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多様性とルッキズム 〜写真表現の果てに〜

こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。

今日は、若干いつもと視点を変えて、社会的テーマでもある「多様性」と「ルッキズム」をカメラと写真の文化を軸に考えてみたいと思います。

近年、「多様性」という言葉をよく聞くようになりました。個人的にはその使われ方で違和感を抱くこともある言葉ですが、現代社会においては避けて通れない問題でもあります。

写真は、現実を記録し、それを他者に伝えるための強力なツールであると同時に、視覚的な表現を用いて特定の価値や美の基準を強化する役割も果たしてきたと言えるでしょう。

その文脈で浮かび上がってくるのか「ルッキズム」です。

ルッキズムとは、外見や容姿に基づく差別や偏見を意味し、特定の美しさの基準が優先され、それ以外の人は不当に評価されたり排除されたりすることの総称です。

撮影:Tokyo Street PIX.  @有楽町

写真には、その被写体をフレームを収めることで、特定の視点や価値観を強化する機能を持っています。写真は常に、その時代や文化における美の基準を反映してきたと言っても過言ではないでしょう。

特に写真には「ポートレイト」と言われるジャンルがありますが、伝統的に美しさを引き立てることが目的のひとつにもなっており、あくまで一般論ですが、被写体が “社会的に魅力的” とされる基準に従って撮影されることが多いのではないでしょうか。

例えば、痩せていること、肌が整っていること、特定の顔立ちや体型を持つことが美とされることが多く、写真がメディア(雑誌や広告など)を通じ、その価値観を強化する役割を負ってきたとも言えるでしょう。

ちなみに、昭和時代の富士フイルムの有名なCMで (樹木希林、岸本加世子が出演)、「キレイな方はより美しく、そうでない方は “それなり” に」という名セリフがありましたが、現代に放送したら一部の方が騒ぎ出して「炎上」してしまうかもしれません。

※このセリフは元々「そうでない方も美しく」だったものを樹木希林さんの提案で変更なさったそうです。こういうユーモアがCMから消えたのは、お察しの通りです。

話を戻しますね。時代が進み令和の現在、インスタやTikTokなどのSNSでは、自撮りで視覚的に「完璧」とされるような外見に加工された写真や動画が溢れています。そうでない方はそれなりではなく、美しく “加工” される文化が流行っていますが、結果的に自己評価が低くなり、自己肯定感を損なうリスクがあるように思います。

撮影:Tokyo Street PIX.  @四谷

このようなルッキズムが写真文化に影響を与える一方で、写真を通じて多様性を表現し、外見にとらわれない新たな美しさを見つめ直すことができるのも写真の持つ大きな力のひとつです。

写真にも様々なジャンルがあり、ここではポートレイトを例に挙げましたが、被写体をどのように表現するのかという選択を通じて、社会にメッセージを発信することが可能です。

例えば、自分の写真がルッキズムを強化する方向へ進むのか、多様性を勘案し違ったアプローチを取るのかなど、写真が社会へ与える影響も考えたとき、どちらか、または全く別の選択肢を選択するにせよ、自身の心情をある程度はっきりさせることは考えるべきかもしれません。

社会的風潮としてルッキズムは「悪」と決めつけている感も否めませんが、個人的にはルッキズムを良い・悪いという二元論で語るのは、結果的に表現の幅を狭めてしまうので危険だと思っています。

誰も大きな声では言いませんが、ポートレイトやグラビアなどを見ても、キレイな方ばかりですよね。多様性?なんの話?笑

その人らしさを表現することが大切なこととされていますが、世間一般的な「美しさの基準」に当てはめてしまうこと、多様な視点で写真を撮ることは、矛盾することなのでしょうか。それとも…。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。

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