【京都】琵琶ゆかりの場所めぐり「月照」や鴨長明
奈良と併せて、3月は京都にも行ってきました。
京都は長い歴史から、様々な文化が残っていますが、薩摩琵琶の演奏者として琵琶に関連する場所をいくつか巡って参りました。
訪ねました下鴨神社(河合神社)、清水寺、仁和寺について記します。
下鴨神社、河合神社と鴨長明
下鴨神社、河合神社へ参拝いたしました。
この場所に関連する人物として、鴨長明がいます。
日本三大随筆の一つ「方丈記」を書いた鴨長明は、下鴨神社の禰宜を務める父の次男として生まれました。
鴨長明は歌人として一定の評価を得ますが、職を転々とした後、人生の無常を感じ方丈(約3m四方)の庵を結び、京都郊外に暮らしていたと言われています。
そんな長明ですが、琵琶と琴の演奏家でもありました。方丈庵に暮らし、歌を読み楽器を弄び、世を偲び暮らす姿は現在のミニマリストや断捨離に似ていると思います。
方丈記を読むとわかりますが、無常を著す彼の文体は現在の琵琶歌にも通ずるものがあり、間接的ではありますが私も大きく影響を受けています。
下鴨神社の摂社である河合神社に、長明が住んでいた方丈庵が再現されています。
とても小さいながら、長明が悠々自適に暮らしていた姿を想像して、心が和みました。
清水寺と琵琶歌「月照」
"清水の舞台から飛び降りる"の言葉で有名な、清水寺にも参拝。(あいにくの雨模様でした)
幕末の頃、この清水寺で住職を務めていた月照は、尊王攘夷派として暗躍していたことが幕府に伝わり、追われる身となります。
世に言う、安政の大獄の対象者となったわけです。
月照は親交厚い、西郷隆盛と共に鹿児島まで下り、幕府から逃れようとしますが薩摩藩の方針により、幕府に引き渡されそうになります。月照と西郷は最早、命はないと自害の覚悟を決め、舟渡り中に鹿児島の錦江湾へ飛び込みます。
月照はそのまま帰らぬ人となり、蘇生した西郷も罪人として島流しの命を受けることになりました。
この事件を題材にした「月照」という薩摩琵琶歌があります。
「月照」の作者は幕末の志士、平野国臣で彼は月照、西郷が入水した折、共に舟に乗っていました。国臣が実際に目の当たりにした出来事をそのまま琵琶歌にしているため、とても貴重な内容となっています。
平野国臣の書いた有名な和歌、
我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば煙は薄し桜島山
を思い出しつつ、月照さんと西郷さんがかつてこの地で会っていたことを想像しながらの参拝でした。
仁和寺と平経正
世界遺産に認定された仁和寺へ。
御室桜で有名ですが、私の訪問時は少し早く咲いていませんでした。
仁和寺にも琵琶にまつわるエピソードがあります。
平安時代の武士、平経正は琵琶奏者でもありました。平家物語で有名な一ノ谷の合戦へ向かう前に、仁和寺より拝領していた愛器「青山」の琵琶を返上するため参拝したと言われています。
経正はこの一ノ谷の合戦で討ち死にし、再び愛器を手に取るすることはできませんでした。
このエピソードに関連して、仁和寺では琵琶形のストラップが販売されていました。
歴史が深い京都だけに琵琶に関連する場所もまだまだ沢山あるようです。
今回、紹介しました場所は以前から一度行きたいと思っていましたので感無量でした。
どこも素晴らしい建物と景観でしたので、機会を見つけてまた訪問したいと思います。
(徳)