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一般意思としての大陸型憲法学と多神教の時代、そして「青い鳥」のストラテジー

8月革命説の根拠は、1つは、改正限界説を唱えていた東大憲法学内部の整合性。もう1つは、バーンズ回答のJapanese Peopleの解釈です。
戦前、憲法学は、天皇機関説で失脚する東大憲法を代表する美濃部達吉と近衛文麿のブレーンを務めた京大憲法の佐々木惣一が2大巨頭でした。  

東大憲法は、改正限界説を唱えていましたが、京大憲法は、これに異を唱え、改正無限界説を奉じていました。そもそも「主権」(=憲法制定権力)は、ルソーのいう万能の権力である「一般意思」であり、その行使に限界を設けることはできないという筋論を押し出します。
とりわけ日本の場合、明治維新という世界史に類をみない維新革命を成就した歴史をもちます。大政奉還+無血開城という奇跡です。その日本民族の象徴である天皇が主権を国民に移譲することくらい何の不思議もないということです。    

もう1つはバーンズ回答にいう、Japanese Peopleの日本語訳です。
宮澤は、イデオロギーを持ち込み天皇陛下と対立する「日本国民」と読みました。ジャパニーズ・ピーポーの自由な意思に委ねるとした国体のことを、「国民主権」を読み込むことで、主権の交替=革命だと解釈したわけです。屁理屈です。佐々木惣一は、そこにいうジャパニーズ・ピーポーは、天皇も含めた日本人の意味だと解釈します。バーンズ回答を、日本人の自由に任せると読みます。

これはポツダム宣言受諾時の陸軍・外務省共通の翻訳です。このときに、そこに「国民主権」への体制変更を読み取った人はいませんでした。京大憲法の解釈は、ここでは、政府見解と一緒です。 
こうした宮澤東大憲法のオルタナティブといった京大憲法の伝統があったことが、戦後のアカデミズムにおいても、保守の憲法を論じる土俵がかろうじて確保されていたということです。
それでも戦後という時代は、宮澤東大憲法学を通説に押し上げ、京大憲法は、少数の異端としてアカデミズムの隅に押しやられてきたのです。
とはいえ、京大です。アカデミズムの土俵で正統な論の1つとしてレスペクトされてきました。そしてやっと時代が回ってきたのです。
とにかく、東大解釈を相対化する一番の早道は、京大憲法だということを、覚えておいて下さい。  

大陸の憲法学は、ルソーの「一般意思」を出発とする「主権」の体系です。上からの主権論といっていいと思います。ヘーゲルのいう「時代精神」。ショウペンハウエルのいう「盲目的意思」です。それは、北朝鮮のいう「主体(チュチェ)」という概念にもつながっているように思います。

マルクス=レーニン主義が、共産党独裁を正当化したのは、プロレタリアート階級に一般意思が宿るという発想です。最大多数の階級であるプロレタリアートによる「独裁」こそが、最も「民主的」だという弁証法的な詭弁を用います。プロレタリアートが担う歴史的使命(階級闘争史観における歴史の推進者としての役割です。)を自覚する共産党という≪前衛≫が、「時代精神」としての「一般意思」を代表するからです。 この≪前衛≫という言葉がもつロマンチックな響きが、どれほどかつての知識人やエリート達を革命へと駆り立てたことか。

さて、この抽象的な神に由来する一般意思を、どのように政治の場に反映するかというのがルソー的な直接民主主義の構想の出発点にありました。
ルソーの母国フランスでは、現代でも、国会によって発見される一般意思に対する信奉を抱いているようです。ドイツでは、もともと一般意思に懐疑的であって、これを憲法制定権力=主権というより現実的なものに言い換え、そこに一定の現実的限定を設定しました。

憲法制定権力は自身の担い手を変更することはできないというドイツ的なドグマがそれで、それが東大憲法の改正限界説を支えていました。憲法学は、その基礎の学問としての 法哲学に規定されます。そこでは、やはり純粋法学を打ち立てたハンス・ケルゼンと天才政治学者のカール・シュミットの影響は絶大であり、法学を目指すものとしては、この2人の影響を逃れることはできませんでした。東大の宮澤、そして清宮は自他ともにケルゼニアンを任じていたことはよく知られています。

基に戻ってこの西欧哲学における「意思」については、キリスト教の「神」を、人々の集合的な意思、民族的無意識としての「意思」に言い換えたものだと、私は理解してきました。西欧における≪普遍≫への渇望は、強力なものがあります。カトリックは、ラテン語の≪普遍≫という意味です。

