「写真を読む」ってなんだろう
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
最近、チラホラとネットで目にする「写真の言語化」や「写真を読む」という表現。
私も以前、写真の言語化について記事にしたことがあります。
写真の言語化については、写真をあらゆる方向から、なんでも良いので見たこと、または撮ったときの状況、なぜ美しいのか、感動するのかといった感情の変化に至るまでを、ことばで表すものでした。
一方の「写真を読む」というのは、一般的には写真家の撮った写真や、写真史などの写真に関する書物などを読むということも含まれるかもしれません。
ここでは、写真史のような文字で表現されたものを読むことではなく、あくまで画のみの「写真を読む」ということについて考えてみたいと思います。
一般的な解釈では、写真は「見る」ものであり、「読む」ものではありません。
「読む」と「見る」を検索してみると以下のような説明がありました。
端的にまとめると、
「見る」というのは、ビジュアルから得られる情報から、その対象物を理解すること
「読む」というのは、その対象物により得られる情報から内容を把握すること
になります。
では、これを写真に当てはめるとどうなるでしょう。
写真を見る
写真に写っている被写体、光と影、色などから、どこで、何が、どのような状態であったのかが把握または理解できる状況と言えるでしょうか。
写真を読む
文字通り解釈するなら、そこに写し出されたものから推測できる状況、過去または未来を予測したり、それが写し出されている意味などを読み取ることと言えそうです。
カメラや写真に興味のある私たちにとっては、写真は「見る」ものではなく、「読む」ものとして認識した方が良いのかもしれません。
一部の天才を除き、イメージだけで他人に正確に物事を伝えることは困難です。
「写真」と「言葉」というのは、相反するものでも敵対するものでもなく、メッセージを伝えるための手段です。
写真を仕事や趣味にしていると、写真そのものが「目的」なように感じられますが、あくまで、何かを誰かに伝えるための「手段」でしかありません。
写真から、その裏側にある本当の意味を拾い出すために、写真を言語化し「写真を読む」ことが、これからは求められるのかもしれません。
またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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