廓庵禪師『十牛圖』 第八圖~人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
廓庵禪師『十牛圖』
第八圖 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
凡情脱落、聖意皆空。 有佛處不用遨遊、 無佛處急須走過。兩頭不著、千眼難窺。 百鳥含花、一塲懡羅。
頌曰
鞭索人牛盡屬空
碧天遼濶信難通
紅爐焔上爭容雪
到此方能合祖宗
和 仝
慚愧衆生界已空
箇中消息若爲通
後無來者前無去
未審憑誰繼此宗
和 仝
一鎚撃砕太虚空
凡聖無蹤路不通
明月堂前風䬃䬃
百川無水不朝宗
凡情(ぼんじょう)脱落(とつらく)し、聖意(しょうい)皆(みな)空(くう)ず。有佛(うぶつ)の処(ところ)、遨遊(ごうゆう)することを用(もち)いず。無佛(むぶつ)の処(ところ)、急(きゅう)に須(すべか)らく走過(そうか)すべし。兩頭(りょうとう)に著(ちゃく)せずんば、千眼(せんがん)も窺(うかが)い難(がた)し。百鳥(ひゃくちょう)花(はな)を含(ふく)む、一場(いちじょう)の懡羅(もら)。
頌曰く
鞭索(べんさく)人牛(じんぎゅう)盡(ず)く空に屬(ぞく)す。碧天(へきてん)遼濶(りょうかつ)信(しん)通(つう)じ難(がた)し。紅爐(こうろ)焔上(えんじょう)、爭(いかで)か雪を容(い)れん。此に到って方(まさ)に能く祖宗(そじゅう)に合(かな)う。
和する 第一に仝じ
慚愧(ざんき)す衆生界(しゅじょうかい)已(すで)に空(くう)ず。箇中(こちゅう)の消息(しょうそく)、若為(いかん)が通(つう)ぜん。後(のち)に来(き)たる者(もの)無く、前(まえ)に去(ゆ)くもの無(な)し。未審(いぶかし) 誰(だれ)に憑(よ)ってか此(こ)の宗(しゅう)を繼(つ) がん。
和する 第一に仝じ
一鎚(いっつ)に撃砕(げきは)す太虚空(だいこくう)。凡聖(ぼんしょう)も蹤(あと)無(な)く路(みち)は通(つう)ぜず。明月(めいげつ)堂前(どうぜん)風(かぜ)䬃䬃(さつさつ)。百川(ひゃくせん)水(みず)として、朝宗(ちょうしゅう)せざるは無(な)し。
煩悩や妄想が脱落し、尊意も尊貴性もすべて落ちて空っぽになった。全て仏だと悟っても、それを良しとしてちいさな成功にのみ甘んじてはいけない。「一切皆空」と悟っても、そこにも止まらずまっしぐらに走り抜けよ。悟りをも超越したら、千眼を以てしてもどうすることも出来ない。修行や悟りに囚われたらみっともないし恥ずかしいことだ。
たたえる
鞭も手綱、人も牛も、すべて姿を消した。唯々、青く大きな空だけが遠く広がって何も通じないようだ。真っ赤に燃える暖炉の焔の中に雪が入り込む余地はない。ここに到達することで、はじめて先人たちが掴んだ叡智と一つになれる。
和する 第一に同じ
これはありがたい、生きとし生けるものが住むこの世界はとっくに『空』となった。そこのところの消息を、どのように知らせることができるだろう。あとから来る者もいなければ、先に行くものもいない。一体、誰に頼んでこの境地を継いでもらったのであろう。
和する 第一に同じ
木っ端みじんに広大な虚空を一打して、凡も聖も、足跡のないところに行く道なんてない。明るい月が皎々と宮殿を照らし、風はさらさらと鳴っている。大地を流れるたくさんの川の水は残らず海に流れこむように、そこが終帰のところでであろうに。
自分というこだわりや価値観は一見『しっかりした自分軸』のように思えるが、こだわりや価値観は、自分の都合や人の意見によって変わってしまうこともある。
そのこだわりや価値観というものを、いったん空っぽにすることで、ほかの考え方を受け入れたり、ものごとを自由に考えることができるようになる。
廓庵禪師『十牛圖』~自然に逆らわない
「科学が発達した現代においても、漁師は早朝に岸壁へ立ってて雲が山にあるのか?東にあるのか?沖に雲がではじめたのか?白い雲なのか?黒くなってきたのか?先人たちからの叡智を受け継いで大切に活かしている。」ように、良い大工の棟梁は真っ直ぐな木材は曲げずに使い、曲がった木材は曲がったままを活かして使うことをApple創業者の故人に僕は伝えた。
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