私たちが今のビジネスモデルに辿り着くまでに積み重ねた、失敗と試行錯誤の歴史を振り返ってみる
先日の取締役退任の発表記事には、本当にたくさんの反響を頂き、ありがとうございました。
1万字近い長文の記事にもかかわらず、多くの方に読んでいただいたようで、自分でも驚くような様々なフィードバックを頂きました。
おかげさまで、7月以降の自分の方向性も決まってきました。
なお、あの記事のおかげで、その後、久しぶりに色んな方と昔話をする機会がありまして。
こんなインタビューまでして頂いて、この12年間を振り返る機会が多かったこともあり。
けんすうさんの「僕のやってきた失敗したサービスについてのまとめ」に影響され、この機会に自分が辿った失敗の歴史をまとめておくのも良いかなと思い、この記事を書くことにしました。
おかげさまで、アジャイルメディア・ネットワークは昨年東証マザーズに上場させて頂くことができたので、一部の方からはスムーズにここまで来たと思って頂いているようですが。
現在の「アンバサダープログラム」というビジネスモデルに至るまでは、今振り返っても、恐ろしいほどの失敗と試行錯誤の歴史でした。
皆さんがこの記事で、少しでも「うちの方がマシだな」と勇気を持って頂ければ幸いです。
1:ブログのアドネットワーク事業 2007年2月
元々、アジャイルメディア・ネットワークは米国の Federated Media Publishing のビジネスモデルにインスパイアされる形で、2007年2月に誕生しました。
上記の記事でも「ブロガー向け広告」の会社とタイトルになっていますが、当初のビジネスモデルは人気ブログの空きスペースをお借りして、広告を代理販売するというシンプルなアドネットワークのモデルでした。
当時、米国のFederated Mediaは凄い勢いで成長してたんですよね。
TechCrunchの記事によると初年度の2006年でいきなり450万ドルですから、約5億円弱。二年目の見通しが3000万ドルで30億円以上という注目のモデルだったんです。
何しろTechCrunchとかdiggとか、テクノロジー系の有名ブログとかほとんどこのFederated Media参加だったんですよね。
新興ブログが誕生したばかりで、まだ広告販売とかを個別にやる余裕がなかったところを、うまくFederated Mediaがネットワーク化して大成功していたわけです。
アジャイルメディア・ネットワークは社名もビジネスモデルも、明確にこのFederated Media Publishing の影響を受け、そのモデルを踏襲。
アドネットワークの広告単価も、日経BPなどのクオリティメディアと同等の設定という強気の価格設定でした。
ネットワークに参加しているブログは、そういった媒体にもコラムを寄稿しているような人たちだから、同じクオリティの記事なら広告単価も同等というロジックだったんですよね。
2006年当時、日本のブログにおいて我々がペイパーポストと呼んでいる、大量のブログに1記事100円とか300円とかで記事を書かせる手法が大流行していて、それによってブログ=やらせ記事、ぐらいの印象になりかけていた時代で。
ブロガーがそういうヤラセ手法に走らないためには、ブログできちんと広告収入が入ることが大事なはず、という問題意識から構築されたビジネスモデルだったのです。
そのため、当然ながら当時の広告主にそこまでしてブログに広告を出したいという人はほとんどおらず、アドネットワーク単体の事業は早々に行き詰まることになります。
まぁ、当時完全にアドネットワーク事業に特化して、ブログにこだわらずに事業展開していれば、それはそれで別のシナリオもあったのかもしれないんですけど・・・
いずれにしても、パートナーとして参加頂いたブロガーの方々には本当にたいした恩返しもできないまま終わってしまった事業になります。
2:ブログオンブログ広告(ネイティブアド事業) 2007年2月
前述のアド事業と同時にアジャイルメディア・ネットワークならではの挑戦として始めた広告事業が「ブログ・オン・ブログ広告」というものでした。
これはパートナーのブログに、相互のブログ記事のリンクとしてブログパーツを貼ってもらい、その中に企業のブログを有料で表示可能にするというもの。
単純にバナー広告の仲介をやるのでは、ブログネットワークとしての意味がないと言うことで、海外のTechmemeというサイトが記事リンク集の中に広告枠を設けていたのを参考に開発し、実験的な広告枠として力を入れていたものです。
いやー、今考えると、ネイティブアドのはしりだったと思うんですけどねぇ。
2007年ですからね。
企業がブログを開設するのがまだまだ珍しかったのはもちろん、オウンドメディアという言葉すらなかったですから、そもそも広告枠に関連記事として記事を配信したい企業どころかメディアを運営している企業がほとんどおらず。
この広告パーツは、ほぼほぼパートナーブログ同士の相互リンクパーツとしてしか使われない結果になりました。
