をつかむ

狩野派に入った山楽は、永徳の力強い画風を受け継ぎながらも、独自の装飾的な美しさを追求した。豊臣秀吉の信頼を得て、伏見城や四天王寺、金剛寺の障壁画を手がけるなど、豊臣家の御用絵師として頭角を現していった。やがて、師である永徳が急死したとき、その遺志を継いで大きな仕事を任されるようになり、彼の筆は権力とともに輝きを増していく。

狩野山楽『龍虎図屏風(右隻)』17世紀初頭 妙心寺(京都国立博物館寄託)
狩野山楽『龍虎図屏風(左隻)』17世紀初頭 妙心寺(京都国立博物館寄託)

しかし、戦国の世に永遠などない。1615年、大坂夏の陣──豊臣家は徳川家康の大軍に包囲され、ついに滅亡を迎えます。

それは、山楽にとって再び死の影が忍び寄る瞬間でした。

戦国を生きた者の宿命──そして、筆が救った命

山楽は、豊臣家のために筆を振るってきた。だからこそ、彼は「豊臣方の残党」と見なされる可能性があった。もしそうなれば、待っているのは処刑。かつて武士として生きた彼には、それがどういうことか分かりすぎるほど分かっていた。武士を捨てたはずの彼が、今度は「かつて武士であったがゆえ」に、命の危機に晒されることになったのである。

しかし、彼には剣ではなく筆があった。そして、彼を救おうとする者もいた。

公家の九条幸家は幕府に嘆願した。
「彼はただの画工(えだくみ)であり、もはや武士ではない」と。
かつて戦場を駆けた男は、今や筆を持つことで生き延びることができたのだ。

こうして、山楽は戦の世界から完全に切り離されることとなる。しかし、それは決して敗北ではなかった。むしろ、ここから彼の真の人生が始まる。

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