「ナラティブカンパニー」が定義する「ナラティブ」は、今後の企業経営において必須のキーワードになるかもしれない
戦略PRの提唱者としてもお馴染みの本田哲也さんの新刊「ナラティブカンパニー」が、業界関係者の間で話題になってますが。
遅ればせながら私も読み終わりましたので、感じたことをメモしておきたいと思います。
この本では「ナラティブカンパニー」を、「ナラティブ(=物語的な共創構造)」を生み出し、その構造の中でマーケティングや広告・PR活動を行うことで、業績や企業価値の向上を果たしている企業、と定義されています。
上記にもあるように、この本における「ナラティブ」とは、「物語的な共創構造」のこと。
ネットやSNSの普及により、顧客と企業の距離が縮まり、顧客や社会の人々の声が響き合うようになり、企業のすべてが可視化されるようになった現在において、この「物語的な共創構造」を顧客や社会との間に作れるかどうかが、企業の業績や存在意義に大きな違いを生み出すんだろうな、というのが良く分かる本になっています。
「ナラティブ」というキーワードは、私も海外のマーケティングやPRに詳しい方から何度か聞くキーワードだったんですが、日本人には馴染みのない単語なので、これは無理せず「ストーリー」と置き換えた方が良いだろうなと思っていたのが正直なところ。
「ストーリー」も「ナラティブ」も辞書をひくと「物語」と翻訳されちゃうんですよね。
日本人の思考のバリエーションにない違いなわけです。
ただ、この本で本田さんが本気で「ナラティブ」を「ストーリー」と違う概念と明確に定義してくれたことで、個人的には「ナラティブ」の重要性がようやく腹落ちしました。
マーケティング業界では「ストーリーテリング」という言葉とともに、ストーリーが大事という認識は広く行き渡ったと思います。
その結果、企業が語る「ストーリー」はネット上に大量にあふれかえるようになったんですが、ユーザー側の自分の視点からすると少し違和感があったのは、企業が主語で語られる「ストーリー」の多くが、広告が物語化されているだけだったり、物語調の宣伝行為のままであって、この本で定義されているストーリーの受け手である私たちにとっての「物語」になっていない点でした。
この本で定義されている「ナラティブ」と「ストーリー」の違いは、その違和感を明確に説明してくれています。
企業が今の時代に取り組むべきは、生活者が自分事として受け止めることができる物語を紡ぐことであって、耳障りの良い「ストーリー」を従来の広告の代わりに生活者に投げ続けることではないということだと思います。
この書籍「ナラティブカンパニー」では、そうした生活者に「物語」として自分事化された様々な事例が多数でてきます。
特にさすが本田さんだなと思うのは、このナラティブを実践するためのステップをちゃんと整理してくれていて、効果の測定についても明記されている点。
「ナラティブカンパニー」は、最近の日本の書籍のトレンドと逆行するように、まるで海外の著者の翻訳本のような分厚い、なかなかなお値段の書籍になっているのですが、その価値は間違いなくあります。
この本は、「はじめに」で本田さんも書かれてますが「ナラティブ」というキーワードを紹介しているだけの本ではなく、「パーパス」「パーセプション」「デジタルトランスフォーメーション」「オーセンティシティ」「SDGs」など、とかく日本の業界では「バズワード」と消費されがちなキーワードが、なぜ注目され、どのような相関関係にあるのかという視点で、現在の時代の変化とこれからの企業のあるべき姿を「ナラティブ」というキーワードで解説している本です。
今後、この本を読んだ企業においては、「それはただの「ストーリー」じゃなくて、生活者にとっての「ナラティブ」になってるのか?」と問われることが増えるのではないかなと言う気がしますし、そう問い続けることが違いを生むポイントになるのではないかなと言う気がします。
マーケティングやPR業界の方はもちろん、経営者や経営者を目指している方々には必読本と言える本だと思います。
先日、ご紹介した鹿毛さんの本と合わせて読むのもお薦めです。