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よりよい政治のために 〜「#検察庁法改正案に抗議します」について考えたこと〜

「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグがTwitter上で流行り大きな話題を読んでいる。
このムーブメントに関して僕自身が考えたことを少しシェアする。
また、本問題はかなり複雑であり、私自身執筆にあたって多くのソースにあたったものの、それでも事実誤認や理解不足があるかもしれない。そのため、できる限り参考にしたソースを開示した上で、指摘があれば随時アップデートしていく所存である。​

簡単な経緯及び問題の所在

すでに今般の問題に関してわかりやすく解説する記事は多数あるため、まだ問題の全容を知らない方はぜひ既存の記事を参照して欲しい。例えばこちらの弁護士徐東輝さんによる記事

また、国会議員・山尾志桜里さんによるこちらの記事は本人の主張が一部含まれるものの、論点整理として非常に優れている。

また、一次情報として実際の条文を読みたい方はこちらのp.93以降を参照してください。

https://www.cas.go.jp/jp/houan/200313/siryou4.pdf

さて、これだけ多数の解説記事があり、かつ検察庁法改正案がどういう問題を抱えているかを説明するのが本記事の趣旨ではないため、あまりスペースを割きたくないものの、簡潔に前後の経緯及び問題の所在を自分なりに整理してみる。


問題の経緯については簡単に以下のように整理できる。
 ①1月31日:本来2月7日に63歳となり定年を迎える黒川検事長の任期延長を閣議決定
 →検察(検事長含む)及び検察総長の定年は検察庁法第22条「検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。」にて定められており、定年を超えた場合の勤務延長について規定がない一方で、国家公務員法の81条3にて勤務延長に関して「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」1年以内の期限で、その勤務を延長させることができると定められている。
 →ただし、従来の法解釈では国家公務員法の81条3における定年をこえた場合の勤務延長規定は検察官に当てはまらないとされる。これは国家公務員法における定年制度制定時の昭和56年当時の人事院事務総局任用局長・斧誠之助及び法務大臣・中山太郎の答弁で確認できる。かなり長いが、要は国家公務員法における定年制度は検察官を対象とせず(斧答弁)、そして定年制度の柱の一つとして勤務延長制度があり(中山答弁)、よって勤務延長規定も同様に検察官に当てはまらないということである。また、今年の2月12日に国会答弁で人事院給与局長も「検察官については、国家公務員法の勤務延長を含む定年制は検察庁法により適用除外されていると理解していたものと認識」との見解を示している。
(また、この定年制度に関し、検察庁法の32条の2にて国家公務員法との関係に関して、「検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする」として検察官の定年は国家公務員法の影響を受けないとする条文が含まれている。)

斧:検察官と大学教官につきましては、現在すでに定年が定められております。今回の法案では、別に法律で定められておる者を除き、こういうことになっておりますので、今回の定年制は適用されないことになっております。
中山:政府といたしましては、この人事院見解を基本としつつ、関係省庁間で鋭意検討を進めてまいったわけでありますが、このたび、国における行政の一癖の能率的運営を図るべく、国家公務員法の一部改正により国家公務員の定年制度を設けることとし、この法律案を提出した次第であります。
 次に、この法律案の概要について御説明申し上げます。
 改正の第一は、(中略)
 改正の第二は、定年による退職の特例であります。これは、任命権者は職員が定年により退職することが公務の運営に著しい支障を生ずると認める場合には、通算三年を限度とし、一年以内の期限を定めてその職員の勤務を延長することができるというものであります。(後略)
出典:https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20200214-00163053/

 →従来の解釈によれば勤務延長できない検事長の任期延長がなされたため、黒川検事長の任期延長は大きな波紋を呼ぶことになった。またこの背景には政権に近いとされる黒川検事長を次期検事総長に任命させたいという思惑があるのではないかという推測がある。

