「安売り」で、誰が幸せになるのか
私は、比較的大きなショッピングモールの近くに住んでいることもあり、休みの日にショッピングモールをフラフラしている。
そして、お決まりのレディースファッションの階に行くのだが、値札を見ていつも驚くのだ。
こんなに安くてやっていけるのだろうか。
確かに、現在は不景気だから物は安くなければ売れないのかもしれない。
消費者にとっては、安いほうがありがたいのかもしれない。
しかし、立場を逆にして考えてみよう。
月々の店舗の家賃代…詳しいことは分からないが、おそらく想定してるより高いのだろう。
人件費…これが一番高くつく。売れなければ今日は早帰りということが出来ない。売れ行きに応じてというより、時間給で払わなければならないから、(もし、その従業員が使えなかったら)大変深刻な問題である。
安く売ったわずかな利益すらも、あっけなく吸収されてしまう。
経営者が頭を抱えるのも理解できる。
セールなどで安売りを続けると、当然ひずみが生じる。
今度は、一つの商品を作るにあたってのコストを下げなければならない。
そうすると、物を「作る人」にしわ寄せが行ってしまう。それがそのまま(作る人にとっては)給料になる。
給料が少なくなったから、当然物が買えなくなる。
話を、「消費者」に戻してみよう。
消費者とは、昔の私である。
学生になったばかりのころは、とにかく服の数をそろえたかったがゆえに、セールに行って服を買っていた。
「安いから買った」ものは数回着ると、ヨレていった。ワンシーズンも使えなかった。つまり、お金をどぶに捨てたということ。
で、そのチリが積もって山となった。
一体、どれだけお金を無駄にしたのだろう。この間、断捨離をしてそう思った。
断捨離をすると、いかに自分がお金の無駄遣いをしていたかひしひしと感じられる。
1年も使っていなかったしわくちゃのショートパンツ、色褪せしまった服。
安い服は、「雑」に扱っていたのだ。
それらを全部捨てることにした。
そのあと、クローゼットを見ると、スッキリしていた。
今思えば、自分が心から気に入って定価で買ったものほどローテーションしていたことが分かった。数えてみたら、10着もなかった。
その一つ一つの服に、私のアイデンティティが出ていた。
だから、もう、安い服は買わないと決めた。
奮発して買ったほうが、物に対して愛着がわくし、何より長く使うことが出来るのだ。
今は年中セールじゃないかと思うほど、値段が下がってきているとともに、クオリティも下がってきている。
そんな品質の低いもの、最初から作らなければいいのでは?
私がもし経営者なら、ファストファッションのようなたたき売りをされたらプライドなんてなくなるだろうし、もう商売をやっていけない。
「作る人」も、「売る人」も、「買う人」も、みんなが幸せになれるような値段のつけ方ってあると思う。
そのためには、「作る人」「売る人」はクオリティの高いものを作らなければならないし、そこに妥協してはいけない。商品に対して、愛を持ってほしい。売り方を間違えないでほしい。安くなきゃ買わない人なんて、最初から客じゃない。
差別的なことを言ったが、差別なんてあって当然だ。
差別こそが、ブランドの根底なのだから。
フランスの旗鑑店は常に警備員が立っていて、それなりの身なりをしていないとは入れない。
それに対して、日本のデパートは買う気が無くても入れるのだ。
それは、根底に日本の文化的な背景があるのだろうけれど、所謂ブランドといわれている商品が全ての人にいきわたってしまえば、それはブランドではなくなってしまうのだ。
Louis Vuittonを持って、コンビニに入っていくなんてその最たる例である。
悔しかったら、自分でお金を稼げばいい。
Louis Vuittonはセールをしない、いつでも買う人を待っている。
だから、買った直後にセールになって裏切られることはない。
「買う人」は本当に自分の心を豊かにするようなものは何かということを常に考えて、「本当にいいもの」を選ぶ力を養ったほうがいい。そして、その商品に相応しい行動をしていったらいいと思う。間違っても高級なバッグをもってコンビニなんて入らないようにね( ´∀` )
偉そうなことを言ってしまった。