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【すのう杯応募作】うつ病になってわかった、家事が「できる」幸せ

日々の生活を送る為に、家事は必要不可欠だ。

ほこりやハウスダストを除去する為の掃除、泥や汗などの服の汚れを取る洗濯、生きるのに欠かせない食事を準備する炊事、臭いや病原菌のもととなりうるゴミ回収、ゴミ出しなどなど。さらに細かく分類すると、枚挙にいとまがない。

家事は面倒くさいもの、つまりやろうと思えばできるけれど、やりたくない、つまり優先順位を下げたいと考えがちなものだ。時間もかかるし、楽しくないから。

僕も、うつ病になるまではそう考えていた。


うつ病になる前、風呂とトイレ、屋外掃除、ゴミ捨て、洗車は僕がメインで行っていた。
洗濯は僕と奥さんのその時に動ける方がやる、その他は専業主婦の奥さんメインというのが我が家の分担だった。

しかし、うつ病宣告を受けた去年の夏頃から僕は家事が一切できなくなった。

まず、認知=家事を担当する場所の置かれた状況に気づくこと ができなくなった。赤カビから進化する風呂の黒カビ、トイレのさぼったリング、水シミが垂れる車のドア、元気に生える雑草たちが目に留まらない。
合わせて、判断=家事をすべきかどうかを考えること もできなくなった。認知できていないのだから当然だ。
そうして、行動=実際に家事をすること ができなくなった。誰かに指示されても、つまり認知や判断ができてもできない。
そもそも家事はおろか、髪やヒゲは伸び放題、歯磨きや風呂キャンセルも含め自分の身だしなみにも無頓着になっていた。洗車なんて趣味の一環だったのに、外に出ることさえ腰が重かったのである。


僕ができなくなった家事はどうなるか?
他の家族がやるか、放置するかである。

週1で時間をかけてやっていた風呂掃除は入浴後の簡易的なもののみになった。トイレ掃除、ゴミ捨ては奥さんが代理をした。屋外掃除、洗車は放置できるところまで放置し、気が向いたところで取り掛かるようになった。ゴミ捨て、屋外掃除、洗車については娘が気まぐれで手伝ってくれる。

家事ができないことに対して、奥さんや娘から何も言われることはなかった。いや、娘には風呂のピンク汚れを指摘されたか。時々、ふたりで入浴中にきれいにしていたそうだ。


うつ病診断を受けて、かれこれ1年を超えた。最近になってようやくうつ病が回復を見せてきたのか、いろいろなところの汚れに気づけるようになってきた。

先日、毎日僕が座っていたソファの汚れに気づき、リンサークリーナーをかけた。回収した水が真っ黒になった。こんなに汚れていたのに、1年も気づかなかったなんて。
また、入浴の度に風呂の赤カビ、黒カビが目に留まり、ああ風呂掃除しなきゃ、と思ったタイミングと体調がいいタイミングがあったとき限定で、うつ病前と同様に隅々まできれいにすることができるようになった。

だが、まだ元に戻ったわけではない。特に弱い朝の家事であるゴミ捨ては未だにほぼ奥さん任せだし、トイレについても立ちションから座りションに変えたこともあるのか、汚れに気づけないのでやれていない。


うつ病になって気づいたことがある。

家事は、家族の健康と文化的な生活を守る為に大事な作業だ。つまり、家族を守る崇高な仕事である。そんな家事を数多くこなしている奥さんに今まで以上に感謝の気持ちが持てた。
また、家事そのものが家事代行としてお金になったり、価格の高いロボット掃除機や洗濯乾燥機などの文明の利器に支持が集まったりするのにもうなづけるようになった。

そして、家事をすることは「認知→判断→行動」とという高度な脳処理を必要とする行為だった。
すなわち、日々複数の家事をこなせるあなたはとんでもなく優秀なのだ。


家事に携わる方々へ。
家事が嫌いでなかなか手につかない方々へ。
家事を家族に任せている方々へ。

どうです?
家事ってこんなにすごい行為だったんです。
ちょっとは好きな気持ちになってきませんか?
やってみようという気持ちになりませんか?

もちろん、それでも苦手だったり、時間がなければお金で解決するのもひとつの策です。

僕もリハビリがてら、少しずつやれる範囲を戻せるよう取り組みますね。一緒にどうですか?

#私も家事が好きになる
 とことこてー

(1,699字)


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