#021 生きる
私は、かれこれ40年以上生きている。
これからもあらゆる手段を使って
生きるつもりだ。
同年代の友人が死にたいという。
それほど辛いのだそうだ。
私が教わった看護の世界では自ら死ぬのは自傷。入院の対象。
その友人は医療をあまり受け入れていない。信じていない。いい人に出会えていない。どちらかといえば拒否している。
最近、海外の安楽死例の記事を送ってきた。
若いASD当事者の安楽死例だった。
引用しない。
その国で、その基準で当てはまってきまったなら、それでいいじゃん。それしか感想はない。
日本にもあったらいいなってことだろう、ほんとに思うならアクションを起こすしか無いけど、今必要ならちょっと間に合わないよね。
周りが思うほど私は衝撃を受けていないし、引きずられてもいないけど、ただ、興味がある。なんでだろ、どうしてだろ、このやりかたで生きてはダメなの?死ぬ前にやることあるじゃん。死ぬしか無いと思っているのは、病気だからではないの?
うーん。
つまるところ、私がもし死ぬとなったら誰にも何も言わないでただ死ぬ。確実な方法で死ぬ。
だからか、理解が難しい。
私に言って何になると思っているのか謎だ。リアクションがあるからただ送ってるだけか?理解してほしいのだろう。いいね!と言ってほしいのか。生きろといえば嫌だというに決まっている。
生きたいけどつまんない、そう聞こえてならない。少し前は人とのつながりを求めていて、家族やきょうだいがいて、仲が良ければよかったなとあこがれを表現していた。
家族との関係は良くないらしい。パートナーとはこんなもんだと思っているようだった。現状を変えようという気もちも、元気もない。とのこと。
なのに、スマホのせいで、すらすら文字が打ててしまい、送信できてしまう。相手が開いて読んでしまったら、取り消すことはできない。どのくらい元気がないかわからない。ペンはもてないかもしれないけれど、起き上がれないかもしれないけれど、スマホで文字が打ててしまう。言葉を綴れてしまう。これも困ったもんだ。
遠くに住んでいてお互いの都合もあるし、会うこともできない。電話が好きみたいだけど私は電話は嫌い。スマホってよく聞こえないし、とくに無料通話アプリなんて変な感じ(だいぶ良くなったけど)で嫌だし、料金もよくわかんないし、気持ち悪い。その会話をだれに聞かれるのもとても嫌。(あと、電話したいひとってとてもその時間が長くなりがち。)じゃあイヤホンでもなんでもすればいいとなるけど、イヤホンは耳がベトベトだからなるべく使いたくないし、不快。生活から不快をなるべく取り除きたい。黒電話ならいいよ。ちゃんとした受話器ね。めったにないよね。
とにかく。私は生きるよ。
あらゆる手段を使って生きるよ。
そのために、寝るよ。
おやすみ。
友よ、ゆっくり寝るんだよ。
そしてまた明日起きるんだ。
何もしなくてもいい、生きていればまた会える。嫌かもしれないけど君に価値がないなんてことはない。
生産性なんて求めてない。
苦にすることはない。
するだろうけど、だからなんだ。
もし今にも死ぬのであれば、あれこれ湧いて来るその言葉たちは何なのだ。
その表現を残せ。
書き記せ。
記す元気がないなら録音しろ。
わからない。
人は人のことなんてわからない。
同じ人はいない。
でも、想像し合って、思いやり合って、助け合って生きていくしかない。多分そう。
箸が転げても面白かったのは高校生まで、体力も有限。君が他の誰かと違うのも、だから何だ。
諦めも必要だ。
残念だが生きる。その選択もありだ。
今日は寝る。
そうしよう。
おやすみ。