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私は子どもの頃から人生ハードモードだった件について

おはようございます。
9月最初の日曜日は、引っ越し準備デーです。
荷物を箱に詰めようとしまっている物を出してみると、
よくこんなところにこんなに物収まってたな~と感心しませんか。笑
物はない方だと思ってましたが、まだまだです。

今日は、なんとなく自分の過去について書いてみたいと思ったので、少し暗い話になるかもしれませんが、よかったら最後まで読んで下さい。

実を言うと、私の幼少期はなかなかハードな思い出でいっぱいです。
そのせいで大人になってからも、あらゆることに苦しめられてきました。
最近になってやっと吹っ切れたこともあったり、歳を重ねて強くなったのもあって、今は本当に幸せに生きられていると感じます。

私の家は、両親と妹の4人家族でした。
ですが、私が小学校低学年の頃、両親は離婚し、私は母と妹と一緒に母方の祖父母の家で暮らすことになりました。

両親が離婚するまでの数年間が本当に地獄でした。
父は自営業で、人相手の仕事だったためか、外で気を使っている分、家の中で全てのストレスを発散するような人でした。
気に食わないことがあると、母へ暴言を吐くことはもちろん、壁を殴って穴を開けたり、母を殴る蹴るの暴力も日常茶飯事でした。
キレた父が母を外まで追いかけ回して、母が橋の上で土下座をするのを間近で見たこともありました。
その日の夜から、母が橋から落ちて川に流される夢を沢山見ました。
私は、DVのある家庭で育ちました。
子どもの前でDVをすることを、面前DVと言うそうです。
私は面前DVの当事者です。

また、父はDVだけでなく、不倫もしていました。
幼稚園生の私は、母と妹がお風呂に入っていた時(その時父は不在でした)、不倫相手からの電話をとったことがあります。
あざ笑うような声でいろいろ質問されましたが、私も小さくてよくわからないまま応対したのを覚えています。
大人になって、結婚して子どももいる私が今、その不倫相手の女性のことを思い出すと、何の優越感に浸っていたのかあの嬉しそうな声がとても気持ち悪かったなと思います。

幼稚園~小学校低学年までは、
いつも私は母の泣き顔ばかり見ていました。
離婚した後に母が元気になったかというと、母も精神が弱く父に依存していたためか、数年間は立ち直らず毎日のように泣いていました。
とにかく母に笑顔になってもらいたかった。
だから毎日家でも元気に振舞って、母のドレッサーの端っこに「まま、げんきになってね」という言葉とイラストを描いたメモを隠したこともありました。

でも私は思い返すと、とても恵まれていたように思います。
祖父母も優しく、いつも私を褒めてくれました。
母も私たち娘を叱ることはほとんどなく、とても可愛がられて育ちました。
面前DVの傷を負っていましたが、私たち姉妹は本当に何不自由なく、グレることもなく育つことができました。これには本当に感謝しています。

こうやって、幼少期に辛い経験をした私でしたが、母や祖父母が喜ぶ顔が見たくて、とにかく頑張ったことがありました。
それは勉強です。
もともと勉強は得意でした。保育園の頃から自分の名前を平仮名やカタカナで書けました。本を読むのも大好きな子どもでした。
学校で100点を取ると家族みんなが笑顔になってくれました。
中学校からはテストは順位制になり、田舎の中学でしたので、毎回1~3位の結果を持って帰ると、「バカなままから産まれたのに、ななちゃんはすごい」といつも褒めてくれました。
高校は隣町の有名な進学校に合格しました。その中でも難関大学を目指すクラスに入り、周りの賢い友だちに刺激を受けながら一生懸命勉強しました。

そして私は、大学受験の前期試験で失敗したものの、後期試験でなんとか合格することができました。
その大学で学んだのが特別支援教育でした。
障がい児教育なんて微塵も興味はありませんでした。そもそも前期は別大学の経済学部を志望してました。
後期で判定がよかったから願書を出しただけだったのです。
でも、私は結局この道に導かれたのではないかと今では思います。

