anan 50周年

画像1

仕事で西新宿へ向かう時には、健康もかねて、新宿三丁目から地下鉄のコリドーを抜けて、歩いていくことが多い。

健康だけというのでもなく、たまにコリドーの壁に掲載される大きな宣伝ポスターを眺めるのが好きだからだ。

気のせいか、空いているような地下鉄の中で、「遅いインターネット」に読み耽った。特に吉本隆明の共同幻想論から糸井重里の「ほぼ日」の思想的、イデオロギー的系譜のあたりを読んでいた。地下鉄の駅を降りて、しばらく歩くと、地下鉄のコリドーの壁は、50周年を迎えたananの様々な表紙を重ねあせた宣伝で花盛りだった。

何か月かに一度起こるアタリの宣伝企画だった。

企画がいいというよりは、ananの表紙が魅力的なのだろう。

「ハイイメージ論」を書いていた頃の、吉本隆明がコムデギャルソンに身をつつみ、ananインタビューに登場する件をちょうど読んでいたところだったから、そのシンクロニシティにちょっとびっくりした。

吉本隆明の共同幻想論を敷衍して、現代のSNS社会にあてはめる宇野さんの書きっぷりはすっきりとしてとても面白い。曰く、

自己幻想=プロフィール
対幻想=メッセンジャー
共同幻想=タイムライン

「自己幻想の肥大した人間はFacebookに依存し、対幻想に依存する人間はその対象となる人物とのLINEに執着し、そして共同幻想に同化する人々はTwitterに粘着する。」

SNSという枠組みの中で暴走するボトムアップからの自己幻想の暴走という着眼は、キーワードだけ並べ上げてもピンとこないかもしれないが、今生きている時代の匂い(腐臭?)を鮮烈に伝えている。

宇野さんの記述が、実感にあっていて、腑に落ちるのだ。

でもこの本の魅力は、そういった時代を切り取る明晰な筆致というよりは、「遅いインターネット」という運動形に賭ける宇野さんの泥臭い執念のようなところにある。

なかなか大変だとは思うのだが、ちょっと期待してしまった。ガンバレ!


いいなと思ったら応援しよう!