![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164581947/rectangle_large_type_2_c867700d3c0c5f532e1bc3deb91a6ca8.png?width=1200)
#001_障害について テキスト
障がいという言葉は少しずつ使われなくなってきている
知的障害、肢体不自由、盲、聾、事故や出生時、発達障害、学習障害…
そんな中、発達障害と診断される方が増えてきている
今まで見えていなかった境界知能の児童生徒の存在がある
背景の一つではあるが、出生前診断で障害がわかり、
決断を余儀なくされる方もいる
障がいがある人は、健常の人と違う人生を過ごさなければならないのか?
答えはNO NOであるべき
私が特別支援学校で関わってきた経験で話をすると、
『障がいを持っていると思って、関わらないほうが良い』
仮に小学校の子ども達30人に、
まったく同じ指導をしている先生はいないだろう
一人ひとりに得意なこと、苦手なことがあって、
それに合わせて言葉をかけてあげる
障がいがある場合も同じことで、その子にあった教え方を考えながら
勉強を教えることに変わりはない
勘違いしないでほしいこととして、
「じゃあ指導者は障害について勉強しなくてもいいのか?」
当然答えはNOだ
むしろ積極的に学んでほしいと思っている
どうして『障がいを持っていると思って、関わらないほうが良い』
という結論に至ったのか
その理由はその子が持つ障がいについて、
たくさん学ぶことで根拠を得たからだ
なんでそういう考えにいきついたのか、
障がいにあった指導をすべきではないのか
いろいろ考えながら勉強を教えていく、先生も学びの連続だ
同じ理由で小学校や中学校の児童生徒を、どのように指導すればいいのか
その根拠はどこにあるのか
これも本来学びの上に成り立たなければならないこと
ただ、教師や保護者、子どもが利用するサービスのスタッフの方々は、
子どもでいた時期がある
それを根拠に指導をすることができるだろう
また、学習指導要領という勉強を教えるための約束事が
国から提供されている
これも勉強に活用できる根拠ではあるのだが、
これによって誤学習を起こす可能性もある
それはまた、別の機会に
考えたいことの一つとして、
生活年齢と実際の年齢が離れている場合があるということ
例えば、中学生男子であれば、
性的な興味を持ったり、自分のプライベートゾーンについて
気を遣うことが一般的であると思う
ただ、普段の生活の様子が小学校3年生程度の認知であった場合、
プライベートゾーンについて意識することは難しいだろう
女性の先生に下半身を見せてしまうこともあるかもしれない
これが、生活年齢と実年齢の幅の問題
そうなるとどっちに合わせて勉強を教えればよいのかとなるが、
両方教えてあげることが良い
学校で教えてあげられる時間は限られているが、
そういう場合は家庭やサービスの方との協力が必要になる
また、今一番その子に必要なことは何なのかも考える必要がある
そのために支援会議や懇談が行われている
「障がい」と一言で言っても多種多様
それでも一人間として、QOLを目指していくことに変わりはない
障がいがあろうとなかろうと、将来向かう先は無限にある
私は導いてあげるなど大きなことは言えないが、
児童生徒の歩く道の草刈り程度なら一生懸命がんばっていきたいと思う
それくらいの気持ちをもって子どもと接することが
ちょうどよいのではないだろうか