とはいえ、ここに将来性を見いだして関連記事パーツとしてがんばっていれば、アウトブレインさんとか、ログリーさんみたいな事業展開もありえたかもしれないわけですが・・・
はい、たらればです。負け犬の遠吠えです。
3:Yahoo!ニュース ブログ/意見 2008年2月
実は会社ができて1年経ったばかりの2008年2月。
ヤフーさんからありがたいことに、Yahoo!ニュースの中にブログや意見のコーナーを作りたいと言うことで、AMNパートナーブロガーの記事を配信させて頂いたことがあります。
ここのコーナーへの推薦はありがたいことに弊社に任せて頂いたんですよね。
ただ、当時私はブロガーのブログを拠点と捉えていたので、報酬がない形での全文転載は難しいと判断、一部の記事転載で「詳細を読む」をクリックしたらブログに飛ぶというスタイルでの掲載をお願いをしていました。
当然、ヤフーさんからするとせっかくのヤフーにいるトラフィックを外に逃がす構造なわけで、よく受けてくれたと本当に感謝していますが、ここを早期に整理していけば、もっと早くに今のYahooニュース個人的な取り組みとして、ブロガーの方々の記事の露出場所を増やせたのに・・・というのは後悔が残ります。
とはいえ、今のYahooニュース個人のような仕組みであれば、アジャイルメディア・ネットワークがお手伝いする必要はなくなっちゃうわけですが。
4:ブログレーダー(注目のニュースまとめサービス) 2008年2月
アジャイルメディア・ネットワークでは、半年程度で広告代理ビジネスに限界を感じていたこともあり、資金調達ができた後、ブログ関連でいろいろと新規事業にトライしていました。
その1つがこのブログレーダー。
スーパーエンジニアの福田さんが入社してくれたので、前述のTechmemeの日本版を作ってみようということで、福田さんにサクッと開発してもらったものです。
ただ、ここで私たちのセンスが悪いのが、せっかく被リンクを元に注目の記事を抽出するという仕組みを作ったのに、収集対象をブログ限定にしてしまった上に、メディアビジネスとしての可能性を低く見積もってしまって、まったく本腰を入れなかった点でしょう。
この後、ケータイ向けのブログ記事まとめサービスとか、投資家向けの企業ニュースまとめサービスとか、ブログ記事をまとめたニュースサイトとか、ポータルの模索はいろいろするんですが。
どれもブログ記事にこだわりすぎてしまったんですよね。
その後、洗練された仕組みでニュースサイトに特化したGunosyが非常に話題になり、スマートニュースやアンテナなどのスマホ向けニュースアプリの時代が到来するのはご存じの通り。
福田さんの技術力を、ブログの抽出ではなく、メディアの記事の抽出に使っていればという、後悔先に立たず案件の代表です。
まぁ、あれだけいろいろトライして芽が出ていないので、早すぎたと言えば早すぎたし、メディア事業に集中できてなかったから、当然と言えば当然という結果ではあります。
5:つぶやきまとめCMS (Twitter分析ツール) 2010年2月
前述の福田さんがTwitterのAPIに精通したエンジニアだったこともあり、アジャイルメディア・ネットワークでは、かなり早くからツイッターを活用したキャンペーンに取り組むことができました。
ツールのリリースが2010年2月ですからね。
例えば、ローソンのツイッターアカウント「あきこちゃん」が始まったばかりの時に、ローソン関連のつぶやきまとめのページを制作させて頂いたこともあります。
この時に確立した技術があるからこそ、今でもアンバサダープログラムを実施する際に提供しているアンバサダープラットフォームで、企業のファンのツイッター投稿の分析を丁寧に実施することができるわけなので、この部分に関しては、失敗というのはちょっと言いすぎではあるんですが。
これはこれで、この部分を研ぎ澄ませていけば、海外のSprinklrの日本版みたいな展開の方向性もあったのかなと、少し思ったり思わなかったり。
6:Fans:Fans (好きなものでつながるコミュニティ) 2010年7月
会社として一番開発に力を入れたんだけど、最終的にクローズする結果になったのが、このFans:Fans(ファンズファンズ)
当時の口コミ施策が、どうしても興味があるかどうか分からない人に無理矢理商品やサービスを紹介するという形になりがちだったので、まずはユーザーが好きなものを知っている状態になって、好きな人にもっと話題にしてもらおうという、今のアンバサダープログラムに近い理想像を持って開設したコミュニティサイトです。
今考えると、やはり色んな要素を盛り込みすぎてしまったんだなと言うのがシンプルな敗者の弁ですし。
似たようなコンセプトで当時比較していたサービスは、軒並みピボットしてしまったので、これをウェブサービスとして運営して稼げると思っていたこと自体がセンスがないことだったのかもしれません。
その後、モニプラさんの真似をして、企業向けの定額契約サービスとかをやろうとしますが、手ひどく失敗した歴史があります。
