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リクエスト企画?スティービーの初期アルバム未収録シングル4、リアル70年代〜洋楽女子話58

去年10月あたりから、続けて紹介した、スティービー・ワンダーのアルバム。
が、シングルを早く終わらせたい!
ヒヨッコがニワトリになって、スーパーになるか?
わざわざ体力とお金削って、デトロイトまで、ライブに行ったんだし。
筋金は入ってないけど、竹ひごと、年季だけは入ってるファンだし。笑

曲は次のシングルA面曲。ハリウッドパレスのライブ映像。オーケストラは写ってないけど、別にいた様子。クレジットもMitchell Ayers Orchestra。
基本は弾き語りに近いアレンジ。
24、I Don't Know Why』

リクエストで始めたけど

今回ニック・デカロがカバーした、スティービーの古めの曲を気に入って下さった、noteのお仲間のSky Blueさんが、他に何か良い曲があったらって、私ごときに聞いて下さり。
ちょっとバラード系を紹介してたら、いつの間かスティービーの60年代半ば、年齢が15歳以降の古いアルバムのまとめ的な、内容になってきて。笑
この際だし、しばらくまたスティービーワンダー祭りを開催します。
飽きないで下さいね。お願いします。笑

アルバム未収録のシングル盤

続く、初期のシングル盤曲。
特に初期は、オリジナルアルバムからはシングルカット無し、シングルは別で作って、ベスト盤やライブ盤にしか入らなかった曲、それからも漏れたが、まあまああって。
皆さんが、あまり耳にする機会が無い曲、私も聴いたか?ぐらいの曲と、スティービーが曲作りに参加した曲をまとめていってます。
いつまで続くか、わからないけど。笑

埋もれて聴けないシングル曲

これまでに紹介した、アルバム未収録のシングル曲。一部はモータウン発売のグレイテスト・ヒッツとかの、ベスト盤に入ってたりしたけど。
それにも入らす、シングルレコードでしか聴けない状態が、60年代から半世紀、50年以上続いた曲も。
スティービーワンダー曲でさえも、曲数はたくさんあって。タイトルはわかっても、曲は聴けない。笑
で、ユニバーサルグループにモータウンが入ったのは、2004年。キャピタルレコードの子会社になったのが、2014年。再編買収などで、変わらずユニバーサルグループ。
で、このあたりの時期から、モータウンの埋もれつつあった曲を、とにかくデジタル化して色々とリリース。
スティービーなんかは、2005年には『コンプリートスティービーワンダー』ってデジタル版を発売。
このデジタル化があったから、初期の売れなかったシングルも、B面だけでアルバムに無い曲も聴けるようになり。
YouTubeにも上げてくれてるから、初期曲も紹介出来るようにになって。
ありがとうございます、ユニバーサルさん!ってなる感じ。笑
が、YouTubeもユニバーサルが作ってるにも関わらず、リリース日時や順番が違ってたりして、どれを信じたら良いのか?状態になってるから、もうちょっと正確にしていただけると、なお助かるんですけど。笑
まあ、本人が忘れたいレベルの曲や、録音も有無を言わさず、全部蘇ってしまったのは、かなり気の毒でもあるけど。笑
モータウンだけと比べたら、大企業のユニバーサルグループならではな感じで。
デジタル化の良い、悪いは一旦置いておくとして。音の違いとか、諸々あるし、レコードを買ってきた世代だから、思うところもあるし。
デジタル化したら、全部がAIに読み込まれて、モータウンサウンド再び!みたいな生成曲が、溢れる時代も来るかも知れない危惧もあるけど。笑

モータウンのシングル祭り?

ファンの方なら、もちろんご存知かもだけど。60年代は物価に対して、レコードは高価。そして世界全体でも、アメリカも、今より全体に貧しい時代。
アルバムは裕福な白人が購入、ブラック系はより貧しいこともあり、買ってもシングル盤。
ブラック系のシングル盤購入は、90年代以降も強い。その傾向は続いたけど。
この時代はレコードと言えば、シングル盤な意識が強い時期。
ヒット曲がない人だと、アルバム制作はなく、シングル何枚か出して終わりな感じのこともあり。
今より当時を知るには、シングルは重要な資料になる時期。

