【第2回灯火杯応募作】夜桜とベンチと秘め事と
本エッセイは「第2回灯火杯」応募作品です。
#第2回灯火杯
とある公園の池には、真ん中に離れ小島がある。
そこにはベンチが一脚置かれている。
ー 決して交わることのない、
僕の大事な2つの思い出の場所 ー
***
社会人2年目の冬。
とある週末に僕はある駅近の居酒屋にいた。
10人が集まる飲み会で知っているのは同期ひとり。
いわゆる合コンの数合わせだ。
自己紹介に始まり、会はそれなりに盛り上がった。
だが、何を話したかは覚えていない。
なぜなら、一番遠くに座る「あの子」が気になっていたから。しかし、結局その場では挨拶程度の会話しかできなかった。
「連絡先を聞いてもいいですか?」
別れ際の恒例行事。
コミュ障の僕にはハードルの高い行為だ。でも、こうしないと先がない。勇気を出して平静を装う。
「はい、お願いします」
快く受けてくれた。
幸先いい第一歩だ。少しこころが躍った。
翌日、お礼のメールを入れてみる。
LINEどころかスマホもほとんどないの頃の話だ。
返事がこないと、読んでもらえているかもわからない。
幸い、すぐに返事をもらえた。どうやら好感を持ってもらっているようだ。
そのままメールのやり取りが始まった。
あの子、Aさんは当時住んでいた会社寮近くのショッピングモールにある雑貨店の店員さんであることがわかった。
メールのやり取りは順調に進み、夕飯を一緒にすることになった。当時は景気が悪く、会社は残業抑制をしていた。おかげで平日でも早く帰れるのを利用して、ショッピングモールで待ち合わせをして夕飯をともにした。
ショートヘアの似合う、つぶらなひとみのオシャレな茶髪の女の子。それがAさんの印象だった。3歳年下だったが話も合い、夕飯もそこそこに話を楽しんだ。
最初に出会ってから1ヶ月。
気づけば、夕飯を週1回ともにするようになっていた。
もうすぐ桜の開花宣言が出る頃だろうか。
休みを合わせて初めてのデートに臨んだ。
ドキドキである。行き先は水族館。
小学生以来だから、何年ぶりだろうか?
イルカ、イワシ、ペンギン…他愛もない話をしながら歩を進めた。
そしてイルカショーでちょっとしたハプニング。
Aさんのアップが大型ビジョンに映った。
「あ、Aさん映ってるよ!」
「ほんとだ、恥ずかしい」
ふたりで映ってたらよかったのだが、映っていたのはAさんひとりだった。少し残念だった。
初めて半日をともにしたものの、のどまで出かかったあのセリフを口にすることはできなかった。楽しい時間を過ごせたからいいか、と自分に言い聞かせた。
季節はまたひと足進み、桜が満開になった。
僕はひとつの決心を胸に秘めていた。
今日こそは。
夕飯もそこそこに、Aさんをあの公園へ誘った。
「近くに桜の名所があるから、行ってみよう」
駐車場に車を停めると、そこら中桃色に彩られた木が夜にライトアップされ、浮き出てみえる。
やっぱり「夜桜」には独特の美しさがある。
少し、勇気を出してみた。
「手をつないでも、いい?」
「うん」
静かに左手でAさんの右手を握る。温かい。
手を繋いだまま公園の中を歩いた。
これだけきれいな桜が満開なのに、公園には僕らふたりだけ。こんな贅沢があるだろうか。
公園の真ん中に、池が見えた。
離れ小島にあるベンチに腰を下ろし、黙って花見を楽しむ。
『ここで伝えないと!でも、』
頭の中で逡巡する。
なかなか踏ん切りがつかない僕。
結局ベンチでは黙ったまま、時は過ぎてしまった。
公園の端まで歩いて、ようやく腹をくくった。
『この場所で、今、思いを伝えないと、
一生後悔する。言葉にしないとダメだ!』
「僕と、付き合ってくれないかな」
確かに伝えた。
数秒の静寂のあと、空気が震えた。
「お願いします」
夢にまで見た返事が、彼女から返ってきた。
「これから、よろしくね」
照れ笑いで見つめ合った。
人生でも数えるほどもない幸せを、初めて味わうことができた。
しかし、桜の花は美しいが、儚いものだ。
それほど期間を置かずに、彼女にお別れを告げられた。
理由は聞かなかった。というより、聞けなかった。
文字通り、頭がからっぽになった。
しばらく動けなかった。
初めてのお付き合いは、桜とともに散った。
***
10年後の冬。
結婚し、娘が生まれてしばらく経っていた。
娘の興味のある動物を近くで観られないか考えたとき、あの公園が頭をよぎった。
「近いし、ちょっと行ってみようか」
あの日以来の公園。
桜の開花にはまだ早かった。
左手に握っている相手は、Aさんよりずいぶん小さい、娘だ。
娘は動物に目もくれず、歩いていく。
あてが外れたな。
そう思って歩を進め、たどり着いたのはまさかの「あのベンチ」だった。
10年前にAさんと座って夜桜を見たベンチに、妻と娘が腰かけている。それをスマホで撮影する。
「なんか、ほしい」
いつもの娘のセリフに苦笑いしながら、妻がリュックからおやつを取り出す。
***
そして、現在。
ひとり、2階洗面の片隅に置いた籐製のゴミ箱を見ては、時々思い出す。
実は、これはAさんからもらったものだ。
写真データも電話番号も削除して残っていない今、Aさんを思い出す唯ひとつのもの。
思い出というより、壊れてないものを捨てるのは忍びないだけだ、と自分に言い聞かせている。
あの日、僕は当時持ち合わせた勇気を振り絞って告白をし、受け容れてもらった。
その経験が自信となり、教訓となり、今の家族がいる。今の幸せがある。
大事な、大切な思いほど、
文字に、言葉にしないといけない。
伝えたい人に、伝えたいなら。
これからも、この信念を胸に生きていく。
これからも、大事な僕だけの「秘め事」だ。
(約2280字)