「母が愛した森の王国の物語」/『かわせみのマルタン』/文:柳井 薫
寝る前に母に本を読んでもらうのが好きだった。
母は婦人服の職人で、うちの居間にはプロ用のミシンとアイロンとマネキンがあった。母には銀座の百貨店から注文が途切れず(1970年頃、高級な服はオーダーするものだった)、マネキンにはつねに輸入生地のシャネル風スーツやウェディングドレスが(縫いかけで)着せられていた。夜はシンプルなロングドレスだったのに、朝起きて見たらスパンコールが波紋のようにたくさん付いていてビックリしたこともある。今思えば、母は徹夜していたのだ。
寝不足の母は、横になって私に本を読んでいると〝半眠り〟になり、「明日のご飯は…」などと変な寝言が始まる。私は母をゆすって起こし、「ちゃんと読んで」と厳しく催促した。
好きな絵本の文を丸暗記していた5歳くらいの私は、それをつぶやきつつ絵本を何度もめくったからか、平仮名は読めた。つまり短い絵本なら自分で読めたのだ。でも、仕事や家事の手をめったに休めない母を、寝る前だけは独占したかった。長い本なら母を長く独占できる。『かわせみのマルタン』は、当時私の持っていた本の中では長いほうだった。それに、『マルタン』なら、母は眠らなかった。
正直、当時の私にはむずかしい本だった。森の自然や生き物の描写が長く、主人公のマルタンがなかなか出てこない。しかし母は、ウナギやザリガニの話を「すごいね」と楽しんだ。「いい絵だねえ」と、音読を中断してイラストをながめることもあった。「これがわたしの王国です。というよりも、一羽の鳥がここの王さまになるまでは、わたしの王国だったのです」という独特の語り口も気に入っていたようだ。
「『わたし』ってだれ?」とたずねると、「この本を書いた人でしょ」と、母。
今回調べてみて、著者のリダはプラハ出身の女性で、障害児教育にたずさわった後、パリで「カストールおじさんの動物物語シリーズ」の多くを仏語で書いたと知った。絵のロジャンコフスキーは「バレエ・リュス」(20世紀初頭のパリで人気だったバレエ団。作曲家ストラヴィンスキー、ダンサーのニジンスキーなど一流アーティストが集結した)にも関わった人。ピカソやダリとバレエの舞台美術の仕事をしたのかもしれない。
私が7歳になる前に弟が生まれた。病弱で何度も入院し、元気になると歩行器で駆けまわってマネキンを倒した。母はしかたなく百貨店の仕事をやめ、うちで仮縫いをする馴染み客の服に専念した。第二子での離職はその頃もあった。
いっぽう、『マルタン』の森の世界を味わえるようになった私は、中学時代は短縮版ではない「シートン動物記」も読破。今も自然についての本は好きで、そうした本の翻訳や編集を依頼されると楽しんでいる。
赤ちゃん期を脱した弟は、「カストールシリーズ」の中では『りすのパナシ』が好きだった。母は『マルタン』が読みたいのに、「マルタンは死んじゃうからイヤ」といった。どの家にも、ものがわからないやつが一人はいるものだ(笑)。
『かわせみのマルタン』
リダ・フォシェ 作
フェドール・ロジャンコフスキー 絵
いしい ももこ・おおむら ゆりこ 訳
初版 1977年
福音館書店 刊
文:柳井 薫(やない かおる)
国際基督教大学卒業後、英米文学翻訳につとめる。訳書に『本だらけの家でくらしたら』『エリザベス女王のお針子~裏切りの麗しきマント』『ラッキーボトル号の冒険』(いずれも徳間書店)他。
(徳間書店児童書編集部機関紙「子どもの本だより」2024年7/8月号より)