老眼になって思う、「見える」と「見えない」
もともとひどい近眼でして、高校生の頃から裸眼で0.04ほどです。
その昔、近眼の人は老眼になりにくいという話を聞いて
勝手に老眼になるのはだいぶ先だろうと思っていました。
ですが、四六時中パソコンを駆使し、
スマホが片時も離せないような生活を送るようになり
気が付けば、スマホ老眼なるものになっていました。
合わないコンタクトや眼鏡を使って
目を酷使しつづけているため
おそらく本当の老眼になっているような気さえします。
いや、確実に老眼でしょう。
特に夜になると細かいモノは一切見えません。
視力が悪い、ピントが合わないとなると
鏡に映る自分の顔のアラも見えなくなります。
皺はよく分かりますが、細かいシミは分かりません。
若いころはやたらと気になっていた
口周りの産毛(ひげ?)や眉間の産毛などが
まったく見えません。
加齢とともに毛というものが薄くなっているのも重なり
なおさら何も見えません。
それを良しとするかどうかはおいておいて、
自分がそういう状態になってはじめて
ずっと疑問に思っていたあることの謎が解けました。
それは、ひと回り以上年上のステキな女性たちや
自分の母親やおばたちに関する謎です。
彼女たちはいつも身なりをきちんと整えていて
髪もセットして、お化粧までしているのに
なぜか、あごの辺りから毛が1本だけ長く生えていたり、
口周りの産毛がまだらに生えたままだったり、
鼻毛がバッチリ出ていたりするのでした。
「なぜ、気が付かないのだろう」といつも不思議でした。
でも、それって単純に見えないだけなんだと
今回やっと理解できました。
だから、とってもキレイにお化粧をしていても、
なんだか残念な感じになっていたのだと
答え合わせができました。
その昔、地下鉄の中で偶然会ったド近眼の友人は
眼鏡もコンタクトもせずに乗っていたので
こちらが声をかけるまで
まったく私には気付いていませんでした。
危なくないのかと尋ねると、
「外には見たくないものがいっぱいあるから」とひと言。
哲学的でかっこいいなと思いましたが
確かに見たくないものまですべて見えるなら
ぼやけた視界のほうがマシだと思っていたのでしょう。
その友人の話とはちょっと違うかもしれませんが
年齢を重ね、ほどよく大らかに(ほどよく大雑把に)なると、
毛の1本や2本、どうでもいいのかもしれません。
見たくないものは、自然と目に入らないようになっている気もします。
見なくてもいいよって神さまが言ってくれているのかもしれません。
そこまでいったら、周りの人の目など気にせず
自分本位で生きているような感じがして
とってもラクそうだなと思います。
老眼の話から随分広がってしまいましたが
そんなことをふと思ったのでした。