②2月:解釈変更を巡る動き
 →上記のように従来の法解釈から外れた閣議決定が行われたことに対し、国会で多くの議員が質疑を行う。
 →2月10日に森法務大臣は勤務延長は検察庁法に規定がないため、国家公務員法の規定が検察官にも適用されるという解釈を示した。ただし、従来の解釈とは異なっている。
 →2月13日に安倍首相が内閣にて解釈変更を行ったとの答弁をする。しかし、国家公務員法の解釈変更を内閣が行っていいのか、解釈変更を行う理由の不明確さ、解釈変更を行ったとする書類の不在、また法の解釈変更前にその解釈の運用がなされたことなど多くの問題が指摘されている。

③検察庁法改正案提出(同時に国家公務員法改正案も提出)
 →そんな中で今国会にて検察庁法改正案が国家公務員法改正案とともに提出された。これらの法案に含まれている国家公務員の定年延長は以前から議論されていたことであり、事実2019年秋にも改正案は一度提出されています。また、民主党の野田政権下でも議論されていた。
 →しかし2019年秋に提出された改正案と今回提出された改正案に大きな違いがある。その違いは多岐にわたるが、先ほどの弁護士徐さんの記事によれば63歳以降は平の検事になるとされる次長検事と検事長は「内閣が定めた事情がある場合、1年以内の期間、引き続き次長検事又は検事長として仕事ができる」ことに加え、さらに「1年後も引き続き内閣が定めた事情がある場合、引き続き定年まで次長検事又は検事長として仕事ができる」という内容が新たに足されたのである。つまり、検事及び検事長の任期延長に関して内閣(具体的には総理大臣及び法務大臣)が大きな権限を持つことになる。
 →反対者が主に反対しているのは上記を巡る部分であり、これによって内閣が恣意的に気に入った検事の任期を伸ばせるようになるという懸念である。
 →ただし、この部分については多様な意見があり、民主的なプロセスを経て選ばれた内閣に検事の人事に関する権限を握らせたほうがいいという意見もある(維新の吉村等)。

さて、経緯を整理したところで、今回の黒川検事長の任期延長から検察庁法改正を巡る一連の流れにおける問題点は大きく以下のようになる。
①従来の法解釈を曲げてまで(しかも法解釈の変更前にその運用を行ってまで)黒川検事長の任期を延長したこと
②内閣が検事の任期延長に関してより大きな権限を持てるようになる文言が改正案に新しく付け足されたこと
このうち②が改正案にかかる問題点であり、①は改正案提出以前に発生した問題であり、そして改正案を阻止してもなお残る問題である。

「#検察庁法改正案に抗議します」を巡って

5月9日前後からTwitter上で「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグが流行り始めた。この運動は次第に大きくなり、浅野忠信、小泉今日子やきゃりーぱみゅぱみゅなど著名人も巻き込んだ。本ハッシュタグのツイート数は400万とも500万とも言われており、いずれにせよ大きな現象を巻き起こした。
これをきっかけに国民の間で政治に対する意識が高まることを期待する声もちらほら聞こえた。事実、森友問題や桜の会をはじめ政権で発生した多くの問題でもみられなかったような大きな盛り上がりが国民一般で広く見られ、政治的な発言がしばしば敬遠される芸能人でも声をあげた方は多数いた。これをきっかけに国民の間で政治に対する関心が高まり、さらにこれまで社会において暗黙のタブーとなっていた政治的な発言を多くの人が気軽にできるようになる方向に向かいつつあることは歓迎すべきことである。思えば、投票によって国の方向が大きく左右されうる民主主義社会において、本来政治的な議論は政治家やメディアなど一部の人ではなく、国民で広くなされるべきことである。そう考えると、今般の「#検察庁法改正案に抗議します」運動が民主主義社会においてあるまじき暗黙のタブーを打破することは極めて歓迎すべきことである。

