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苦手なことはせんでいい。得意なことで勝負しろって言うけどさ

全部の苦手を避けて生きていくのって無理やねんな。日常生活においては。

だから、無理に苦手を克服しようとがんばらずに「私はこれが苦手!なのにやってるんだぜ、なんて健気なんだ」と思うことにした。

どっちみち苦手なことに着手はするのだが、得意になろうとするのはやめたってこと。

😮‍💨💭

書く・聴く・話す・人と関わる。人より秀でているかは一旦わきに置いて、私が得意なことだ。

苦手なことは、地図を読むこと・計算・分析・競争。

昔は、全部をバランスよく!と無理をした。新卒で入った会社で「自分の長所をとにかく伸ばして勝負しろ」という社長に「なんで長所だけで勝負するんですか?短所はどうすればいいんですか?伸ばさなくていいんですか?」と本気で質問した記憶がある。

今は「苦手なことは人に任せるわ〜私が得意なことでお役に立たせてね〜」という考えで生きている。

紆余曲折を経てフリーランスでライターをしている理由の1つも、長所を活かせる仕事だからだ。

取材ライティングは、書く・聴く・話す・人と関わる
で構成される大好きな仕事

けどさ。100%得意なことだけで日々を完成させることはできない。

子どもとおもちゃで遊ぶのが苦手だ。お絵描きをしたり、外で遊んだり、一緒に歌ったり踊ったりするのは楽しめるが、ウルトラマンのソフビ人形やトミカでごっこ遊びをするのが結構苦痛だ。

「ウルトラマンはそんな動きせえへん!」と演技指導が入るが、私はウルトラマンの動きを知らん。「母ちゃん、ちゃうやん!ここの道通ってや!」と私のトミカが暴走すると厳しめの交通整理が入るが、いいやんけ自由にさせてくれと思う。

もう世界観がわからん

栄養バランスの整った料理を毎日作るのが苦手だ。厳密にいうと、料理自体は好きで苦痛ではない。仕事と自炊を両立するのが苦手で、偏食の子どもの対応が苦手なのだ。

仕事をがんばればがんばるほど外食は増えるし、子どもが食べてくれるメニューが少なすぎて毎日絶望している。

母、おまえら家でも機嫌よく食べろよの顔

子どもとおもちゃで遊ぶことも、料理を作ることも、絶対に避けては通れない。(誰かに助けてもらう機会はあっても)

だって、「母ちゃんとおもちゃで遊ばないと僕は死んでしまいます」くらい暴れられることもあるし。私が食事を作らなければ子どもは飢えるし。毎日外食をしつづければお財布はあっという間にからっぽだし。

少し前までは、ウルトラマンの人形遊びを心から楽しんでいるふりをしたり、「#簡単レシピ」「#つくり置き」「#偏食」と検索してがんばってみたりしていた。

でももう疲れたんや!

がんばってみたところで、得意にはなれないし、得意を目指すことで、伸びない自分に嫌気がさすし。

だからせめて、苦手を認めつつ、それでもやっている自分をほめほめするスタンスにシフトした。

ウルトラマンで遊んでいるとき、私のセリフは棒読みだが、子どもは喜んでいるからOK。トミカを走らせる私の心は無だが、大量に並ぶトミカを前に子どもは嬉しそうなのでそれでいい。

頭のなかで「おもしろくねえ!」と考えている自分を責めることはしない。むしろ、おもろないのに子どもに付き合っている私やさしい。

おもちゃより外で遊ぶほうが得意

料理については割り切るのは正直難しいが。栄養バランスは保育園の給食でクリアしていると思い込もうとしている。

「バランスのよい食事を毎日用意できる母ちゃん」を目指すことはやめた。

食事の時間が楽しくあるように、食べられるものだけでも完食できるように、全部作れなくても、おかずは買って米は炊いて、外食が1回でも減るように。できる範囲で。

外食をしても「今日も食べさせた私はえらい。子どもたちの命をマクドのハッピーセットでつないだ。偉業」と思いたい。

マクドありがとう

自分のできなさにうんざりするなんて、誰もが一生しつづけると思うが、ちょっとでも心軽く生きたいなと。

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