特別支援が必要な子どもたちの中には、
その特性ゆえに苦しい思いをする子たちが多く存在します。
また、家族関係が良くなくて、愛着障がいなどの二次障がいとなるケースも少なくありません。

私はそんな子どもたちと出会う度に、自分の過去の経験を思い出して苦しみました。
子ども時代の傷は全然癒えていませんでした。
母の笑顔のために、自分の苦しみや悲しみを見なかったことにしていました。
もっと母に抱きしめてもらいたかったけど、そんなふうに言える状況ではなかった。だからまずは母に笑顔になってもらおうと必死でした。

でもいつしか私は特別支援教育を通して、辛い思いを抱える子たちに寄り添いながら、子どもの頃の自分を一緒に育てていたのかもしれません。

それは今も同じです。
特別支援学校にいると、複雑な家庭環境の子どもがとても多いです。
両親揃ってる子なんて珍しいくらい。
親が離婚して、母が泣いている姿を見てきた子どもにも何人も出会いました。私にはなぜか「ぱぱにおこられてままがないた」ってつぶやくように言うんです。昨日今日の話じゃなくて、数年前の記憶を突然話し始める。それくらい面前DVや両親の喧嘩って辛い記憶です。

でも私はそんな子たちに、本当に心から寄り添うことができます。
これは強みだと思っています。
子どもの頃辛かったけど、あの時の経験のおかげで、こうやって子どもたちを包み込むことができている。
辛さを知ってるから、上っ面の言葉をかけるんじゃなくて、本当に安心できる大人として隣にいようと思える。

特別支援教育は、私の使命なんだと思います。

私が子どもを育てる大人が元気になってほしいと思うのは、
母が泣いているのを見るのが一番つらかったからです。
子どもは大人の気持ちを感じ取るのが上手です。
大人同士がギスギスしているのなんてすぐわかります。
そして妙に気を遣う。一番愛情が欲しいはずなのに、それは二の次にして大人をケアしようとするのが子どもです。
家で愛情が十分に与えられなかった子どもは、親以外の何かに依存しようとするのもよくあるパターンです。
それは先生や友だちなどの人だけでなく、YouTubeの動画かもしれません。はたまた甘いお菓子、虫やバスなどの何か。それらに異常なほど執着するケースをたくさん見てきました。

だから大人には元気になってほしい。
面前DVや両親の不仲は本当に辛い記憶です。私のように教師になっても母親になっても、まだ心のどこかが辛いくらいです。
でも愛情を受けて育ったから、こうやって今は幸せに過ごせます。
精神を患うこともなく、教師になり母になり、こうやって発信までできています。

子どもと大人の両方のケアが必要だと感じます。
ただの教員なので、子どもにしか直接支援はできないのがもどかしいところです。
でも子どもたちを見ていると、ああ今お母さん大変なんだろうなって思うことめっちゃあります。
子どもを見ると、家庭環境が見えます。
でもそこにアプローチは到底できません。
だから私は発信を始めました。

発信しながら、教員としてできることを探したい。
また、1人でも多くの人が前を向けるような発信をしたいと、いつしか思うようになりました。

私のように幼少期辛い思いをしてきた大人は、たくさんいるのではないでしょうか。

そんなあなたが、私のnoteを読んで、少しでも心が軽くなったり、安心できたりしたら幸いです。

他にもまだ伝えたいことがたくさんあるので、また少しずつ書いていきたいと思います。
私は結構、自分が心地よいと思うことを見つける才能があると思っているので、そんな方法も書いていけたらいいな。

こんなに長いnoteを最後まで読んで下さってありがとうございました。

途中書きながら泣いてしまった私です。

自分の子どもをたくさん抱きしめて、それから夫にもたくさん抱きしめてもらおうと思います。

それでは。

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