「ジェットコースターしかない」
「この遊園地、なんかテンション上がりにくい。なぜ?」
NHKの朝の情報番組『あさイチ』で、視聴者から大喜利の回答を募集する企画をやっていた。そこで出されていたのが上のお題。
番組には史上初めて1万通を超えるメールが届いたそうで、老若男女さまざまな人の回答がどんどんと紹介され、クスリとも来ないものもあれば、フフフと気持ち悪い声が思わず出てしまうスマッシュヒットもあり、全体的にはとても面白かった。
その中でも、とくに番組の最後の方に紹介された回答が印象的だった。5歳の男の子の回答を、そのお母さんが送ってきてくれたものだった。
その回答がこれだ。
「ジェットコースターしかない」
これ、番組では子どもの考える答えは可愛いなあ、みたいなことでふんわり処理されていたが、ぼくにはけっこう衝撃的だった。
だって、5才の男の子が、「この遊園地、なんかテンション上がりにくい。なぜ?」と訊かれて「ジェットコースターしかない」と答えるのだ。
…すごくないか?
普通は逆じゃないだろうか。
ぼくが5才ならば、ジェットコースターだらけの遊園地なんてテンションが上がってしょうがないだろうと思う。
それをこの子は、そんな遊園地はテンションが上がらないと言うのだ。
つまり、この子は齢5才にして、「緩急」という概念を理解している!
観覧車やコーヒーカップ、あるいはメリーゴーラウンドなどの「緩」があるからこそ、ジェットコースターという「急」のおもしろさが際立つ、またその逆も真なり、という緊張と緩和の理論を誰に教わるでもなく自ずから悟っているのだ!
「おそろしい子…!」
顔も知らない遠くの5才児に尊敬と畏怖の念を抱きつつそう呟き、その勢いのままこのnoteを書き始めたぼくは、まさにいま、ある恐ろしいことに気づいた。
「5才児って、ジェットコースター乗れないだけじゃないか?」
彼の回答をもとに話を展開させ、広く物事における「緩」の重要性について考えてみようという目論みは見事に出鼻を挫かれ、ぼくはやる気をなくした。
かくして、ぼくのジェットコースターのような30分はあっけない終着を迎えた。