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そらいろまがたま、っていう本/『空色勾玉』/文:編集部 上村 令
『空色勾玉』の作者の荻原規子さんとわたしは、大学の子どもの本のサークルで出会い、卒業後も、児童文学の読書会でよく顔を合わせていました。2人とも、学生時代に大切にしていた児童文学への思いを、社会人になった後どうやって生かし続けたらいいかと模索していたころです。就職後、児童書の仕事がしたい、としつこく言い続けていたわたしが、なんとか「じゃあやってみたら」と言ってもらい、真っ先に声をかけたのが彼女でした。荻原さんに頼もう、と考えた理由は、学生時代に書かれた創作作品(その後の荻原作品を考えると、かなり短いものばかり!)で筆力を知っていたこともありますが、それよりも、「同じものを読んで、同じように楽しんできた同志」としての信頼感が大きかったと思います。
子ども時代に読んでおもしろかったのは、ともに、圧倒的に欧米からの翻訳作品、とくにファンタジー。「『銀のいす』で、最後に地底の割れ目が閉じるときに…」などとトリビアルなことを突然言っても、ちゃんと話が通じます。でも、大人になってからは、「日本を舞台にしたファンタジーはなぜ存在しないのだろう?」と2人とも疑問に思っていました。(冗談のようですが、当時は「日本人にはファンタジーは書けない」という論まであったのです。)そこで、「日本を舞台にしたおもしろいファンタジーを出そう!」というのが合言葉になりました。
イギリスには、「ナルニア」や『トムは真夜中の庭で』に登場するような風景が実在し、イギリスで暮らす子どもは、風景まで含めてファンタジーの世界だと思って想像力を目いっぱい駆使して読む日本の子どもに比べると、「よく知っている場所でおもしろいお話が展開する」という贅沢を味わえます。それが常々うらやましかったわたしは、『空色勾玉』の原稿を初めて読んだとき、鯉に憑依した稚羽矢が狭也に話しかけてくる、蒸し暑い初夏の宮中の池や、二人が訪れる秋の松虫草の原など、さまざまな場面で、「ああ、この風景はよく知っている」と、しみじみとうれしかったことを覚えています。
出版後、一つ、忘れられない出来事がありました。原因はもう思い出せませんが、わたしは夜中に悲しいむしゃくしゃした気分で、雨の六本木を一人うろうろしていました。夜中まで開いている書店(いまはもうありませんが)にふらふら入っていったとき、がらんと明るい店内のカウンターで、高校生らしき少年が書評の切り抜きを手に、「そらいろまがたま、っていう本、ありますか」と尋ねていたのです。そして出してもらった本を、彼はその場で買ってくれました。今思うと、話しかければよかったかな、とも思いますが、わたしはただ黙って目を丸くして(悲しい気分などすっかり吹っ飛んで)、大事そうに本を抱えて店を出ていく少年の、ちょっと光る白いシャツの後ろ姿を見つめていました。
あの夜中の明るい書店から、『空色勾玉』が世代を超えて読まれている36年後の今日まで、永遠のように長かったようにも、ちっとも時間がたっていないようにも思えます。荻原規子さんは、いままた新作を執筆中です。
(文:編集部 上村 令)
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(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」2024年11月/12月号より)