曲は、ビートルズのミッシェルの影響を受け過ぎてる?元の『Michelle』

モータウンの他のアーティスト、私は名前も聞いたことも無い、知らないような人の作品も、全部一気にデジタル化したようで。
その年に発売された、シングル曲のみを、早い順からB面も含めて、全部まとめたデジタルのアルバム?も作っていて。1曲での購入も可能だけど、1年分まとめたらかなりお安い。
スティービーもマーヴィン・ゲイも、シュープリームスも、丸ごとこの年の曲が入り放題!笑
ちなみに調べてた68年には、モータウンからは、シングルはなんとB面もカウントしたら、144曲もリリース。
単純に枚数換算にすると、72枚。
1年は52週とかだけど、ホリデーだのを考えたら、毎週1、5枚はシングルレコードを発売してたんだ!って。
もちろんアルバムも、並行して作ってるし、そりゃ曲を作る作家が、足りなくなるハズで。笑
まあ、音楽も変わったけど、こんな意味では、良い時代になった部分はある。

69年は大人になり名曲も誕生

69年
24、『I Don't Know Why』前年のアルバム『For Once in my Life』からのシングルの A面。
総合39位、R&B16位。
共作は、スティービーと母親、ドン・ハンター、ボール・ライズナーの4人。
ちょっと他の曲とは、作ったメンバーが違うから、曲の雰囲気も少し違う感じ。
スティービーらしさは、ちょっと薄めだけど、この曲も悪くないし。
で、学校を卒業したら、大人に見られたかったのか、いきなりヒゲを生やしてるのは、ちょっと笑える。

で、ここでまたB面ヒットのパターンが。一部の記載では、この次のシングル曲は、問題の『My Cherie Amour』がA面曲になってるから、ヒットして来たから、 A面にしたバージョンも出したのか?
別のレコードとして、カウントすると、コレが25曲目になる。
正解はわからないけど。笑

25、『My Cherie Amour』
前のシングルのB面だった。
A面曲よりチャートはかなり上の、総合4位、R&B4位。
この曲には、実は色々経緯はあるようで。
作は、前からのトリオ、スティービー、ヘンリー・コスビー、シルヴィア・モイ。
録音時期は67年〜8年に。
ってことは、曲はシングルだと
『I'm Wondering 』とか、アルバムだと
『Someday at Christmas』をリリースし、次のハーモニカのインストの
『Alfie Eivets Rednow』を制作した頃。

何故1年以上、アルバム含めてリリースされなかったのか?
理由はモータウン側が、『ミッシェル』に影響を受け過ぎていると判断したから。
ブラック系の経営陣の人には、曲が白過ぎる感じ?ブラック風な感じが薄過ぎたのか?わからないけど。笑
ビートルズのほうは、66年にリリースされ、シングルカットをしてないのに大ヒット。
この年のグラミー賞の最優秀歌曲賞になった、『ミッシェル』。
スティービーの曲が出来た時期の、68年頭には、ビートルズ版だけでなく、カバーバージョンも多数出て、それぞれもヒットしてた時期で。

曲を作った経緯も、何となく似てて。笑
ビートルズのは、まだ学生だった時期にボールが作った曲をベースに、ブリッジを入れたりして。ジョンと改良して仕上げた曲。
スティービーのほうも盲学校卒業前に、付き合ってた彼女に向けて作って、別れたから、後にタイトルや歌詞を変更して、作った曲。
両方何故か、タイトルもフランス語?だけど。笑
スティービーが自作した時は、その当時付き合ってた彼女、マイ・マルシア?になってたけど、別れたし代わりに『マイシェリーアモール』って、書き換えたらしく。
偶然フランス語にしたのが、影響か?で、スティービーのはリリース前には、リミックスしたらしいけど。影響を感じるから、アコギが入ってたのを、抜いたとか?笑
が、私が聴いた限りは、今まで似てたり、影響はほぼ感じたことは無くて。
裏側を知って、改めて聴いても、感じないんだけど。笑
ゆっくり目のテンポの、穏やかな感じ、サウンドのアレンジ控えめで、歌をメインにしてる部分は共通点だけど、そんな表現が当てはまる曲は、山ほどあるし。
影響ね〜。そんなことを言い出したら、ビートルズも、古いR&B特にブルースやロックの影響はアリアリだし。笑
同時代に、一般的なポピュラー音楽やってた人で、ビートルズの影響がゼロな人は、探すほうが難しい気もするけど。笑
昔ながらのカントリーオンリーや、ブルーグラスオンリーだといるだろうけど。
『ミッシェル』はマイナーな短調の曲。
私は聴いたら、この曲は物悲しい気分になる。切ないより、寂寥感がある感じ。
スティービーのほうは、明るいまではいかないけど、曲調からしてかなり違うかなぁって。私ごときがだけど。笑
聴いたら、和やかな気分になって、誰かに優しくしてあげたくなるような曲。
サウンドもビートルズのは、アコギが印象的で、このギターはチェット・アトキンスで、学んだ?ように話してたり。ポールのほうも、アメリカの音楽に影響されてたのか?だし。笑
スティービーのほうは、曲を書いたこの当時は、別に珍しくは無いストリングスがメイン。イントロはフルート?なサウンドで、エレキギターは入ってるけど。
でも、気になってた会社側は、目立たないようにか?この時期に、シングルのB面に入れたけど。
影響はあったかも?だけど、こっちはこっちで名曲だし、後にはたくさんのカバーも出てる。ベースラインだけ借用した曲もあるし。日本人もカバーしてるぐらい、世界で愛されてる。
あのまま、この曲が世に出ずに、お蔵入りした可能性があったとは?
昨年のデトロイトのライブでも、楽しそうに本人も歌い、私たち観客も大合唱だったけど。笑
こう言う経緯や判断をして、曲をキチンと評価してくれない、会社の経営陣やプロデューサーたちに、スティービーやマーヴィンは不信感を持ったり、嫌気がさしたのかも?ね〜。笑

