廓庵禪師『十牛圖』 第六圖~騎牛歸家(きぎゅうきか)
廓庵禪師『十牛圖』
第六圖 騎牛歸家(きぎゅうきか)
干戈已罷、得失還空。唱樵子之村歌。吹兒童之野曲。 身横牛上、目視雲霄。 呼喚不囘、撈籠不住。
頌曰
騎牛迤邐欲還家
羗笛聲聲送晩霞
一拍一吹無限意
知音何必鼓唇牙
和 仝
指点前坡卽是家
旋吹桐角出煙霞
忽然變作還郷調
未必知音肯伯牙
和 仝
倒騎得得自歸家
蒻笠蓑衣帯晩霞
歩歩清風行處穏
不將寸草挂唇牙
干戈(かんか)已(すで)に罷(や)み、得失(とくしつ)また空(くう)ず。樵子(しょうし)の村歌(そんか)を唱(とな)え、児童(じどう)の野曲(やきょく)を吹(ふ)く。身(み)を牛上(ぎゅうじょう)に横(よこ)たえ、目(め)に雲霄(うんしょう)を視(み)る。呼喚(こかん)すれども回(めぐ)らず、撈籠(ろうろう)すれども住(とど)まらず。
頌(たた)うて曰(いわ)く
牛(うし)にのって迤邐(いり)として家(いえ)に還(かえ)らんと欲(ほっ)す。
羗笛(きょうてき)聲聲(しょうしょう)晩霞(ばんか)を送(おく)る。
一拍(いっはく)一吹(いっすい)限(かぎ)り無(な)き意(い)。
知音(ちおん)は何(なん)ぞ必(かなら)ずしも唇牙(しんげ)を鼓(こ)せん。
和する 仝じ
指点(してん)する前坡(ぜんは)は即(すなわ)ち是(こ)れ家。旋(やが)て桐角(とうかく)を吹(ふ)いて煙霞(えんか)を出(だ)す。忽然(こつねん)として変(へん)じて還郷(かんきょう)の調(ちょう)と作(な)す。未(いま)だ必(かなら)ずしも知音(ちおん)は伯牙(はくが)は肯(うけが)わず。
和する 仝じ
倒(さかさま)に騎(の)って得得(とくとく)として自(おのずか)ら家(いえ)に帰(かえ)る。蒻笠(じゃくりゅう)蓑衣(さえ)晩霞(ばんか)を帯(お)ぶ。歩歩(ほほ)清風(せいふう)行(ゆ)く処(ところ)に穏(おだや)かなり。寸草(すんそう)を將(もっ)て唇牙(しんが)に挂(かけ)ず。
闘いはとっくにおわって、掴まえることも、放牧する必要もなくなった。聞き覚えた歌を口ずさみ、子どもたちのこだまする声に反応する。牛の背中に身を任せて、眼に映るままに大空や雲を見る。声を掛けられても振り向かず、呼び止められても止まることはない。
たたえる
牛に乗りゆらゆら揺られて家に還ることにした。
笛の音を聞きつつ綺麗な夕焼けを見送る。
思わず手拍子を打ち歌を口ずさむ無心の境地。
分かった者同士は何の説明も不必要である。
和する 第一に同じ
前の方向の岡の斜面を指して「あれが自分の住む家だ」と教え、たちまちのうちに桐の笛を吹いて夕暮れの靄の中から姿を現す。突然、音色が変わって家郷に戻る曲の調子となると、真に音曲を理解している人なら、もはやその曲を伯牙の琴の音にも劣らないではないか。
和する 第一に同じ
うしろむきにその背に乗っていても、牛はゆっくりゆっくり、家に向かって道を進んでいる。竹の笠や藁の蓑も夕焼け雲に染まってとても赫くなって、一歩進むと涼しい風を起こし牛の足取りは落ち着いていたので、背丈が短い草を口にすることもなかった。
自分探しを終えて、目標も目的も自分自身の中にあることにようやく気がついた瞬間、勝ち負けに拘泥しなくなり、諸事の流れにも逆らわず、心は穏やかで長閑(のどか)に過ごすことができる。
廓庵禪師『十牛圖』~こだわりを捨てる
「自らの慾や迷いからでた苦悩は、厚く高い壁に閉ざされた城のように痴鈍へ自ら陥る『迷故三界城』。真実を知ると自由自在の境地となる『悟故十方空』。大自然に東西とういう目印はない『本來無東西』。時間は人間が作った基準で、空間は自然界が与えてくれたチャンス『何處有南北』。」と変えることも美徳だけど、変えないことも美徳。そこに信念があると輝くことをApple創業者の故人に僕は伝えた。
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