リアル70年代〜洋楽女子話⑪オーティス・レディング、サム・クック
音楽とは腐れ縁だったかもなぁ、と。
母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくはく無いけど。
70年代半ばから音楽が生きることを助けてくれたけど、黒歴史(?)もある…。
今の音楽も、過去のルーツやら、音楽に何かは影響されてるから、「今」を理解するのに。少しでも参考になれば、嬉しいかも?
そして、画像はオーティスの曲にちなんで、湾で検索し見つけて、使わせていただいてます。ありがとうございます。
60年代の曲もカバーから
アース・ウインド&ファイヤーの話にも書いたように、75年、6年あたりは、モータウンも少し勢いがなかった。
でも、ラジオでは過去の曲も、まあ流れていた。
そして、色々と洋楽を聴いていると、この当時は、特にカバー曲が元曲が出てからわりと早い時期に発表されることも多くて、遡って元の曲を聴いたりして、60年代の曲も聴くようになった。
オーティスとサム・クックを、私ごときが、一つの話にまとめていいのか?ってなるぐらい、凄い人たちだけど。
オーティス・レディング
彼は、私が洋楽を聴くようになる前に、事故で亡くなってしまってたから、正直、当時アルバムを全部を聴くようなハマり方はしなかった。が、歌も凄いし、曲も心に残るような作品を作り、他のミュージシャンからの、リスペクトも大きい。
『Respect』は65年リリースだけど、アレサ・フランクリンのカバーは2年後にもう出た。で、こっちのほうがよりヒットし、後々まで公民権やフェミニズムのアンセム、シンボルとして聴き続けられていくから、オーティスが面白くなかったのは理解できる。「そら、そうよね?」って。笑
私も多分、先に耳にしたのは、アレサバージョン。彼女のは歌詞を少し変えたりしたみたいで。アレサバージョンは、少しバックが控えめで、少しだけテンポ遅くて、歌詞が伝わりやすい感じかなぁ。
アレサ・フランクリンは私も大好き。オーティスはとっくに亡くなってるから、何とも言えないけど、最近のアレサの自伝的映画の題名も「リスペクト」って。彼女の代名詞になってしまったら、やっぱり複雑よなぁ、オーティスの関係者としたら…とはなる。
歌詞が、もうちょっと私を大切に、尊重して欲しいって内容だから、女子にアレサの歌が響いたのは、よくよく理解出来る。
だって、未だ女の子を大切にしないクズ男?は、クズ女?より多い感じはするし(圧倒的な主観)、60年代ならなおさら、アメリカでも女性やブラックの人たちは、尊重されてなかった感じだし。
オーティスのバージョンは、歌にパンチがあって良いし、当時のアレンジとしても、ホーンやリズムもカッコいい。リズミカルなアレンジで、前向きな感じがあって、元気を貰える。私はオーティスバージョン支持派。純粋に音楽だけとしては。
オーティスも、ストーンズの
『I Can't Get No) Satisfaction』
(邦題サティスファクション)とかカバーしてるし、他もカバー曲を出してるから、まあこの当時は、カバーも多かったよなぁ。
オーティスと言うと、やっぱりこの
『(Sittin' on) The Dock of the Bay』
(邦題ドックオブザベイ)。
飛行機事故での死後、発表されたけど、この曲は『Respect』なんかとは、ひと味違う、オーティスの魅力がある。
穏やかで、ほっこりする感じ。忙し過ぎて、心か疲れている時なんかに、ちょっと聴くと、ひと息入れられるって言うか、「ひと息入れなきゃ」ってなる。
心を亡くしてはダメだなぁ、って。
なんだかオーティスの心が、ちゃんと伝わる曲。寝る前にリピートして聴くのもよくやった。
バックの音も控えめ。でも良い感じでホーンも入ってて、歌含めて上手く組み合わさった名曲かなぁ。
最後の口笛のところも味がある。
日本でもCMなんかにも、よく使われてたし、誰もがなんだか懐かしさを感じるような曲だなぁ…って。
ブラジルテイストのカバー