26、『Yester-Me, Yester-You, Yesterday』
アルバムの『My Cherie Amour』からのシングルカット。10代最後の曲。
総合7位、R&B5位。
世の中が受け入れてくれたら、お蔵入りしかけた、『My Cherie Amour』をアルバムの、タイトル名にもするあたりが、モータウンの商魂を感じるけど。笑
作は色々と表記が違うから、またよくわからない。
ロン・ミラーとブライアン・ウェルズの共作ー英語のWikiと日本語のWikiのアルバムの曲目の項目に。
ロンの作ー日本語Wikiの解説部分。
ウェルズ作ーユニバーサルが作ってる?YouTubeの中の作の表記。
どれがほんまやねん!ってなる。笑
おそらく、共作が正しい感じはするけど。
このアルバムも、全体を通して聴いたら、やっぱりイマイチまとまりが無い感じがするのは確か。
カバー曲が多い上に、取り上げた選曲もジャンルがバラバラ。
イージーリスニングの『いそしぎ』や
スタンダード曲の『ハローヤングラバー』に、サイケなドアーズの気怠い曲
『ハートに火をつけて』。
少し前に作って録音した『マイシェリーアモール』、
新作で、スティービーワンダーが曲作りに関わっていない、『エスターミー、エスターユー、イエスターデイ』
残りはスティービーが関わった曲。
内容を分析したら、やっぱり理由はあるなぁって。
当時のシングル重視のレコード会社が、アルバム作りを、重要視していない感じはよくわかるし、自分でアルバムを表現の手段と考え始めた、スティービーとは温度差があった雰囲気が伺えるかなぁ。

この69年には、ビートルズが分裂する話が出てきて、翌年には解散。
ダイアナ・ロスはシュープリームスを脱退しソロになり、以降には映画にも出たり。
年代の変わり目でもあるけど、モータウンの会社にとっても、変化の時期。
スティービーは学校を卒業し、各地でライブを行ない始めた時期でもあり。
前年の68年の、日本のライブ盤の時のように、モータウンの看板や他のグループと一緒でなくても、集客に困らないだけの人気やヒットも出て、イギリスなどでもライブをやったり。
次のアルバム制作前に、契約更改して次のアルバムのプロデュース権と、契約金をゲット。楽器もほぼ自分が演奏するようになっていく。
名実共に大人になったか?
これから後は、シングル盤もほぼアルバムに入るようになるか、アルバムからシングルカットのパターンに。

ついでに、『マイシェリーアモール』のカバーを。クインシー・ジョーンズのバージョン。

75年リリース。スティービーも気に入ってた、私も大好きなミニー・リパートンも一緒に歌ってる曲。
ジャクソン5も、同じ69年のアルバムに入れて、ジャーメインが歌ってるけど、オリジナルとあまり変わらない感じの仕上がり。
売れたら手のひら返しが凄いな、モータウン!な感じ。笑
ロッド・スチュワート、日本のケミストリー版も聴いたけど、ほぼ皆さんアレンジ含めて同じで、変えるのが難しい曲なのかも知れない。笑

祝成人?プロデュースアルバム

70年
26、『Never Had a Dream Come True』
(邦題夢の中の君)
アルバム『Signed, Sealed & Delivered』の発売前の、年頭にに出たシングル。
総合、26位、R&B11位
作は、スティービー、コスビー、シルヴィアのトリオ。
アルバムの時に、紹介済み。
前のアルバムは、プロデューサーは師匠のクラレンスと、多くの曲を共作したヘンリー・コスビー。
で、このアルバムからは、クレジットはやっとスティービーに。

27、『Signed, Sealed & Delivered 』(邦題涙をとどけて)
総合3位、R&B1位。 
曲はスティービーと母、この後結婚するシリータ・ライト、年上の友人でラジオのDJや曲も作ったディー・グラットの共作。神期の記事で、ご紹介済み。
このアルバム曲以降は、アレンジ、演奏も自分でやるように。

