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心の中に広がる豊かな世界/あるげつようびのあさ/文:編集部 上村令
表紙には、雨ふりのアメリカの町を歩く男の子の姿が小さく描かれ、ページをめくっていくと、雨のふる空が次第に大きくなり、やがて、窓の外の雨を見ている男の子の後ろ姿があらわれます。そして「あるげつようびのあさ」と、お話がはじまると、表紙に描かれていた町の風景が大きく広がり、雨の中を、「おうさまと、じょおうさまと、おうじさまが、ぼくをたずねてきた。」次の場面は、バス停にいる男の子で、文章は「でもぼくはるすだった。」
『あるげつようびのあさ』は、『よあけ』『ゆき』などで知られる、ポーランド生まれの絵本作家シュルヴィッツが、1967年にアメリカで出版した絵本。徳間書店が谷川俊太郎訳の日本語版を出版したのは、94年。徳間書店が児童書を創刊した年の、最初の数冊のうちの一冊でした。
「ぼく」が王さまたちに会えなかった翌日、火曜日には、男の子の住むアパートに、王さまたちと騎士がたずねてきます。でもやっぱり、「ぼくはるすだった。」。この日、男の子は地下鉄に乗っています。水曜日には衛兵が加わり、木曜日には王さまのコックが、金曜には王さまのとこやさんが、土曜には道化が……と、王さまの一行はどんどんふえていきますが、男の子はいつもるすで、一行に会うことはできません。
絵本や昔話では、「3回のくり返し」がよく用いられますが、この本では、月曜から日曜まで、7回にわたって、同じことがくり返されます。文章は、「たずねてくる」人(最後は犬!)がふえるだけで、まったく同じ。7度ものくり返しを飽きさせないのは、ひとえに絵の力です。
絵をじっくり見ていくと、一行がやってくるようすは、雨の日あり、晴れの日あり、近景あり、遠景あり、アングルもさまざま。終盤の土曜と日曜に、アパートの階段いっぱいにひしめきあって上っていく行列のようすは、圧巻です。また、「でもぼくはるすだった。」という言葉のくり返しとともに描かれる男の子のようすも、日ごとに変わり、この子のことも、次第によくわかってきます。シンプルな言葉のくり返しは、作者からの、「絵からお話を読みとってほしい」というメッセージのようにも感じられます。
毎日「るす」の男の子は、クリーニング店にいたり、買い物をしていたりしますが、いつでも一人きりで、まわりに大人の姿はありません。なぜ一人でいるのか、という説明はなく、大きな町に一人きりでいる子どもの孤独だけが伝わってきます。
けれども、男の子がようやく一行に会えて、笑顔になった日曜日のあとの、文字のない最後の数場面……冒頭とはうってかわって、日の差しこむ窓辺を見ると、「孤独な子ども」という印象は一変します。そこに描かれた、王さまたちはどこからあらわれたのか、という種明かしを見たとたん、この子はたしかに一人だけれど、心の中には、想像の力で築かれた豊かな世界が広がっているのだということが、はっきりと伝わってくるからです。
「絵本の絵を読む」ことの大切さが感じられる、これからも長く読み継がれてほしい一冊です。
『あるげつようびのあさ』
ユリ・シュルヴィッツ 作
谷川俊太郎 訳
文:編集部 上村 令
(2021年1月/2月号「子どもの本だより」より)