この曲も、もう凄い人数にカバーされてる。私もかなり色々と聴いた。
ビックリだったのは、セルジオ・メンデスがカバーしたこと。セルジオ・メンデスもメンバーチェンジしながら、66とか77とか、バンド名に年が入ってて、まあまあ好きだった。
ボサノヴァ、サンバ系のブラジル音楽を、世界でも聴かれるように、ポップにアレンジした印象のグループ。
彼らの曲で、未だによく耳にするのは、サッカーとか、ブラジルの画像によく付けられる
『Mas Que Nada』(邦題マシュケナダ)。これを出した次の年に、カバーしてる。
『マシュケナダ』も原曲があって、セルジオバージョンよりおとなしい感じで、リズムはあるけど、派手ではないアレンジ。ちょっとマイナー調で。
まあセルジオがアレンジすると、どの曲も派手な感じになる?笑
が、ピアノも打楽器もだけど、色んな楽器を使ってリズミカルにした、『Mas Que Nada』(邦題マシュケナダ)は、確かにカッコいいし、今でも古さは感じない。
サムの曲も聴くとわかるけど、リズミカルなアレンジが得意なバンドがカバーすると、こうなるか…ってなって。
カバーは確かに、アレンジがブラジル風味のリズミカルな感じで、歌声も女性なので、かなり雰囲気は違うかなぁ。
それでも、セルジオ的派手さは、めちゃくちゃ抑えてる感じはある。笑
私の思う
『Sittin' on) The Dock of the Bay』感は薄いけど。笑
まだ、AORもフュージョンもなかった時代だけに、名曲をこう言うJAZZ風味で大人っぽいアレンジをしたのは、セルジオ凄いかも?はある。笑
日本人も沢山カバーしてて、レコーディングはしてないけど、ライブで歌う人も含めると、物凄い数。正確にはわからないけど、何人もいる。和田アキ子から忌野清志郎なんかも歌ってるし、上田正樹は「そら歌うよね」ってなるし。
最近だとスティングも歌ってたり。
多分、皆んな好きなんだよね、この曲とオーティスが。
サム・クック
サム・クックはもっと古くて、私が生まれた翌年に亡くなってる。活躍は50年代〜60年代前半。が、この時期でもラジオで、流れてて好きだった。
世界で愛されてるけど、ミュージシャンたちに、めちゃくちゃ愛されてるアーティストだなぁ、って。
歌を歌う人は必聴かも?私なんかが、何か語って良いの?な感じはある。おこがましい。笑
中学生当時は、良さが本当にはわかってなかったのかも?私は。
社会人になって、CDの復刻版が出て、買いたくなったから、やっぱり好きだったんだなぁ、とはなる。笑
買って聴いて、改めて良いなぁ…ってなった。
この『Twistin' the Night Away』
(邦題ツイストで踊りあかそう)は、全体が後のモータウンっぽいって言うか、モータウンはこう言う路線を、真似て量産した感じ?。が、この曲には本物感?があるかなぁ。
アップテンポな曲で、リズムが感じられる歌い方で、声も丸いんだけど、パンチもある。手拍子も昔っぽいけど、良い感じ。ピアノも遊んでる感じが好き。間奏とか歌が無い部分も、カッコいい。
ボーカルで、声が抜ける人って表現があるけど、一般的には張りがあったりする感じの人は抜けが良いとされてたり。
が、サムの声は鼻声とも言われるような、張ってる声じゃない。けど、ちゃんとボーカルが前に出て、聴こえてくる。
この頃は、アレンジやサウンドに凝るんではなく、メロディーと歌を聴かせるような曲が多かったから、この曲もそう。サム・クックの歌の、声の良さが、より際立つ感じ。
で、並行して、71年にカバーを出した、大好きになるロッド・スチュアートバージョンも聴いてて、懐かしくなる。
こっちは、ロックンロールバージョンって感じ。テイストはかなり違うから、違う意味で優れたカバーでは?とはなる。
勝手なイメージだけど、サム・クックは「歌が上手い人が、カバーする人」的な感じを持ってた。ボーカリストを魅了するアーティストなのか?
ポップスを歌う人は、ちゃんと向き合っていかなければならない、そんな人なのかも?