とはいえ、このサービスが現在のアンバサダープログラムの概念に辿り着く上で、非常に重要なステップではあったのは事実です。
大きい失敗はこんな感じでしょうか。
というか、書いていて、自分でも辛くなってきたので、これぐらいにさせてください(涙)
まぁ、正直、他にもあげようと思えば、2009年から3年間ボランティアで実施していたWISHというスタートアップのプレゼンイベントは、ちゃんと続けてればTechCrunchのイベントみたいに、もう少し儲かるビジネスになったんじゃないかとか。
せっかくYouTubeさんからビデオブロガーのMCNに選んでもらい、ジェットダイスケさんとか講師で手伝ってくれようとしたんだから、ここを真剣にやってれば、UUUMの二番手とか三番手ぐらいのポジション狙えたんじゃないかとか。
他にも失敗したことは山ほどありますし、後悔することも山ほどあるんですが。
そういう大量の失敗を積み重ねた結果、当時なんとなく分かってきたのは。
スモールスタートで試してみるとは言っても、真剣に本気で注力しなければ上手くいくわけはないということ。
そして、やっぱり、自分達がやりたくないことを儲かりそうだからと、背伸びしてやろうとしても上手くいくわけはないという、すごく当たり前の結論でした。
そんな当たり前のことに気がついたのが、創業から5年経った頃。
遅いよって話なんですけどね。
元々私は、創業者ではなく、3人目の社員としてジョインしてるので、なんとなく創業時にやろうとしていた広告とメディアビジネスをやらなくちゃ、と思い込んでいて。
自分が知識もなければ、興味もあまりない事業を背伸びして何とかしようとしてしまっていたわけです。
サラリーマン社長的ですよね。まぁ、間違ってたんです。
その後、アジャイルメディア・ネットワークは、2012年頃からアンバサダー重視に会社の軸を切り、2013年にはソーシャルメディアサミットという名称で実施していたイベントを「アンバサダーサミット」に改名。
2013年末にはアンバサダープラットフォームの前身となるツールを開発。
私も社長を降りて、最終的にはアンバサダープログラムの営業活動に専念するようになり。
名実共にアンバサダープログラムの会社になっていくことになります。
今振り返ると、おかしな話なんですが。
実は、今でも使っているソーシャルメディア活用の啓発のプレゼンとか、10年前のスライドとそんなに基本構造は変わってないんですよね。
多分、10年前とか15年前から、私が興味があったのは、企業にファンである自分達を相手して欲しい、という既存顧客やファンとのコミュニケーションの強化であって。
企業が、ペイパーポストとかステマとか、商品に興味がないナンチャッテインフルエンサーにお金を払うんじゃなくて、既存顧客やファンとのコミュニケーションにお金かければ良いのに、というのが、私の問題意識だったんですが。
ただ、そういうパブリックリレーション的な活動はなかなかビジネスにできないだろうと思い込んでしまったことで、中途半端にいろんなサービスに手を出してはすぐに諦めて、というのを繰り返し、前述のように失敗の山を築いてしまったんだろうなと振り返っています。
もちろん、本当に起業家として優秀な方々は、こういう時にはサッとスケールする事業を別で見つけて、すぐにピボットされて速攻成長されたりするんだと思うんですが。
私みたいに、そういうのに向いてない人間は、やはり地道に、自分がやるべきだと信じられて、自分がやっていて楽しい事業に全力を投入し続ける方が、いつか突破口が見つかったりするのかな、と思ったりする今日この頃です。
ちなみに、アジャイルメディア・ネットワークは、私は取締役から退任しますが、社長の上田さん、副社長の石動さんを中心に、出口さん、安藤さん、上吉原さん、井上さんというメンバーが事業部長として並ぶ、新しい体制になりました。
7月10日(水)に以前アンバサダーサミットに改名したイベントである「ソーシャルメディアサミット」を再び開催することにしたのは、アジャイルメディア・ネットワークが次のフェーズに進むための大事な儀式だと思っている次第です。
当然、各事業部長は、私が辿ったような試行錯誤の道を、これから事業部毎に辿ることになるはずで。
是非、失敗を恐れずに、自分なりの、やりがいを感じられて、やっていて楽しい事業を見つける挑戦を続けていってもらえると良いなぁと思いますし。
この無駄に長い記事を読んで頂いた皆さんが、会社の中で新事業に取り組まれたり、ご自分で起業される際に。
こんなに5年以上大きな失敗をし続けていても、なんとかアンバサダープログラムという事業モデルに辿り着いて生き残ることができた会社もあるんだな、と安心する要素の一つに使って頂ければ幸いです。
ここまで記事を読んでいただき、ありがとうございます。 このブログはブレストのための公開メモみたいなものですが、何かの参考になりましたら、是非ツイッター等でシェアしていただければ幸いです。