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【授業の必需品】教材について【特別支援教育】
今日のテーマは『教材』です。
授業をするうえで、ごく当たり前のようにある教材。
チャットgptで調べるとこんな解答がなされました。
学校で使う「教材」とは、授業や学習のために使用される資料や道具のことを言います。具体的には、次のようなものが含まれます。
教科書(国語、数学、科学などの授業で使う本)
プリント(先生が配る学習用の紙)
ノートやワークブック(書きながら学ぶための冊子)
視聴覚教材(DVD、映像、音声などを使った教材)
実験道具や模型(科学の実験で使う道具、地球儀など)
デジタル教材(タブレットやパソコンで使える学習アプリやデータ)
つまり、授業をよりわかりやすく、効果的に学ぶために使わずにすべてを「教材」と呼びます。
これが先生方の思う『教材』で、おそらく相違ないと思いますが、
今回はこの『教材』観を少し変える見方をお伝え出来たらなと思います。
もし面白いと思ってくれた方は、フォローとスキ、よろしくお願いします!
普段の教材はミクロな視点
教材と考えたとき、どんなものが思い浮かぶでしょうか。
例えば、TVであったり、タブレット端末であったり、
ワークシートであったりするのではないでしょうか。
これらは、これ以上細分化できない、いわゆるミクロな教材と言えます。
大体教材を想像するときはそういうもので、それで困ることはありません。
今回はこの視点をもっと引きで見る。
要はマクロな視点で見てみるとどうだろうという試みです。
マクロな教材は、子どもにとっておもちゃになる
教材を考えるとき、どんなことを基準に考えるでしょうか。
おそらく、教育効果か子どもたちの興味関心から選ぶと思います。
特に、特別支援学校の先生はそういう傾向が強いのではないでしょうか。
子ども達が自分から教材に触れようとする、
そんな主体的な行動を誘い出すために教材を作ると思うのですが、
そこで先生の指導が入らなかった場合、
その教材は子どもたちにとって格好のおもちゃに変わります。
ワークシートはお絵描き用の紙に。
タブレット端末は動画を見る道具に。
実際そういったことになって困る先生もいるのではないでしょうか。
でもそれはしょうがないのです。
子ども達の興味関心をひくために選んだものですから、
勉強よりも遊ぶために使いたいと思うのは素直な証拠です。
マクロな視点から見えてくるもの
おもちゃと化した教材は、実はなんの教育効果もないわけではありません。
先ほどお絵描きに使った子どもは、手先の器用さや色彩感覚を、
動画を見ている子どもも、階層というパソコンに触れる際に重要な
思考を得ることができているかもしれません。
おもちゃはそもそも、子どもたちにとって天然の教材です。
おもちゃを好きなようにいじり、友達と一緒に触れることで、
社会性を手に入れることもあります。
そこに無理強いはありません。教師からのトップダウンもありません。
結果的にマクロ的な視点を得ることで、
教材がおもちゃになり、おもちゃが教材になりました。
わけがわかりませんね(笑)
ただ、おもちゃは先に述べたように、
様々なことを教えてくれる先生のような存在でありつつ、
自分で操作しないとただのがらくたになってしまう、
か弱い存在でもあります。
実は教材も一緒です。正しく活用できれば教育効果を得られるものの、
遊んでしまうと、あらぬ学習をしてしまうことがあります。
だからこそ、教材は大切に扱う必要があり、
授業の準備をする際には、教材の吟味をすることが大切になります。
なので、子どもが教材で遊ぼうとしていたのなら、
「教材は、みんなに楽しんでもらうために準備したんだよ、待っててね」
と伝えてあげてください。
きっと大切に扱ってくれるはずです。
まとめ
さて、今回かなり無理やりな内容になっているような気がします。
その時考えたことをそのままの勢いで書いてしまったのが敗因です(反省)
とはいえ、こういう風にごく当たり前にあるものをいろんな視点から
考えるというのは、授業をする教師にとっては、
必要な力、ライトスタッフと言えるのではないでしょうか。
詰まるところ、、、ごめんなさい。明日からがんばります(笑)