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命をもらって生きる/『北のはてのイービク』文:編集部 上村令

 イービクはグリーンランドで暮らすエスキモーの男の子。年齢ははっきり書かれていませんが、「初めてお父さんに海へ狩りに連れていってもらえる」と喜んでいるところをみると、たぶん11、2歳くらいでしょう。ところが、その初めての狩りで、お父さんはセイウチに襲われ、牙で体を貫かれて死んでしまいます。お父さんの小舟は壊され、イービクの小舟も流されてしまいます。家族は夏の間、ほかに人がいない島に住んでいたため、残されたお母さんとおじいさん、イービクと三人の幼い弟妹は、たちまち飢えに直面することになりました。舟がなくなったので、海で狩りをすることはできず、海にしっかりした氷が張りつめてその上を渡れるようになるまでは、本土にたくさん蓄えてある肉を取りにいくことも、助けを求めることさえもできないのです。

 『北のはてのイービク』は、今から100年ほど前のエスキモーの暮らしと、生き延びるための少年の闘いを、デンマーク人の父と、デンマーク領グリーンランド出身のエスキモーの母の間に生まれた著者が描いた物語。(訳者の解説によると、デンマークやグリーンランドでは「エスキモー」という言葉に悪い印象はなく、普通に使われているそうです。)

 物語の舞台は、著者の子ども時代にあたる1920年代だと思われます。著者にはほかに著作はないようで、自分が体験したエスキモーの暮らしを伝えたい、という気持ちから、この一冊を書き残したのでしょう。

 イービクのおじいさんは経験豊かな狩人でしたが、もう体がいうことをきかず、「人生の峠を越して、下り坂にかかって」います。一方イービクはまだ、「ふもとに立って」いる状態で、どちらも食べ物を手に入れてくることができません。一家は猟を助け、そりを引いてくれる犬たちを、一頭また一頭と食べることに。イービクたちは、「子犬のころから育てた犬なのに」などと泣きますが、ほかに方法はありません。おじいさんは、殺すところを子どもたちに見せないようにし、腐って食べられないアザラシを見つけてきたイービクをうんとほめ、小さい子が飢えのあまり泣くと、「笑え」と励まします。そして、犬をつなぐ皮ひもまで食べ尽くしたころ、ついに氷が張り、やせて体力のなくなったイービクは、それでも一人で本土を目指して歩き出します。ところがすぐに、飢えた白クマと鉢合わせしてしまい…?

 現代の人間と動物の関係から考えると、犬の扱いや、傷を負った白クマが苦しむ場面などは、ちょっとショックかもしれません。でも、著者の淡々とした書き方は、残酷さを感じさせません。それに、犬やクマの血や肉が、文字どおりイービクたちの命をつなぐ場面は、実感がこもっていて感動的。生の肉も、ほんとうに美味しそうに感じられるのです。おじいさんは孫たちに、「獲物の霊魂を敬え」と教えますが、それはアイヌの人たちの考え方とも似ていて、「ほかの生き物の命をもらって生きている」と実感している人間が、自然に抱く感覚なのだろうと思います。「自分が食べているものは何なのか」が見えづらい現代だからこそ、「生きることの原点」がシンプルに力強く伝わる物語を、読んでみてほしいと思います。

文:編集部 上村 令
 
『北のはてのイービク』
ピーパルク・フロイゲン 作
野村泫 訳
初版 2008年
岩波少年文庫

(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」2024年5月/6月号より)

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