28、『Heaven Help Us Al』
同じアルバムから、3枚目。
総合9位、R&B2位。
曲はロン・ミラー作。アルバム紹介で取り上げた曲。和むし、ロンの作品はスティービーとは相性は良い感じ。

71年
29、『We Can Work It Out"』
(邦題恋を抱きしめよう)
前にはビートルズの影響を、問題にしたけど、ならば本家をやるか?と考えたのか、スティービーはビートルズの曲を、このアルバムでカバー。
翌年1月には  A面で発売。
モータウン魂?笑
レノン、マッカートニー作。
総合13位、R&B 3位。

アレンジは、そこまで違わないけど、スティービーの歌が、かなり違う曲。
2コーラス目からは、メロディーもかなり変えてる。衝撃度はディランほどでは無いけど、まあまあな改変具合。
デトロイトのライブでは、ダウンした音響の修復中に、ピアノとスティービーのマイクだけ戻った時に、スタッフを励ますため?な感じで歌ってて。「俺たちなら、出来る!」って歌詞は、ナイスチョイスだったけど、スタッフはより焦ったかも?笑
が、ライブだし繋ぎだから、このレコード以上に、ノリを変えて歌ってて、笑!な感じだったなぁ。

30、『Never  Dreamed You'd Leave In Summer』(邦題夏に消えた恋)
前のビートルズ曲のB面、別でカウントされてるから、30曲目にしたけど、29曲目のB面曲。
『We Can Work It Out』は、前のアルバムの曲。この曲は次のアルバムの『青春の軌跡』から、先に出た曲。
総合78位。R&Bは圏外。
クレジットには
Producer, Associated  Performer, Recording  Arranger: Stevie Wonder
ってあるから、コレはアレンジでもスティービーが明記された初?の曲。
ちょっと静か過ぎるアレンジと、歌い方で、スティービーにしては珍しく、歌っても暗い。
全体に世の中を憂うアルバムだから、歌い方もこうなるんだろうけど、持ち味が薄め。

31、『If You Really Love Me 』(邦題愛してくれるなら)
アルバム『Where I'm Coming From』
(邦題青春の軌跡)の中からのシングルカット曲。
総合8位、R&B4位。
神期の前の記事で紹介。

32、『What Christmas Means to Me』(邦題私のクリスマス)
67年末に出した、クリスマスアルバムから、シングルカット。
総合8位、R&B4位。ノレる楽しい曲。クリスマスソング?な、厳かなタイプではなくて、クリスマスの雰囲気は薄めだけど。
モータウンの重役でもあり、曲作りの才能もあった、社長のゴーディの兄弟姉妹の共作。

この一家は、また調べ始めたら、色々と面白くはある。また、ちょっと紹介するかも?笑
南部ジョージアから、22年にデトロイトに移住。戦前のブラック系としては、珍しく父親は建築関係など、後には母親も事業を始めて、中流階級で厳しい家庭。
子供は8人で、社長のベリーは7番目の子。特に音楽系の教育も、受けてはなかったようだけど。教会には多分行ってたんだろうけど。
社長のベリー・ゴーディJr.を始めとして、一家の兄弟の多くが曲も作れて、人材発掘や育成出来たのは、モータウンの強みではあったかなぁ…ってなる。経営にも関わっているし。
この曲も悪くないし、皆さんそれぞれ個人でも、所属アーティストにも曲を提供してたり。
お姉さんはマーヴィン・ゲイと結婚し離婚するけど、マーヴィンとはずっと友人だったらしい。
ゴーディの最初の奥さんは、後にジャクソン5の、ジャーメイン・ジャクソンと結婚、離婚。
社長はダイアナ・ロスとの間には、子供もいる。
その色々な女性と設けた子供は、後にモータウンの会社経営や、何人かはモータウンのアーティストや、他の会社所属で活動してたり。
色んな意味でファミリー?笑な企業で、多分なかなかもう出来ないタイプの、レコード会社だったのかも?
モータウンの曲は、60年から移転前の71年までの間に、Billboard Hot 100のトップ10に、110曲も入ってる。
年間10曲のペースは驚きでしか無い感じ。この中には、ジャクソンファイブがデビューして、4曲連続シングルで1位になった時期、あたりまでが入ってる。
72年にはモータウンの本社も、デトロイトからロスに本格移転。
アーティストを入れずに、従業員だけで600人いたらしい、モータウン。地元の雇用にも影響があった感じはする。
ロス移転は、その前から始めたテレビ番組や映画の制作も、多分大きく関係していたのかも?
音楽に絞っていれば、もっと新しい音楽を生み出せ方たかも?
やっぱり流行りは変わるから、80年代半ばの苦境は必然だったか?
答えはわからないけど。

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