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『愛がなんだ』で過去を語るな
先日『愛がなんだ』を観てきた。
17時30分に仕事を終えて
31分にタイムカードを切り
33分にタクシーを捕まえ
18時からの上映に間に合わせた。
多分タクシーに乗る必要は全くなかった。
私は『愛がなんだ』を観ることにずっと抵抗があった。
その理由は、
SNS上で『愛がなんだ』の感想を語る女たちが嫌いだからだ。
結局彼女たちはあの映画の感想ではなく
自分が昔都合のいい女してました。って話を全世界に大公開しているだけだ。
あいつらを気持ち悪いと思ってしまった。
都合のいい女=セックスと言わんばかりの
あいつらの感想にあいつらの表現に虫唾が走る。
おかげであの映画をずっと観てこなかった。
ただ観ようと思ったきっかけがあり
観に行った。
正直に言う。
いい映画だった。
映画を観た日はちょうど
最近別れた彼氏の誕生日だった。
祝うために食事をする場所を探していたので
Googleカレンダーには彼の誕生日と行く予定にしていた店の名前がメモされていた。
そんな少しおセンチな気分であの映画を観てしまった。
※以下ネタバレするかもしれません。たぶん。
私は別にテルちゃんがとかマモちゃんがと言うつもりはないが
あの素朴な世界観がすごく好きだ。
なんだかジメッとしていて
淡い色味で
儚くて脆そうな世界観。
素朴っていいなぁと思った。
素朴というと派手の対義だと思う人が多いようだが
素朴は地味とは違う。
そう感じる映画だった。
登場人物もそう多くない。むしろ少ない。
(最後に観た映画がアベンジャーズだからそう思ったのかもしれない。)
ほんの数人で世界が回っているように見える。
あの世界には人間はほんの数人しか存在しておらず
ほんの数人で文明をつくってきたのではと思うくらい
小さな小さな世界で数人の感情が動き乱れ変化していく。
不思議だった。
みんなそんな小さな世界で生きているんだなと。
わかってはいた。
わかってはいたが、そんな小さい世界の中で
みんな悩んだり落ち込んだら喜んだり
生きたり死んだりするんだなと。
小さな小さなコミュニティの中で
人は一生を終える。
それを広げたところで
それは広がったのではなく
数を増やしただけである。
あの映画に出てくる人間を見て
私も小さな世界で全力で生きたいと思った。
『素朴に生きるために全力で生きる。』
そう感じる映画だった。
こう感じるのは
あの映画に自分の過去を重ねることができたからだ。
確かに私もSNSで自分の淫らな過去を晒す女と同じことを感じたのだろう。
ただあの映画は過去を語るためのものではない。
私はそう思った。
あ、全然ネタバレしなかった。
誰かのために何かをすることが好きな人へ。
こんなに尽くしたのにって傷ついてきた人へ。
自分は1番じゃなくていいと思う人へ。
ぜひ見て欲しい。