これに対し、英米の憲法学は、人々の言語ゲームのなかにあるコモンローを重視します。文化に規定された地域毎にちがう「掟」を重視し、そこに神の意思をみます。理性的な普遍性よりも現実の規範事実を重視します。英米の「法の支配」は、王がもつ普遍的理性に基づく命令対する抵抗の哲学でした。

構造主義やヴィトゲンシュタインの言語ゲーム哲学は、普遍性ではなく、いまここにある精神の規範的構造を読み解くことで、世界のからくりを摑もうとしました。しかし、それは神=普遍的で合理的な意思であり、絶対的な価値への信仰=が死んだことを意味します。

そこには日本的な文化を1つの構造として救いだし、かつ言語ゲームの場としての≪世間≫があり、日本人にとって英米的なコモンローがなじみやすい理由があります。デカルト以来の大陸における西欧哲学は、この「意思」とデカルト、カントの「理性」との相剋の劇場として展開しています。それは、カール=マルクスを最高峰とする近代唯物論哲学の決定論から、ニーチェのツァラトストラ的葛藤を経て、ソシュール言語学、レビストロース構造主義を経由し、西欧的頂上に向かう「絶対」が相対化され、価値の相対化を前提とした文化多元主義のポストモダーンの哲学、そしてこれを政治的に実践しようとする現代アメリカ政治哲学と変容しても、基本線は変わりません。

一神教のマルクス主義を打ちのめした構造主義は、多神教の哲学でした。未開人の精神に宿るブリコラージュに理性をみたのです。その違いは、構造の違いだとして、西欧的理性とは別の価値と構造をみたのです。普遍的で人類の共通の歴史的な発展段階を説いてきたマルクス主義は、アジア的、とりわけ日本的な多神教の文化と構造に敗れたといってもいいでしょう。

ユダヤ問題、イスラム問題は、一神教世界の内部で生じている多神化現象であり、そこでは一神教の信仰と距離を置かない限り、共存への道は開けないのですが、そこでは同時にアイデンティティの危機が生じます。
西欧世界で起こっているアイデンティティをめぐる極右排外主義の台頭はそのところを基盤にしています。なぜアメリカ人はトランプに熱狂するのか、それは「メリー・クリスマス」をいえる大統領だからでしょう。
文化多元主義は、2つのベクトルをもっています。1つは、共存に向けた文化の相対化・平準化です。もう1つのベクトルは、アイデンティティへのこだわりです。理性と意思の相剋は、21世紀では、難民問題とヘイトスピーチに収斂されつつあります。あと20-30年は、そのような時代が続くのでしょう。

現在、世界で起こっているアイデンティティの危機と渇望は、理性と意思との相剋の極めて21世紀的な現象なのだとみています。難民問題とヘイトスピーチは、合理主義、普遍主義、共同体主義、アイデンティティをめぐる極めて現代的哲学課題です。

≪おまけ≫
憲法無効論は、日本人のアイデンティティとしての帝国憲法への復帰を希求します。しかし、帝国憲法すらも、ドイツ流西欧憲法学の輸入です。そこに日本的エッセンスを籠めようとした井上毅の努力については認めても、せいぜい60年程度の寿命しかありませんでした。日本国憲法はもうじき70年を超えます。

戦後直ぐに復帰するならともかく、帝国憲法より、日本国憲法が長生きしてしまった今になって、無効論をいっても、いわば老人の繰り言でしかありません。むしろ、日本の天皇の歴史に照らせば、純粋に権威に特化し、権力をもたない天皇こそ、平安後期、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代を日本的な国体であるといっていいと思います。 それは天皇を権力を伴わない象徴としての権威とした日本国憲法が、より日本の伝統的かつ歴史的な国体を表現していると思っています。

これは、僕がいっているのではなく、戦前から京大の倫理哲学をひきいていた和辻哲郎のアイデアであり、和辻哲朗と佐々木惣一との間で展開された≪国体変更論叢≫は、多くの憲法の教科書に紹介されています。こうした歴史的な論叢の基盤に基づく議論であれば、アカデミズムの土俵にあがることができるのです。

僕は、和辻哲朗流の考え方を「青い鳥」のストラテジーと呼んでいます。国体の連続をいう僕の考えは、この和辻哲郎の主張をもとにしています。
(H30/10/11  MLへの投稿から)

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