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「いいね」の反応を気にしないマインド
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
今日は、「いいね」の数について考えてみたいと思います。
私はこの note の他に、X(Twitter) も日々更新しています。
note は文章がメインですが、Xはほぼ文章は入れず写真のみで更新しています。
そしてやはり気になるのは、そのポストがどのくらいの人が見てくれて、「いいね」「リポスト」の数がどれだけ付いたかということです。
これはSNSをやっている以上ついて回るもので、多かれ少なかれ「承認欲求」を満たしてくれる大切な要素とも言えると思います。
以下のXのポストは、私の最近のポストで、たくさん「いいね」と「リポスト」をいただいたものです。
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この数字が多いのか少ないかのジャッジは、見ていただいた人の基準によって変わってくると思います。
フォロワーが1万人いるAさんからしたら「少なっ!」って思うでしょうし、先週からXを始めたBさんは「多っ!」って思うでしょう。
それは、それぞれ人によっての基準値がありますから、同じ事象であっても感じる感想はそれぞれでしょう。
自分基準で言えば、たくさんの方に「いいね」していただいて大変嬉しいポストとなったわけですが、このポストを基準にして「多い」「少ない」といって感情を上下させていいたら気が持ちません。
では、どうしたら良いのでしょうか。
結論:気にしないこと
言うのは簡単なのですが、実際にそういうマインドに持っていくのは難しいものです(笑)。
ポイントは、「基準」を作らないことです。
その基準があるから、その基準と比較してしまうわけです。
多い、少ないというのは、何かの基準がベースになっているはずです。
それと比較するから、精神的にも負担をかけてしまうのですよね。
その基準は、誰かかもしれないし過去の自分かもしれません。
そんな基準さえなければ比較しようがありません。
しかし、人というのは無意識にその基準を作ってしまうものかもしれません。
その根底には「承認欲求」があるからでしょうか。
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勝手に自分が作ってしまった基準より「少ない」場合、その写真の評価は、見てくれた人の中では多くなかったかもしれませんが、決して自分の評価が低くなったわけではありません。
SNSというのは、もちろんその向こう側に人がいるわけですが、個人個人が相談してその写真の評価を上げようとか下げようとか思っているわけではなく、単なる総体の結果に過ぎません。
Xのポストを通じて自分の写真をたくさんの人に観ていただけるのは、とても気分の良いものです。
しかし、そのポストに対する反応に対して一喜一憂するのは、昨日の気温と比較して暑いね、寒いねと言っているレベルと同じようなもので、「だから何?」と言えるようなものでしかないということです。
でも、この記事を読んだ人は、下の方にある ♡ マークをタップするといいことがあるはずですよ笑。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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