その一方で、今般の「#検察庁法改正案に抗議します」運動において、問題に対して十分に理解していない人もかなり目立った。これだけ多くの人が参加した運動であるため、理解度にばらつきが生じることは致し方がないともいえるが、同時にそこにネットによる新たなポピュリズムの可能性があると感じた。そして、これは運動に参加した側だけでなく、運動に反対する側もしくは検察庁法改正案賛成側にもいえることである。
例えば、運動に参加した人の中にちらほら「三権分立」が脅かされると声をあげた人がいるが、検察庁は行政府に属するため一概に「三権分立」が脅かされるともいえないのである。(ただし、検察庁は政治的独立性が求められる組織であることに加え、当然司法にも関わる組織であるため、行政との適切な距離が求められるのもまた事実であります。)また、本法案は黒川検事長の任期を延長するためだとの懸念もあったが、法案が可決された場合、その執行日が2022年4月1日であることを踏まえると、その懸念は妥当ではない(むしろ法案の可決前に閣議で任期延長が決まった方が問題)。
運動に反対する側や法案に賛成する側にも同じような現象はみられた。例えば、「公務員の定年を延長するだけだ」「公務員の定年延長は野田政権から議論されていたのになぜ野党は反対する」などの声が上がったが、先ほども指摘した通り昨年秋に提出された改正案と今回問題になっている改正案を比較した時、検察官を巡る内容で大幅な変更があり、野党はここに懸念をあげているのである(事実、立憲民主党の枝野代表も公務員の定年延長には基本的には賛成と述べている)。このようなちょっと調べればわかるような明らかな事実誤認の背景には、何が何でも政権を擁護したいという心理すら見え隠れする。

政治に向き合う上でのあるべき態度

今般の検察庁法改正案はとても複雑な問題である。冒頭で問題の所在について説明する際に僕自身いろんな資料にあたったが、それでもこの問題の全容を把握できたか自信がないし、自分の立場を明確に決めきれない。この問題はいろんな角度からどのようにも論じることができる問題である。だからこそ我々はただ単に世論の流れや自分の擁護したいものを擁護する心理に流されてはいけない。
結果として国会議員や検察関係者、学者など多くの有識者に問題視されていた検察庁法改正案について再考する機会を与えたという点で、今般の運動は、たとえその参加者の多くに理解不足があったとはいえ、意義があったものといえる。ただし、理解不足によって生じた世論のうねりが政治の安定性に影響を与え、それが意図せざる結果に行き着く可能性にも留意しなければならない。

政治への意識が高まることは重要なことであるが、同時に問題の複雑性にしっかり向き合う責任ある態度が必要となる。様々な視点から問題について考えたり、一次資料にあたってしっかり事実を確認したり、事実と解釈を峻別したりすることが、すべての人に求められる。これまでも2009年の政権交代など国民の政治への意識が高まった瞬間はあったものの、結果として持続しなかった。政治への意識の高まりだけでなく、国民が政治に対して一人一人責任ある態度を持たなくてはならない。また、国民が理解しようと努めるだけでなく、政治家がしっかり国民に対して説明責任を果たそうとすることも極めて重要である。
ここまで述べた「(たとえ目を背けたいものであっても)現実の複雑性にしっかり向き合おうとする姿勢」こそが知性の本質であり、すべての人が知性ある態度で政治に向きあうべきである。そして、これは政治のみならずすべてのことに当てはまる。
現在SNSなどの言論空間において何が何でも政権を擁護したい側と何が何でも政権に反対したい側の激しい分裂がみられるが、知性なき態度を脱却し、現実の複雑性にしっかり向き合うべきではないだろうか。

結び:よりよい政治を作るために

政治への意識が高まるだけでは不十分なのと同じように、政治に対して知性ある態度で向き合おうと呼びかけるだけでは不十分である。
何よりもそうなるような仕組みを作らなくてはならない。昨今、世界各地でナショナリズムへの回帰やポピュリズムの復活が指摘されており、こういったことは教育が行き渡っている先進国でも起きている。
いかに不十分な理解や近視眼的な感情によって引き起こされる政治の劣化を食い止められるような仕組みを作れるかについて我々は考えなくてはならない。その一例として教育がある。日本における政治教育・市民教育の不足は長きに渡って指摘されていることである。この課題に今こそ真剣に向き合わなくてはならない。

呼びかけるだけでは不十分だと承知しつつも、現実の複雑性に責任を持って向き合う知性ある態度で政治に向き合うことを呼びかけた上で、いかにそのような態度を一人一人が持てるようになるかという問いを残し、本記事を締める。

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