見出し画像

4度死んだ男

こんにちはトクです。

本日も訪問くださりありがとうございますm(*_ _)m

今回も創作物語を書いてみたいと思います。

拙い文章ですが最後までお付き合いをお願い致します。

その男は、すでに4度死んでいた。

1度目は生後3ヶ月の時であった。

脱水症をおこし、医師から死亡宣告をされた。

しかし、男の父親が諦めきれなかった為に、医師に再度の心臓マッサージを懇願したのであった。

その結果、男は息を吹き返したのであった。

2度目は小学校4年生の時である、夏休みに自転車で遊んでいた男は、前方不注意の車に跳ねられた。

男は空中高く飛ばされて、道路脇の側溝に頭から突っ込んでしまった。

すぐに救急搬送されたのだが、脳内出血が酷く、医師からは手は尽くすが覚悟しておいて欲しいと告げられたのである。

2週間の集中治療室での治療の結果、男は息を吹き返したのであった。

男の家族は、この子は2度死んだのだから、きっと長生きするだろうと思った。

3度目は、高校生の時である。

今度も交通事故であった。

学校の始業時間に遅れそうになっていた男は焦って自転車をこいでいた。

そして、学校まであと数十メートルという所で、またまた車に跳ねられてしまったのであった。

完全に男の不注意であった。

無理に道路を横切ってしまったのだ。

その為、1度車に跳ねられて道路に身を投げたあとに反対方向から来た車にも跳ねられてしまったのだ。

今回も救急車により近くの総合病院に運ばれた。

救急搬送された男の息はなかった。

今回は全身打撲であった。
 
緊急オペの結果、医師からは、体に後遺症が残ることを覚悟するように言われた。

しかし、幸運なことに、男はなんの後遺症もなく全快して病院を退院したのであった。

医師からは「奇跡だ」と言われた。

ここまでで男は3回死んでいた。

そして、いよいよ4回目の死がやって来た。

それは、「死」と言うよりも「生まれ変わり」と言ったほうが良いのかもしれない。

30歳で、うつ病を発症した男は、休職と復職を繰り返していた。

精神科医の最初の診断では、「軽度のうつ病」と言われたのだが、再発を繰り返す内に「難治性うつ病」と診断された。

闘病生活が10年を越えた時、男は、自ら命を絶つ決意をしたのであった。

妻は、男の看病に疲れ、2人の子供を連れて実家に帰っていた。

妻の父親からは、離婚を勧められていた。

蓄えも底をつき、家族も失った男は人生に絶望したのであった。

うつ病を発症する直前に一戸建ての家を建てていたのだが、仕事ができない状態の男には住宅ローンの返済能力がなかった。

「俺が死ねば、子供達に、この家を残してあげられる・・・」

「迷惑をかけた家族にできることはそれだけだ・・・」

男は、大量の睡眠薬を飲んで、ガスの元栓を開けた。

念の為に手首も切った。

これで死ねる・・・。はずであった。

しかし、今回も結果的には、男は命を取り留めたのだ。

たまたま、子供達のアルバムを取りに来た妻が異変に気づいた。

そして、隣家の住人と共に家のガラスを割って家に入った。

そこには、意識を失っている男がいた。

今回も救急搬送された病院で命を取り留めたのであった。

男が意識を取り戻した時には、病院のベッド上であった。

「死ねなかったのか・・・」

そう思った男は、「そう言えば俺は3度も死にかけたんだったな」と過去の交通事故を思い出していた。

退院を許可された男は、家を売ることを決めた。

そして、妻とも離婚をした。

仕事も辞めた。

今までの自分は死んだ。
 
そして、これからの人生はまったくの別人として生きることに決めたのであった。

すると、あれだけ苦しんだ「難治性うつ病」がウソのように快復していったのだった。

うつ病と言う長くて辛いトンネルを抜けた男には、まったくちがう人生が開けていたのであった。

そう、4度死んだ男は、4度目の死で、生まれ変わったのだ。

それはまるで、サナギが蝶になったのかのようであった。

男は清々しい気持ちであった。

それでは、最後までお付き合いくださりありがとうございました。

うつ病で苦しんでいる方達に希望を与える活動をしていきたいと考えています。よろしければサポートをお願いいたします。