ボーカルの良さ
ゆったり目の、ソロになってすぐの50年代の曲、『You Send Me』は、私の
「⑧FMでボズ、スティーブ・ミラーバンド」でも、紹介してて、大好きな曲。
スティーブのバージョンは、是非聴いて欲しくなる。
オリジナルのサム・クックのほうは、曲調が明るめ。歌とコーラスがメインで、バックは最小限な構成と音量。彼の声と歌をゆったり味わえる曲。
声が基本的に優しく、丸いので、ささくれ立った気持ちを、ゆったりと和ませてくれる。
だから、多分気持ちがささくれ立ってた社会人2年目あたりで、私はCDを買いたくなったんかも?笑
で、この曲のカバーは、オーティスも(原曲に近い感じ)、アレサ・フランクリンも、ロッド・スチュアートも歌ってて、ロッドはチャカ・カーンとのデュエットもやってる。デュエットは、途中でキーを上げ下げする、ちょっとアクロバティックな構成。JAZZテイストのアレンジ。
で、後にまた大好きになるニコレッタ・ラーソンもカバーしてて、こっちはAORなオシャレっぽい感じで、女性だから、雰囲気もかなり違う。
このバージョンもよく聴いたかなぁ。
これも、ゆったり目の曲調で、良い曲。
ハモりも良いし、バックは当時のブラックミュージックのテイストがいっぱい。
のんびり聴けて好き。そして、コーラスが抜群に良い。上手い〜って。
これも、沢山のカバーがあり、アレサやロッドだけじゃなく、ポールやジョンなんかもカバー。
大切にしたい曲
ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム
『A Change Is Gonna Come』は、彼の歌、心がストレートに伝わってきて、自分が、心が揺さぶられてしまった曲。
初めてラジオで聴いた時、歌手名を聞き逃した。当時の番組では、まとめて3曲とか紹介されると、まあまあ聞き逃す率は高かったし。
が、イントロが終わって、歌が始まった途端に鷲掴みにされて、この人が何か伝えたい想いがあるのが、凄く伝わってきた。好きとかの言葉ては表せない、持っていかれる感じ。
かなり長い間、サムの曲とも知らなかったぐらいだから、何故作ったのかも、歌詞に込められた想いも、正直、何もさっぱりわかってなかった。
彼が生きた時代の背景も、何もかも知らなくても、高校生の私が何かを感じて、心を揺さぶられるような何かが伝わる、魂の歌だった。
上手いとか、そんな話では語れない、色々書けば書くほど、安っぽくなりそうで…。
アメリカでは黒人の人は、学校のバスも別に座らされる、ホテルに泊まれなかったり、トイレも専用しか使えない…。そんな状況、時代ががあったのは、小学校〜中学ぐらいには知ってた。
デモや争うような昔の映像も観てたし、その後もキング暗殺の時の映像や、ケネディ暗殺も流れてたし。
日本の学生運動も、やっぱりテレビで映像が見られる時代になってたのは、大きかったかも?放水したり、揉み合う様子を実際に観ると、やっぱりプロテストする側に共感してしまうし、それが今度は過激化すると、共感が失われる感じも経験した。
公民権運動のために、自分も何かしたい気持ちになった、サムの心情は理解出来る気がしたし、今もする。あくまで日本人女子の範囲だけど。
そのためには売れる、ヒットが期待出来る方向を諦めて、この曲をリリースしたらしいけど、この曲を世に送り出してくれて、私は本気で感謝してる。
繰り返し聴いたな。久々に聴いても胸が熱くなる感じ。
女性がらみの事件で亡くなったりしてなければ、今の世の中を彼はどう感じたかなぁ…はある。
ボーカリストは、特にライブで心が入った歌唱をすると、伝わるものがあることが多いと感じんだけど…。これは録音だしね。スタジオの。それでこの歌唱。
残ってないらしく映像でも、もちろんライブで聴けないのは、残念。
ジミ・ヘンのライブのギターからも、同じようなものを感じるけど。
映像観ると、今でもより感じる。
偶然同じ時期に、同じように心が感じられて、持っていかれる曲を聴いたな。
それは、ジミー・クリフの
『Many Rivers to Cross』(邦題遥かなる河)と
ボブ・マーリーのライブバージョンの
『No Woman, No Cry』。
ジミークリフの曲も、最初は歌手名も聞き逃したパターンで、同じように曲だけで持っていかれた。
で、サムクックの曲で、やっぱり一番メジャーになって、今もアメリカの映像作品、高校生とかの青春ものにはよく使われて、日本のテレビからも流れるのが、『Wonderful World』。
軽い感じで歌っていて、サラッと歌う感じ。歌詞が勉強なんかしなくても…な内容だから、青春ものには多分ハマるよね。笑
もちろん、この曲も、沢山カバーされてる。オーティスはじめ、グロリア・ゲイナーとか、シュープリームス、またロッド・スチュアートも。カバーも聴いたけど、この曲はオリジナルが良いなぁ…ってなってた。
日本でも、『彼のように歌えたら…』って言ってたらしい甲本ヒロトは、サム・クック大好きなんだなぁ。私が大好きな柳ジョージなんかも、ウルフルズも、サム・クックをカバーしてる。
で、トータス松本の歌うこの曲が、私が聴いた中では、実はカバーで一番良いのでは?って個人的には思ってて。
ゆったり目のテンポ、アコギのシンプルなサウンドで、まず最初は原曲通りに英語で歌う。で、そこからストリング入れて日本語で歌うんだけど。
英語の歌詞の「Don’t know」をサムは「ドンノ」って聞こえる感じで歌ってる。で、それに近い感じの日本語の「どの」に置き換えて歌詞を作って、原曲のリズム感に合わせて歌ってるところが、ウルフルズの勝ち!感があるかなぁ。あくまで個人の感想だけど。笑
そして、何故かサム・クックの曲は私ごときでも、歌いたくなる。歌下手な私でも、曲が流れてたら、つい一緒に歌っちゃう。笑
メロディーがそうさせるのか、彼の歌い方がさせるのかは、わからないけど。ボーカリストが歌いたくなる気持ちは、よくわかるなぁってなるなぁ。